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 項垂れるザサを見て、ギルフォードは苦笑した。まだ年若いザサに、詳しい情報が与えられていないのは仕方ないことだろう。ひとり留守番として残されたことからも、砦内での彼の立場が知れるというものである。
 だが、とギルフォードは額を押さえた。「王族」の出した許可証というのがひっかかる。勿論、真似て書くことは可能だが、それが偽物だとばれた場合の処罰は、例えば騎士団長のものと騙った場合よりも遙かに重くなる。王族が騎士の仕事に口出しすることも稀であれば、ろくな護衛も付けずに歩くこともない。偽造書だとばれる確率も高いだろう。
(それがもしか、偽造でないとすれば……)
 王族と言えど、今は数も限られている。そのうちふたりは、王を仇為す存在ではない。
 ――ごくごく単純な消去法でいけば、残るのはひとり。至った考えに、ギルフォードはぞくりと背を震わせた。
「……それで、砦の者が出て行った後、ザサさんはどうされたのですか?」
「夜になっても誰も帰ってこなかったので、さすがにおかしいと思い、馬を飛ばしました。状況が全く判らなかったので、近くまで行って確かめてから、一番近い場所に報告するつもりだったんです。ですが」
 言葉を切り、ザサは自分の腕を強く掴んで喉を鳴らした。
「僕の見たのは、一面の炎でした。建物も何も残ってません。人も居ませんでした。はじめは場所を間違ったのかと思ったくらいです。でも、村の入り口らしい石を見つけて……」
「間違っていないことを知ったと?」
「はい。みんなを捜して回りましたが、見つからず、その内、攻撃に遭いました。魔物じゃありません。キナケスの騎士団の人でした。……咄嗟に反撃して、殺してしまったんですが」
「……なるほど」
 現場は火の海、そこにルエッセン騎士団の者とマエントの騎士団の者が混在した状況。ザサが到着する前に何が起こったか、ギルフォードの頭の中で高速に組み上がってきていた。
 ろくな灯りもない村に、同じような人数の集団が同時に到着する。双方共に「村に賊がいる」と通達を受けていたと考えれば、その後戦闘に発展しただろうこと、想像に難くない。勿論、そのままであればそう時間の経たないうちに、おかしいと誰もが気付くだろう。だが、そこへ無差別の攻撃が加わったとすればどうだろうか。
 見通しの悪い集落、村人をも襲う攻撃、共に村を救う使命を帯びているならば、相手を倒すことに急ぎ勢いを増すだろう。その場に居合わせた全戦力が集中する中、突如出現する魔物。魔法使いの誘導か、聖眼の命令か、魔物の炎は容赦なく村のあった一帯を焼き尽くす。
 僅かに生き残った者も、戦意を消失していただろう。そこへ更に、魔物の炎が襲う。しかし、逃げられない。魔法鉱石による結界が炎の拡大を防ぐとともに、逃げ道をも閉ざす。一方的な殺戮。
 それが一段落した頃合いに、ザサはやって来たのだろう。
「なんとか逃げようと思ったんですが、後ろから刺されて、それからのことは判りません。ただ、気を失う前……」
 少し考えるように、ザサは目を閉じる。
「女の人を、見ました」
「!?」
「どんな人と言われても判りません。ただ、その時、女の人だ、と思ったことを覚えてるんです」
 女、とギルフォードは呟いた。そうして、渇いた喉を潤すように、無理矢理に唾を飲み下す。
 そこで、それまで黙って見守っていたサライアが、おずおずと口を挟んだ。
「あの……ザサさん、ひとつおかしなことがあるんですが」
「おかしなこと、ですか?」
「ええ。先ほど、後ろから刺されたとおっしゃいましたが、あの、背中の傷は、刺し傷じゃなくて裂傷に近いんです」
「え?」
「そう言えば、……マリクさんもそのようなことを言ってました。炎系の魔物に鋭い爪か牙で裂かれた感じに近いと。それで私は、ザサさんは魔物に襲われたのだと思ってたのですが」
「え? いや、そんな……? 確かに僕は、刃物を後ろから投じられたんです。間違いありません」
「でしたら、気を失った後に、追い打ちをかけられたのでしょう。おそらくはそれで、死んだと勘違いされたのだと思います。もしかして体が濡れていたとか、そういうことはありませんでしたか?」
「ああ……」
 額を押さえ、ザサはそのまま天を仰ぐ。
「その通りです。水を被ったすぐ後でした」
「助かった原因はそれですね。魔物は体があると言っても、純粋な肉体ではありません。凝った力が物理的力を帯びたものです。当然、相容れない属性の前では、力が半減します。厚い騎士団服に含まれた水が緩衝材となり、致命傷とはならなかったのでしょう」
 仲間を全て失った者に、さすがに運が良かったとは言えなかった。ザサ自身も、自分だけが助かったことを喜ぶ気にはなれないだろう。
 ふ、と、サライアがため息を吐いた。
「でも、……誰が、何のためにそんな酷いことを」
 断片的な情報或いは噂しか聞いたことのない、国民の多くが思う疑問だろう。内乱を過ぎて三年、ようやく落ち着きを見せてきた国を、何故また崩すような真似をするのかと。ハインセック王の治世は未だ多くの課題と問題を引きずっているが、少なくとも彼は迷君でも暴君でもない。良いとも悪いともつかぬ状態を今後どう導いていくか、後数年が正念場というところだろう。
(いや、それとも、踏ん張り所は今なのかもしれない)
 水面下にあった危機が、ディアナの帰国と共に嵩を増した。――否、川底の泥をかき混ぜ、一見して澄んでいた水を濁らせたのは、もしかしたら国王本人という可能性がある。知らぬうちに、底に溜まった汚泥が、水の流れを堰き止めないようにと。
 ギルフォードは、サライア達が持たない情報を幾つも抱えている。故に、ここへ来て、大まかな全体の構造を把握することとなった。
(ザサさんの情報が正しいなら――……)
 裏にいる人物を思い浮かべ、ギルフォードは眉間に皺を寄せた。
 ザサが意識を失う前に見たという女性、彼女であるなら、全ては繋がるのだ。越境の許可は勿論、その場に居るはずのない要人が突然離れた場所に出現した意味、そうして、ルセンラークが地図から消えた理由も。本来後ろ盾であるはずのマエントを窮地に陥れたわけは、ルセンラークと同じくするだろう。
 ティエンシャ公を嵌めた理由は考えていない。何もかも彼女ひとりで行っているわけではない以上、協力者の方に理由がある場合もあるのだ。全てを彼女と関連づける必要はない。
 だが、とギルフォードは顎に手を当てた。いくつもの事が組み立てられていく中、ひとつだけ判らないことがある。
(どうやって、聖眼を……?)
 ルセンラークの炎の中にいたという女性が、魔物を操る聖眼の持ち主であることは間違いない。だが、彼女は魔法使い、それも、魔物を誘導できるほどの強い力はなかったはずである。聖眼使いが彼女ではないとするならば、炎の場に居たのは全く知らぬ女性ということになるが、そうすると、彼女が関わっているという推測の根拠が乏しくなってしまう。
(ザサの見た女性は紛れもなく彼女で、別に聖眼使いがいたという仮定は……) 
 考え、しかしギルフォードは首を小さく横に振った。魔物を操る必要がないなら、彼女がその場にいる必要はない。健康な人間であればともかく、彼女の場合は気まぐれで様子を見に来た、ということはまず考えられない。
 重い沈黙の横たわる中、ギルフォードは知らず、冷たくなった手を握りしめた。考えが上手くまとまらない。幾つか情報が足りず、何か忘れていることがあるのだ。そうして、何度も記憶を探る内、ギルフォードはふと、不安に駆られて喉を押さえた。
 離宮。
 彼女が主犯格ならば、当然、古代の移動陣があるのも離宮の地下ということになる。今そこには、その場所と深く関係してしまった人物が行っているのではなかったか。
 ギルフォードは頭振る。滞在しているだけなら問題はない。一介の侍女に館内をうろつき回る権限などなく、ディアナの世話もあるとすれば、余計なことに気を取られる事態にはならないだろう。事件の首謀者たちも、重要な駒であるディアナやその周辺には、そうそうに害を与える真似はしないはずだ。
 だがどうにも、嫌な感触が拭えない。
(アリアさん、――エレンハーツ殿下には気をつけてくれ……!)
 グリンセス公の暴挙が未だ伝わらぬ南の地で、ギルフォードは、虫の知らせとも言うべき胸騒ぎを感じていた。

 *

 ザリ、ザリと、砂の擦れる音が響く。
 先客の動揺も知らず、ローブの男が引き擦るようにして連れ入った少女は堅く目を閉じていた。アッシュがやって来たときのように、完全に気を失ってしまっている。
「アリアさん、アリアさん!」
 鉄格子を鳴らし、ヴェロナは必死で手を伸ばした。
「どうして、――どうして、ここに」
 侍女の服はすり切れ、泥とも埃ともつかぬ物に汚れている。彼女がここへ連れてこられるまでに、どれほどぞんざいな扱いを受けていたかはそれだけではっきりと見て取れた。破れた袖口から、まだ乾ききっていない血糊が覗く。
 男は、アリアのぐったりとした体を、アッシュの牢の前に物のように投げ捨てた。そうして、ヴェロナたちには声をかけることもなく、アリアのの横にかがみ込む。数秒、焦らすような沈黙の後、男は皮肉っぽく曲げた口から不思議な言葉を吐き出した。
 魔法の式と呼ばれる物だろうか。魔法使いでないヴェロナには縁のない代物である。音の意味など、さっぱり判らない。
 だが、アッシュの方は理解しているようだった。次第に、ただでさえ冴えなかった顔色が、更に蒼褪めていく。
「やめろっ……」
 掠れた喉の奥から、絞り出すように制止の言葉をかける。だが男は、一層笑みを深くして、殊更に声高く魔法式を詠唱した。歌うように、呪うように、叩きつけるような語尾の言葉がこだまする。
 どこにそんな気力があったのだろうか。立ち上がったアッシュは、鉄格子を強く掴み、干上がった喉で叫んだ。
「やめろ、……そいつは関係ないだろうが!」
 折れそうなほどに、格子が揺れる。ヴェロナの力とは比べものにならないのだろう。常日頃の彼であれば、もしかしたら引き抜くことさえできたかもしれない。だが今は、ただ虚しい抵抗にしかならなかった。
 ローブが強くたわみ、男の手がアリアの胸を打つ。瞬間、立ちのぼる、どす黒い靄。抗する意識すらなく簡単に押し負け、アリアの細い体はびくりと跳ね上がった。アッシュが一際高く、鉄格子を鳴らす。
 男は、低く嗤った。
「……無様だな、アッシュ・フェイツ」


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