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「その男は、どんな風体でしたか?」
「普通の、どこにでもある旅装でしたわ。マリク様達のこともご存じでしたし。こう、薄い金髪の、明るい穏やかな方でした。すぐに去ってしまわれましたので、他のことはよくは知りませんが……、何か、拙いことだったのでしょうか?」
 不安げに見上げるサライアにぎこちなく微笑みつつ、ギルフォードは頭の中でマリクとの会話を反芻した。しかし、何度思い返してもそのような人物は登場していない。正体不明と言えば確かにひとり存在するが、さすがに、その人物、ローブの男ではないだろう。彼は明らかに敵対する人物であり、ルセンラークの事件唯一の生き残りである、マエントの兵を助ける理由はない。
 ギルフォードは首を捻って、何人もの知り合いや著名人を思い浮かべた。だが、該当する人物は浮かばない。単に魔物を倒し得る能力を持った者というなら幾人か挙げられるが、いずれもこの村には縁のない者たちばかりである。よしんば、もの凄い偶然で通りがかったのだとしても、マリクの存在を知るわけでも無し、あまつさえ身分を偽って去る必要はないだろう。
(助かったことには違いないが……)
 何者かは判らないが、件の魔法使いから白髪のマエント兵を守ってくれたことには感謝したいところである。正直なところ、ギルフォードは既に、マエント兵は殺されているだろうと思っていたのだ。味方でさえあれば、この際詳しく追究する必要はないだろうと、結論のでない思考は脇に置く。
 ――だが、そうなると気になってくるのはアッシュと魔法使いのことである。双方共に行方知れずとなっている以上、結末はの詳細は知りようがない。幾つかのパターンを想像することしか出来ないが……。
 そこまで考え、ギルフォードは、はた、と思考を止めた。
(おかしい……?)
 引っかかるものがある。もしかすると、根本的に勘違いをしていたのかもしれない。
 ふと浮かんだ自分の考えに動揺し、脈が速くなっていくのをギルフォードははっきりと感じ取った。――何故魔法使いは、狙いとするマエント兵のところへは行かず、アッシュの相手をしたのだろうか。
 マリクやアッシュをおびき寄せるだけならば、目立つ魔物だけで充分である。その間に、魔法使い自身がマエント兵のところへ行けば全ては事足りる。相手は眠っている身だ、低級の攻撃魔法ひとつで目的を達することが出来るだろう。
(だけど実際には、村全体に低級の魔物を放っただけで、マエントの男は無事だった)
 白髪の男の存在はむしろ、気付かれていなかったのではないだろうか。そう考えれば辻褄が合う。
 魔法使いが狙っていたのはマリクとアッシュ、強調するならシクス騎士団員だったのではないか。
 ルセンラークの生き残り、しかもマエント兵という、意外すぎる貴重な存在に集中していたため、つい彼が、狙われるべき存在であると思いこんでしまった。しかし、それは彼の存在を強く意識するあまり、後付けで加えたこじつけに過ぎない。彼の存在を無視するならば、事は非常に単純に済む話なのだ。
 王都の警備を担うシクス騎士団を活動停止へ追い込み、王都から離れていた団員の力を削ぐ。手薄になるのは王都の警備となれば当然、次に狙われる場所など想像に易い。
 やはり、最終的な狙いは王だったのだろうか。しかしそれにしては、今までの経緯があまりにも回りくどい。
 ギルフォードは短く息を吐くと、緩く頭振った。考えれば考えるほど、深みにはまっていく気がしてならない。
 立ちつくすサライアを促して、ギルフォードは扉に手をかけた。
「とりあえず、マエントの騎士に会ってみましょう。ユマ、おいで」
 ギィ、と鈍い音と共に扉を開ける。そうして風通しの良い部屋を見回せば、簡素なベッドに横たわる男の姿があった。確かに、髪は色を失ったように白い。ギルフォードのように銀に近い光沢はなく、無理矢理漂白したような白さは如何にも病的だった。
 ユマの手が、びくりと震える。
「……にいちゃっ……」
 見開いた目からこぼれる涙。安堵とも驚愕とも取れぬ息を吐いて、ギルフォードはユマを促した。偶然でなくば天の采配、否、この再会はおそらくは、奇跡に近い。
「にいちゃ、ユマだよ。起きて、起きて?」
 小さな手が、男の腕を揺する。
「ユマ、来たよ。お兄ちゃんに連れてきてもらったの。ねぇ、にいちゃ?」
 ややこしいことこの上ないが、お兄ちゃんとはギルフォードのことだろう。離れた位置で見守っていると、やがて男は低い呻きを上げた。
「あれから時々目を開けるようなったんですが、起きるところまでは……」
「起きて、下手に暴れられるよりはいいでしょう。一応、少し下がっていて下さいますか?」
 言って、ギルフォードは前に進む。戸口付近まで退いたサライアは、数日前のことを思い出したのだろう、やや蒼褪めた顔で成り行きを見守った。
「にいちゃ……?」
 ぼんやりとした目が、のぞき込む少女の顔を映し出す。次第に、合わされていく焦点。
 遠くに虫の声、生い茂る草葉のざわめき、そうして流れてきた風が、男の髪を揺らして去っていく。たっぷり、数十秒。長い沈黙の後、男の右手が、ゆっくりと持ち上げられた。
「……ユマ?」
 背後で、息を呑む音が聞こえる。ギルフォードもまた、大きく深呼吸を繰り返した。
 少女の頭に乗せられる、細い手。
「ユマ? ……どうしたの?」
 声にならない様子で、ユマはただ男にしがみついた。


「……そうでしたか」
 薬湯の入っていた椀を手に、ザサと名乗った男は目を細めた。
「ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」
「気にしないで下さい。たいしたことはしていませんから」
 腕を張り、手を横に振るサライアだったが、半月以上にもわたる治療が負担でなかったはずはない。薬代から身体の世話に至るまで、金と人手がかかっているのだ。それはこれから、ザサが時間をかけて返していくことになるだろう。
 泣き疲れて眠ったユマを客間へと運び終えたギルフォードは、サライアの用意した椅子に腰をかけた。目覚めたばかりのザサは、さすがにかなり体力を落としている。歩き、剣を握って暴れたと言うことが信じられないくらいに、彼の体はやせ細っていた。怪我自体はほぼ治っているとは言え、無理に動かすことは避けた方がいいだろう。
 ベッドの柵にクッションを立て、それに凭れながら、ザサは口を開く。
「その、暴れたとは全く覚えてないんですが、一度、起きなきゃという気になったのは覚えてます。馬の嘶きだったかな、それが聞こえて……。僕の寝泊まりしてる部屋が、厩舎の近くなもんですから」
 ギルフォードは頷いた。ザサの目覚めを促したのが来客者の存在、そして騎士には馴染みの馬の声だったというアッシュの予想は当たっていたのだ。その後錯乱して暴れ回ったのは、意識を失う直前の記憶によるものだろう。
 ザサの指が、震える。記憶を探る度、苦痛に歪む顔を見て、ギルフォードもまた目を伏せた。
「はっきり、覚えてます。忘れたくても忘れられません。あの日の事は」
「……話して、いただけますか?」
 蒼褪めたまま、ザサは頷いた。サライアは伺う様な視線を向けてきたが、この場合は誰かに全部話してしまった方が彼のためにもなる。ザサの見たものは、個人の胸の内に秘めておくにはあまりにも大きすぎるものなのだ。
「僕たちの砦は国境の間近、マエントの端にあって、二小隊が交替で任についていました」
 思い出しながら、ザサは掛布を握りしめた。
「あれは、夕方でした。傷ついた兵が、国境を越える許可書を持って、応援要請に来たんです」
 砦の騎士の仕事の内容は近隣の治安維持と密入国者の取り締まりで、大きな事件があったときは、十数キロ離れた場所にある騎士団施設に連絡することになっている。街道からは少し離れた辺境でもあり、砦の人員内で解決できない問題は年に一回あるかないか、という程度、おおよそ平和の内に一日を終えることの方が多いと言う。
 故に、その応援要請は異例の事態と言っても過言ではなかった。国境を越え、村を助ける。それは騎士となった者たちにとって、名を上げる機会にもなる甘美な依頼だった。果たして、砦の騎士達は、ザサを連絡役に残して国境へと向かうこととなる。
「少し待って下さい。許可書はおいそれと発行できるものではありません。エンデかルエッセンかの騎士団長がそれを出すほどの事態であれば、王都に先に連絡が来たでしょう。二小隊しか駐屯していない小さな砦に、そんな要請が来るわけありません」
「ええ、騎士団の仲間もそう思ったみたいです。でも、その許可証は本物でした」
「しかし、国境を通るとき、キナケス側の者に止められなかったのですか?」
「それは……」
 言い淀み、ザサは視線を泳がせる。
「その、国境をきちんと通らなければ、キナケスの軍に出くわすことはありませんから……」
 国境と言えど、その線に沿って必ずしも建物が隔てているわけではない。主要な街道からしばらくは柵も見張り塔も建てられているが、人通りが絶えるに従い、それは小さくなり、失われていく。等間隔に植えられた木が、実は国境線を示す物だったということも多々ある話なのだ。境を隔てて敵国ならともかく、もともと自国の領土であったこともあり、こと、マエントとの境は曖昧なこと甚だしい。
 とは言え、頻繁に出入りしていれば巡回の騎士に見つかる可能性も高く、その場合は相当の厳罰が下される。そも、個人的な用事であれば、さほど手続きも必要とせず、正規の道から行き来することが出来るのだ。わざわざ禁止されている隊を組んで侵入する利点はない。数多の犯罪者もキナケスで働く場合は、ひとりひとりが侵入してから集まる方法を選んでいるくらいである。
 だが、緊急事態と考えた砦の騎士たちは、越境許可書という免罪符が与えられたこともあり、件の村まで最短の直線距離で進むことを選んだのだという。もっとも、実際にどの道を通ったかは、後から追いかけたというザサの知るところにはない。ただ、マエントの軍が国境を越えたという報せが全く入っていないことから、二個小隊が予定通りに駆け抜けただろうことが判る。
 ギルフォードは、目を眇めてザサを見遣った。
「いったい、誰が出した許可だったのですか?」
「僕は下っ端ですから、はっきりとは……、ただ、王族だと聞きました」
「王族……?」
「はい。なんでも、賊に襲われた村というのが、その王族の方が滞在している近くということでした。キナケスの騎士団砦へ向かう道が賊に固められている為、一番近い僕たちの砦にやってきたと。正直、四十人程度でどうにかなるのかとも思いましたが、まさか、キナケスの王族の要請に逆らえるわけもありません。先輩方は乗り気でしたし……、そのうち、異変に気付いてキナケスの騎士団も来るだろうって思ってたみたいです」
「街道封鎖までしているような状況が本当だとすれば、確かに騎士団もすぐ気付くでしょうが……、しかしあの時期、要人は誰もあんなところにはいなかったはずですが」
「それは僕にはちょっと……」


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