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 ギリ、とアッシュは奥歯を鳴らした。
「全て、お前のせいだと思え」
 腕一本、手首を掴み持ち上げていたアリアの体を、叩きつけるように離す。ヴェロナは小さく悲鳴を上げ、しゃがみ込んでアリアを伺った。ひどく蒼褪めてはいるが、死んではいないだろう。だが、判るのはそれだけだった。幾度となく乱暴に扱われながら、呻き一つ上げずにいる状態を、大丈夫とはとても言えないだろう。ここへ連れてこられるまでに何があったのか、そして今何の魔法をかけられたのか、何も知らず何も判らず何も出来ない己が、ヴェロナには胸の痛いほどに悔しかった。
 常に動じない様子のアッシュがあそこまで動揺したからには、相当タチの悪い魔法なのだろうか。もしかしたら、今、アッシュ自身が熱を発して苦しんでいるものと同じような。
 茫然と、ローブの男に目を向ける。――自分たちが、一体何をしたというのだろう。
 男はそんなヴェロナの視線を無視したまま、睨みつけるアッシュに暗い笑みを向け、声高にもうひとつ、魔法式を唱え始めた。最後の一言が終わるや否、アッシュの体が跳ね上がる。封じられたように強ばる彼に、男は容赦ない一撃を加えた。
 錆の浮いた、銛を連ねたような形状の槍が、アッシュの脇腹を貫く。呻き、その瞬間に拘束が取れたか、抜かれ行く槍に引きずられるように、アッシュの体は床に崩れ落ちた。直後より、床に血溜まりが広がっていく。
「そんなっ……」
 震えながら、ヴェロナはアッシュの牢へと駆け寄った。互いの牢の格子が、その距離を決定的に隔てている。せめて近くであれば、止血くらいは手を貸せるものを。
 だがローブの男は、そんなヴェロナを嘲笑うかのように、アッシュの体を槍で転がした。蹲っていたアッシュは力なくそれに従い、裂かれた腹を上に向ける。槍を抜く際に、彼の服も引っかけていたのだろう。前がはだけ、血に染まった腹部が顕わになっている。
 だが、それを見て、ヴェロナは別の意味で目を見開いた。
「ククク……」
 耐えきれない、そんな様子で男は嗤う。しかし、そんな狂気を孕んだ声が聞こえないほど、ヴェロナの動揺は頂点に達していた。
 ――アッシュの傷が、塞がりかけている。
 通常の人間が何日もかけて傷を治す過程を、高速で眺めやっているようだった。ひどく裂かれた側腹部は、まだ赤い色を残した血だけをそのままに、肉芽さえ盛り始めている。
「見るがいい、これが化け物だ」
 恐怖に顔が引き攣る。だが、目が離せない。
 無駄な魔力を使わせてしまった、そう呟いた男は、蔑んだ目でアッシュを見下ろした。


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