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「王都からわざわざ来てくれる査問官には申し訳ないが、ちょっと急用が出来たんだ。君から謝っておいてくれ」
「ふざけるのも大概にしていただきたい」
「おかしいな。真面目に言ってるつもりだけど」
 口の端を曲げ、フェルハーンは、す、と目を細めた。
「ついでだから、忠告してあげよう」
「忠告?」
「うん、そう。君の為じゃなくて、砦の騎士達のために言うんだけどね。君、いい加減、莫迦な夢を見るのは止めて、彼らとは手を切った方が良いよ」
「なっ……」
「知らないと思うから教えてあげよう。グリンセスは落ちた。彼らに続きたくないなら、大人しく手を引きなさい」
 ざわり、と場が揺れる。周囲を取り囲んだ騎士達は、近くにいる者と互いの顔を見合わせた。
 だが、トロラードは腹を揺らしながら一笑に付す。
「そのことなら、既に誰もが知っておりますよ。私にも、ご忠告賜るような覚えは」
「頭の悪い男ですねぇ」
 語尾に、ゲイルの言葉が被る。
「殿下、こんなの残しておいても意味ないですよ。とっとと捨てた方が身のためです」
「なんだと……!?」
「本当の事を言われて驚くあたり、もう救いようありませんよ。問答している手間の方が面倒ですよ」
「うーん、そうなんだけど……」
 わざとらしく困惑の表情を作ったフェルハーンであったが、その顔は長くは続かなかった。目の端にひとりの人物が映るや、半ば本気のため息を吐く。
「あー……、来てしまったか」
「殿下!」
 駆けつけてきた騎士、ウルラ・フランジは、濃い茶の髪を揺らし、肩で息をしながら、深い緑の目をフェルハーンに向けた。
「殿下、……、何をご存じなのです。いえ、どうやって情報を得られたのです」
「どうしてって、話し声が聞こえたとかは駄目かな?」
「殿下のいらした場所は、中の音が外に漏れることはあっても、逆はあり得ません。騎士たちの噂話も一切聞こえなかったはずです。それなのに何故、グリンセスのことをご存じなのですか」
 至極もっともな言葉に、フェルハーンは両手を軽く広げ肩を竦めてみせる。ゲイルは満足気に頷き、反してトロラードは、苦々しげに顔を歪めた。
「まぁ、何故知っているかは黙秘ということで」
 ウルラを一瞥し、フェルハーンは再びトロラードに向き直る。
「もう一度、今度は莫迦でも判るように言ってあげるから、よく聞くことだ。グリンセスは詰めを誤ったわけじゃない。満を持して行動したつもりで敵の力量を見誤り、そして返り討ちに遭った。君はそろそろ、身の振り方を考えた方が良い」
「!」
 驚きと困惑と動揺が、波となって砦を揺らす。トロラードは、顔を蒼くして、何度も口を開閉させた。少し前に同じ事を違う言葉で聞いたときとは、明らかに反応を違えている。グリンセスが落ちたという意味を取り違えていたのだろう。
 フェルハーンは、取り囲む面々を、じっとりと眺め回した。ウルラは額に汗を滲ませながら、目だけで周囲を伺っている。他は、何事か判らずに狼狽える騎士と、困惑しつつも思い詰めた表情でフェルハーンを見つめる騎士と、半々といったところか。後者にウルラの様子を窺う者が多いことを思えば、その原因は考えるまでもないだろう。
 たっぷりと間を空けて考える時間を与えてから、フェルハーンは再び口を開いた。
「信じる、信じないは君の勝手だけどね。部下までは巻き込まないでやってほしい。だけど、君が手を引かないなら、私としては不本意ながら、騎士団全体に罪を問わなければならなくなる」
「……」
「少しは、気の利いた反論をしてほしいね。それとも、認めて手を引いてくれるのかい?」
「……何のことですかな」
「なら、理解の悪い君に、詳しく言ってあげよう」
 大きく息を吐き、フェルハーンは一歩進み、真正面からトロラードを半眼で見据えた。
「グリンセス公は賭けに負けた。他はともかく、君は確実に進退を窮めたよ。君の場合、グリンセス公がいなくては話にならないからね。今更彼らの協働したところで、君にはもう、明るい未来はないよ。それとも、事が成った暁に、協力の代償として地位を脅し取るかい? 彼らはグリンセス公ほど甘くないと思うよ」
「さて、何をおっしゃいますか、私にはさっぱり……」
「莫迦の一つ覚えみたいに、繰り返さないでくれるか? いい加減、それは聞き飽きた」
 少し前まで、ゲイルと漫才じみた会話を繰り広げていたとは思えない重い声で、フェルハーンははっきりと言い捨てた。
「お前が分不相応な地位を狙うのは勝手だ。それを成す為に変革を望むのも自由だと思う。だが、それなら何故、私や陛下を直接狙わなかった? お前達の言葉に正しいものがあるなら、それを持って説き伏せればいい。裏で手を回そうと、罪を捏造しようと、それはお前達の勝手だ。負ける私たちが弱く、運もなかったと諦めよう。だが」
 低く、フェルハーンは声を震わせた。
「貴様達のやったことは何だ!? なんら関係のない者を傷つけ、怯えさせ、不穏をまき散らせ、そうまでして王座を得て、貴様等は国民に何を返すつもりだ!? 失った命、傷ついた体や心に見合うだけのものを与える自信と政策くらいは持っているのだろうな!? であれば言え! 俺を納得させろ、そうすれば、今ここで、大人しく首を差し出してやる!」
 居る者を貫くような声に、その場に居合わせた全員が背を震わせた。ゲイルもまた、口を一文字に引き結び、フェルハーンを見守っている。怯えと快感を混ぜたような痺れが襲う。およそ敵だらけの状況にあって、だが、この場を支配しているのは確かにフェルハーンだった。
 如何なる理不尽にも屈することなく、毅然と立ち、人を導く者。
 王だ、とゲイルは思った。確固たる意志を持つ、王者の目。――存在だけで全てを屈服させる。
 引きつっていた頬が笑みの形に緩んでいるのに気づき、ゲイルは服の裾を握りしめた。
「権力を得て、お前達は国民をどこへ導こうというのだ。理想論を語ってくれるなよ。人も材も時間も、無尽蔵ではない。現状を見て、どうすれば良くなると、それを実現させるために我々が邪魔だと、はっきりと考えた上での叛意なのだろう? まさか、この期に及んで、権力の椅子が欲しかっただけとは言わせん。言え、そして俺とここに集った騎士に聞かせてみろ!」
 王である資格はないと言いながら、フェルハーンはまさに、人の頂点に立つ者だった。
 しん、とその場が静まりかえる。沈黙よりも重い静寂が、集った者の体を拘束した。息をすることも忘れたように、ただ干上がった喉に唾を流す。
 トロラード・ビアーズの額から、吹き出た汗が伝い落ちる。手足はわなわなと震え、しかし拘束されたように彼がその場から動くことはなかった。
「言葉はないか? トロラード」
 騎士たちの目が、一斉に団長に向けられる。直後、彼らは気付いただろう。フェルハーンの言葉は、まさに正鵠を射ていたのだと、そして彼に抗する思想も力もないのだと。それほどに、血走った目で震えるトロラードの姿は、狼狽に過ぎていた。
 フェルハーンは、手にしていた剣を鞘に収めて踵を返す。
「行こう、ゲイル。もうここに用はない」
「はじめから、僕はそう言ってましたけどね」
「そうか、それは悪かった」
 苦笑しつつ、ゲイルはフェルハーンの後を追う。それに続く者はなかった。一歩、フェルハーンが近づくごとに騎士達は弾かれたように道を開ける。
 何十もの複雑な視線を背に受けながら、ふたりはコートリアの砦を後にした。

 *

「それで、やっぱり王都に戻るんですかー?」
「勿論だよ。後はもう、騎士達が勝手に考えるだろう」
 数時間後、フェルハーンとゲイルは主要街道から逸れて、人通りの少ない野道を進んでいた。砦の脱出は煙に巻く形で済ませたとは言え、息を吹き返したトロラードが、あの場にいなかった騎士を使って妨害してくることも充分に考えられる。フェルハーンの目的は戦うこと、ましてや事情を知らない兵を傷つけることにはなく、避けられる諍いは極力回避することを望んでいた。
 ゲイルの準備した馬を走らせながら、一路、王都へと向かう。
「正直、僕には理解できませんけどね」
 前置きをしてから、ゲイルはフェルハーンを一瞥した。
「あのエレンハーツ殿下が、本当にこんなたいそれたことを計画したんですか?」
「したもなにも、君だって、あちこち裏で探った結果、その結論に達したんだろう?」
「まぁ、そうですけど」
「単純な話だろう。全ての始まりは、亡きディオネル義兄上だ」
 ディオネル・マエンティア・クイナケルス。先王の第四子で、二期目の内乱でフェルハーンたちエルスランツ勢と刃を交えた勢力の旗頭。戦いに敗れ、今は土の下に眠る。
「でも、何故今なんです? もっと前でも、もう少し後でも良かったと思うんですけど」
「ディアナが戻ってきたからね」
 皮肉っぽい笑みを、フェルハーンは口元に刻んだ。
「彼女だけは、内乱にまつわる全てのことと、無関係だったから。内乱期の、思い出したくもないような黒々した人間関係の範疇外にいる。それは、私や陛下にとっても信用できる材料だったけど、義姉上にも同じだったはずだよ」
「陛下やあなたを引きずり落とした後の、後釜に良かったと?」
「そうだね。義姉上はさすがに、政務を執れる体ではないとご存じだ。憎い仇である私たちを排除した後、権力の椅子に座る者を考えあぐねていたのだろうね。内乱を越えてきた権力者は、一切信用ができない。そこに現れたのが、ディアナという、全く内乱に関わっていない王族だ。彼女が王の資質をもっているかどうかはこの際どうでもいい。王になる資格を持っていることが重要だったからね」
「現れたも何も、帰国するよう働いたのは殿下たちじゃないですか」
「そう。勿論、そうなると判っていて呼び戻したんだよ」
 呆れたように、ゲイルは首を横に振った。
「ディアナも無論、そのことはよく理解している」
「じゃぁ、アレですか。はじめから水面下に潜む敵を引きずり出すために、ディアナ殿下という石を投げ込んだと」
「よく判っている」
 笑い、フェルハーンは手綱を捌く。およそ道とも言えぬ悪路故に、そうそう、会話に集中するわけにはいかなかった。大岩を越え、背丈の高い草を分け、伸びる枝を払いながら進む。
 少し開けた場所に出た時点で馬速を速め、フェルハーンは先導するゲイルに並んだ。
「ザッツヘルグ公は、ルセンラークの件をどう捉えたのかな?」
「あの村ですかー? ぶっちゃけて言うと、あれは目的には自業自得、何も知らなかった村人にとってはひどい迷惑といったところでしょう」
「そう。やはり、ルエッセンはマエント勢を裏切ってたんだね」
 内乱末期、いつかフェルハーンがギルフォードに語ったように、どの勢力がどこに与しているのか、いつ協働し、いつ裏切られるのか判らない状況に陥っていた。単独勢力を保っていたエルスランツは正直なところ、そのあたりの情報に関してはどうにも疎い。


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