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「買いかぶりだよ」
 ただ、と呟き、フェルハーンは小さな灯り取りの窓を見つめた。
「人から、これをやってはいけない、あれは止めるべきだと言われても、完全に守れる者は少ないよ。一番良いのは、自発的に禁止のラインを作ってもらうことなんだ。『実は怒らせると怖い』って実感させることは、手の付けられないような悪人を生ませないのに、最適な方法なんだ。その上である程度融通を利かせてやれば、大概の者はラインを引く。怒らせないギリギリの範囲で悪さをする、だが怒らせるとリスクが高すぎるから程ほどに止めておく、ってね」
「……なるほど」
「私の役目は、その監視かな。陛下が王道を行く、私は陛下の手足となって動く。私利私欲に走り私腹を肥やそうと、ある程度は許す、だけど度を超した場合、王都を動けない陛下に代わって、私が威嚇をしにいく。そういう意味で、地味に国をまとめている陛下よりも私は目立ってしまうんだ。だけどそれは、陛下が私に劣るという意味じゃない」
「今回の件でも、殆ど陛下は動いていらっしゃらないように思えますがね」
「動いちゃいけないんだよ。要はあくまで、どっしりと構えている必要があるからね。人を見極め、人に任せる。正直、王に求められるのは個人的な超越した能力じゃないと思うよ。ただ、使う者を正確に選び出す目があればいい。私にはそれはない。自分が動く方が楽だと思ってるからね。はっきり言えば、全てを任せっきりにして、座っていることができない。だから、王たる資格はない」
「でも人は、力強い王を求めると思いますけど」
「そうだね。だけど本当は、王は国を動かしちゃいけないんだ。国を動かすのは民衆だ。ひとりひとりの人間だよ。王の役目は、それがひどく逸脱しないように、どこかいけないところへ飛んでしまわないように、国の中心で重しとなり、支えるものだと思う」
 ゲイルに視線を向け、フェルハーンは言葉を重ねた。
「強すぎる光は濃い影を作る。絶対的な力は、順う者が自発的であれ屈服させられているだけであれ、失ったときに大きな反動が出る。或いは、大きな反勢力を産む。どちらにしても、一番被害を被るのは直接関係のない民衆なんだよ。だから、本当に必要なのは、強い王じゃなくて、強い民衆なんだと思う。権力者がどう流れようと、自らの立つ位置を、けして見失わないような」
「……」
「私の持論なんだけどね。百の幸せを得る者と全く得られない者を作るくらいなら、五十の、ほどほどの幸せが皆平等に降りる策を採りたい。権力と能力を振りかざせば、確かに今回の件もすぐに片付いたと思う。首謀者はとうに判っていたからね。けど、私も陛下も、そうしたくはなかった。内乱の内に溜まった澱をどうするかは、関わった者たちに決めて欲しかったんだ」
 室内の端で、蝋燭の炎が揺れる。どこからか吹き込んだ隙間風が、ふたりの頬を撫でて通り過ぎた。
 しばしの沈黙の後、フェルハーンが短く息を吐く。
「納得、いったかな?」
 目の奥にある、静かな色。それを認めて、ゲイルは降参するように両手を上げた。
「正直に答えたもらえるとは思いませんでしたよ」
「建前で動いてもらえる相手じゃないと思ったからね」
 肩を竦め、フェルハーンは笑う。そうして、長椅子から腰を上げた。一度大きく伸びをして、首を鳴らす。ゲイルもまた立ち上がり、埃を払うように上着の裾を叩いた。
「どこから行くんです?」
「勿論、正面からだよ」
 言って、フェルハーンは右腕を後方へ旋回する。それを再び前に戻したとき、その手には一本の鋭利な片刃の剣が握られていた。
「……何の魔法です?」
「私は魔法なんか使えないよ。まぁ、魔物の一種だと言っておこうか」
 鈍い光沢を放つ剣を鞘ごと脇に構え、監視窓のある扉に向き直る。そうして一度腰を低くしたフェルハーンは、ひと呼吸後、凄まじい勢いで剣を抜き払った。
 鞘が鳴り、熱が走る。そして、一瞬の間。
 一歩、踏み出しつつフェルハーンが床を高く鳴らした直後、堅い木の扉は轟音を上げて砕け散った。
「……何!?」
 外で扉の脇を固めていた騎士が、動揺も顕わに剣を抜く。だが彼らが、それ以上の動きを取ることはできなかった。
「動かない方が良いよ。首が折れても知らないからねー」
 間延びした声が、欠伸混じりに騎士の耳元で囁かれる。
「乱暴なことしたくないんで手短に教えて欲しいんだけど、ここの砦に、この場所より下の牢ってあるのかな?」
「え?」
 騎士は背後に首を曲げる形のまま、ぽかんと口を開けて動きを止めた。一瞬、何を問われたのか判らなかったに違いない。
 ゲイルは、騎士の首に巻きつけていた鋼鉄の鎖を腕に戻し、抑制から解放された背中を蹴り上げた。
「知らないならそれでいいや。じゃぁ、行きましょうかー、殿下」
「君って人間も大概だね」
 呆れたように、フェルハーンは首を振る。
「下っ端は知らなくて当然だと思うけど」
「下っ端まで知ってたら、殿下の思ってるような遺跡じゃないって事になるでしょー?」
「まぁ、それもそうだけど」
「あいつらが上から出入りしてるのは判ってるんだから、良いじゃないですかー。丁度、出て行った後みたいですし」
「でなきゃ、正面突破はしないよ」
 違いない、とゲイルは笑う。
 のんびりと会話しているように見えてこの二人、この間にも駆けつけてきた騎士を片っ端からなぎ倒している。扉が破壊されたときの音を聞きつけたやって来た騎士たちが、一瞬怯むほどの攻勢、彼らからすれば二人は、人の形をした災厄だったに違いない。
 フェルハーンは正面から剣を振り回し、ゲイルは思わぬ場所から奇襲をかける。共に闘った例のない二人であったが、どちらも戦闘に関しては専門領域、どちらが囮とも主体ともなく、ただ互いの領域のみ侵さないように気を配りながら、着実に歩を進めていく。多くの騎士は何が起こったのか判らぬまま、ある意味知らぬが幸いという内に倒れていった。
 地下から堂々と階段を使い昇り、一階の看守室へ辿り着く。その頃には異変を察した砦中の騎士達が、ひしめき合うように出口へと繋がる通路を埋めていた。
「殿下、なにをなさいます!?」
 動揺に引き攣った声が、狭い空間にこだまする。問いかけられた本人は飄々とした態度を崩さぬまま、大げさに肩を竦めた。
「脱獄だよ。見て判らないかな?」
「なんと……!」
「できれば、無関係の者は傷つけたくないんだ。大人しく、道を開けてくれるかな?」
 言って、目を眇める。一瞬後には、彼はその場にはいなかった。
「なっ……!」
 喉元に突きつけられた刃先を、信じられないという目で見つめ遣る騎士。少し低い位置から、フェルハーンは不敵な笑みを浮かべた。
「別に、君が騎士廃業したいなら、協力してあげてもいいけどね」
 皮一枚の位置に制止している刃と、手元からの汗を伝わせ、小刻みに震える刃先。どうにも埋めがたい力量差が、距離以上に二人の間を隔てている。そしてそれは、室内を満たし、その先の通路にまで伝播した。
 ひとり、ふたり。蒼褪めた騎士達が、目に見えない何かに押されたように退いていく。
「いい判断だね」
 にこりと笑い、フェルハーンは剣を鞘に収めて歩き出す。後ろに付いて進むゲイルが、呆れたように鼻を鳴らした。
「ひょっとして、僕の援護なんていらなかったのかなぁ?」
「うん? そう言うってことは、やっぱりザッツヘルグにいたのは君か」
「察しのいいところも、なんか腹立つんですけど」
「それだけ、君の腕を評価してるってことだよ。でもなんで一度は攻撃してきた癖に、後で助けてなんてくれたんだい?」
「殿下にはせいぜい働いてもらわなきゃいけませんからね。でも、莫迦のしでかしたことの尻ぬぐいはする必要があったってことです」
「そういや、ツェルマークはどうしたんだい? 大人しく引っ込んでるとは思えないけど」
「急な病で自宅療養中です。あれでも口は達者なんですよねー。説得不可能と判断しました」
 澄まして答えるゲイル。フェルハーンは、療養中の青年を思い、皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「ふぅん、まぁいいか。それより、ねぇ、君、シクス騎士団に入らないかい?」
「ご冗談を。こき使われるのはごめんです」
 半眼で先行く後頭部を睨み、ゲイルは得物を構え直した。新たにやって来た騎士たちは、下から抜け出てきたふたりに目を見張りつつも、剣を構えて襲い来る。易々と武装兵を沈める戦闘能力に怯えの色を見せるものの、本格的に撤退しようとしないあたりは少々厄介だった。
 仲間の怒声に感化されたか、階下から我に返った騎士が攻めてくるのも幾分辛い。
「どーするんですか、この状況」
 さすがに息を乱しつつ、ゲイルは主犯に責任をなすり付ける。苦笑しつつ、フェルハーンは首を傾げた。
「そろそろ来ると思うんだけどね」
「どれが、ですか」
「どうでもいいのと厄介なのと、来てくれたら嬉しいのと……、あ、運が良い」
 顔を綻ばせ、フェルハーンは行儀悪く口笛を鳴らした。それに促されるように、ゲイルは彼の見ている方向に視線を回す。目に入ったその人物を見て、彼もまたほくそ笑んだ。
「……殿下、これは何事です!?」
「やれやれ、部下と同じ思考回路かい? もうちょっと、気の利いたことは言えないかな?」
 現れた男、トロラード・ビアーズに向けて、大げさなため息を吐く。
「とりあえず、何宿何飯か判らないけど、世話になったね。それじゃ」
「何をおっしゃいます! 正気ですか、殿下! だいたい、その後ろの男は何者ですか!」
「怪人Gかな?」
「語呂悪いですねぇ。せめて、侵入者Gにしておいて下さいよ」
「長くて呼びにくいな。それじゃ、G様で」
「そんな、年寄りか黒光りする虫みたいな呼び方止めて下さいよ」
 真面目な顔で話すふたりに業を煮やしてか、トロラード・ビアーズは強く足を踏みならした。
「ふざけておいでですか、殿下!」
「あ、怒られた。君のせいだぞ」
「責任転嫁は止めて下さい。僕はただの通りすがりですから」
「君と私の仲じゃないか。何を今更、隠し立てする必要があるんだい?」
「発言には気をつけて下さいよ。癒着してると思われるのは勘弁ですから」
「あ、そうか。それは同感」
「殿下!!!」
 これ以上はないというほどに顔を紅潮させ、トロラードは握りしめた拳で壁を叩く。頑丈なはずの土壁が一瞬、鈍い音を立てて振動した。様々に問題を抱える男であるが、怪力であることだけは確からしい。
 わざとらしく驚いたように眉を上げ、フェルハーンはトロラードを正面から見つめ遣った。


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