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 ディオネル率いるマエント勢が決戦に選んだのが国土の南、ルエッセン地方の平原だったことでおおよその見当はつけていたが、さすがに確証までには至らなかった。ゲイルの言葉にも証拠はないのだろうが、裏で暗躍し続けるザッツヘルグの関係者がはっきりと言い切るのであれば、まず間違いないだろう。
「ルエッセン騎士団は最後の最後で裏切った。マエントはディオネル義兄上を旗に戦いながら、最後には逃げ帰り、敗残兵やエレンハーツ義姉上を見捨てた。マエントとしてはどうしようもなかったとは言え、義姉上にとっては酷い裏切りだっただろうね」
「だからって、当時の軍に関わっていなかった人を犠牲にする権利はありませんけどね」
 策は成り、前ルエッセン騎士団長は隠居していた村ごと炎の中に消滅した。この事件で、ルエッセン騎士団とマエントは、互いに二小隊を失うという害を被った。特にルエッセン騎士団は、魔物の出現による混乱が、後々まで響いている。
 更に、マエントへ派遣された官をマエント領内で殺すことで、マエント首脳部は窮地に陥った。
「勿論、義姉上だけで事を為すことは不可能だ。人という資源の提供者が必要となる。グリンセスは容易かっただろうな。一族の血を引くディアナを王位に上げる計画ともなれば、尻尾を振って賛同したに違いない」
「結局、エレンハーツ殿下を警戒しすぎて、裏切ったみたいですけどね。そう言えば殿下、グリンセスは落ちたって言ってましたけど、離宮を占拠した後どうなったか、ご存じなんですか?」
「うーん、半分は憶測かな。今の離宮の状態は私にも判らないんだ。ただ、連絡が取れなくなっているようだね。多分、死んでるだろう。義姉上は、裏切りにはひどく敏感な方だから。ディアナは別の場所にいるみたいだから、無事だろうけどね」
「でも、どうやってか弱い殿下が、グリンセス公とその兵をどうにかすることができるんです?」
 もっともな質問に、だがフェルハーンは、困ったような表情を浮かべた。それについて確信はあるが、確定ではない。
「君、ゼフィル式魔法というのを知っているか?」
「ええまぁ、名前くらいは。伝説級の魔法でしたかねー? まさか、それが関係あるんですか?」
「おおありなのは確かなんだけど。いまいち確証が持てないんだよ。ギルフォードに話を聞く必要があるみたいだ」
「魔法院の色男? 彼も随分動き回ってますねぇ。地味にいろいろ知ってるくせに、人が良すぎてなかなか根幹にたどり着けないのは、ちょっと天然入りすぎですけど」
「私たちと違って、彼は素直なんだよ。いろいろ純粋だしね」
 ギルフォードが聞けば毛を逆立てそうなことを、フェルハーンはさらりと口にした。彼と同類の扱いを受けたゲイルは、うんざりしたように空を仰ぐ。
「知りすぎたってことで、彼も狙われませんかねぇ」
「それはないんじゃないかな。正面切って敵対してくるならともかくね」
「じゃぁ、彼はどうなんです? アッシュ・フェイツは何か恨まれる真似を?」
「え?」
 首を傾げたフェルハーンに、ゲイルは意外そうな目を向ける。
「アッシュに、何かあったのかい?」
「知らないんですか?」
「さすがにひとりひとりの部下の監視までやってられないよ。……あいつが怪我なんかするわけないし、まさか、捕まったとかじゃないだろうね?」
「捕まったかどうかはわかりませんけどね。彼、行方不明ですよ」
 ぎよっとして、フェルハーンは思わず手綱を引いてしまった。驚いたように、馬は前肢を上げて立ち止まる。
「わ、殿下!」
 数十メートル進んだ先で馬首を返し、慌てたように引き返してきたゲイルを、フェルハーンは茫然としたまま見つめ遣った。そんな彼の様子を訝しげに眺めつつ、ゲイルが口を開く。
「詳しいことは判りませんけどね。自宅や寮で謹慎しているシクスのメンバーのうち、マリク・フェローとアッシュ・フェイツの姿がありません。どうも彼らがティエンシャ公を連れ出したみたいですけど、それにしては、王都に戻ってくるのが遅いみたいですねー」
「はっきりと、居なくなったというわけじゃないんだね?」
「うーん、どうでしょうね。ティエンシャ公は無事保護されたみたいですけど、彼らの足取りがその後掴めないんですよー。僕も、後を付けてる途中で、魔物の騒ぎに巻き込まれて、彼らを見失っちゃいましたし。まぁ、あれから何日も経ってますし、僕が王都を離れてから戻ったって可能性もありますけど」
「それなら、いいんだけど……」
「彼に、何か気がかりでもあるんですかー?」
 曖昧に笑い、フェルハーンは王都の方角を見つめた。今の話がどうにもひっかかる。マリクが王都を離れているのは、むしろいつも通りだと言って良い。だが、アッシュには、ヨゼル達と同じく、別の役割を与えていたはず。ある意味堅物な彼が、どこか寄り道しているとは考えられなかった。
 アッシュは強い。純粋な戦闘能力で言えば、フェルハーンをも凌駕するだろう。だが彼には、致命的な問題がある。そこを突かれてしまえば、おそらくはひとたまりもない。
「……すまない、少し、急ぐことにしても構わないか?」
 前を向いたまま、フェルハーンは掠れた声を絞り出した。
「アッシュは、ディオネル義兄上を直接手にかけた張本人だ。狙われる可能性は充分にある」
 嘘ではない。だが、それは狙う理由にはならないと、誰よりフェルハーン自身が理解していた。何故なら、恨みを募らせるべきエレンハーツが、そのことを知らないからだ。教える者がいたとしても、彼女はそんな事実には耳を貸さないだろう。騎士ですらなかった一般兵に負けたなどと、認める事自体が屈辱である以上、ディオネルを殺したのは、名のある者でなくてはならないのだ。
 そうであるにも関わらず、アッシュが狙われる理由。それはアッシュ自身には全く理解できないことだろう。おそらく、フェルハーンにしか判らない。
(そのぶん、警戒心が低い……)
 なまじ強いぶん、真っ先に逃げるという思考はアッシュの中にはないだろう。それが、致命的となるケースが、ただひとつだけある。それを、フェルハーンは危惧していた。
 しばし、彼をじっと見つめていたゲイルは、やがて深々とため息を吐き出した。
「仕方ないですねぇ。乗りかかった船です。付き合いますよ」
「すまない」
「まぁ僕たちもあなたに味方してしまった以上、生き残ってもらわないと困りますからね」
 憎まれ口を叩くゲイルに、フェルハーンは苦笑を向ける。
 そうして、最短距離を進むべく、ふたりは馬を驚異的な速度で飛ばし始めた。そのぶん、馬が潰れるのも時間の問題になるだろうが、ザッツヘルグ領内に入ってしまえば、馬の取り替えは幾らでも利く。この際、後々のことを考える手間も惜しかった。
「しかし、君、本当何でもできるね」
 遅れずに付き従うゲイルに、フェルハーンは呆れるような目を向けた。
「人のことグダグダ言ってたけど、君こそ、ザッツヘルグ家を乗っ取ろうと思えば出来るんじゃないかい?」
「まぁ、そうかもしれませんけど」
 あっさりと認めて、ゲイルは口の端を曲げる。
「面倒ですからねぇ。僕も、やりたいことやれないのはごめんです」
「ならせめて、騎士団に入らないか? そのままじゃ、陽の当たるところには出られないだろうに」
「いいんですよー、これで。いろいろ、しがらみ作るのが面倒で。義兄に好きなことさせておいて、僕が裏で操作する方が楽しいじゃないですか」
「……君、確実にザッツヘルグの濃い血を受け継いでるよ」
 話すのも一苦労という速度の中、減らず口をたたき続ける二人。だがその余裕は、長くは続かなかった。


 小さな街を走り抜けたその先、短い草が靡く平原に差し掛かった頃、微かな馬蹄の響きが鼓膜を震わせた。気付いたのは、ほぼふたり同時だっただろう。ちらと視線を返せば、後方に土煙が立ちのぼっている。巡回の隊にしては人も多く、行進速度も速い。ふたりを追っていることは、考えるまでもなく明らかだった。
 さすがに、疲れを見せ始めた馬の脚は鈍い。腹を蹴るも馬の首が上がるだけで、むしろバランスを崩して減速する有様である。追いつかれるのも時間の問題だろう。おまけに、飲まず食わずの人間の方にも、疲れが生じ始めていた。我が身の事ながら、集中力が切れかけていることに、フェルハーンは舌打ちを禁じ得ない。
「どこですかね」
 後ろから迫る軍勢はまだ遠かったが、整然とした隊列を組んでいることだけははっきりと見て取れた。時々振り返りつつ、ゲイルは目を凝らして追っ手を探る。
「あれは……、なかなか厄介ですよ、殿下」
「うん?」
「セーリカの軍勢ですよ」
「それは、そうだろう。ここはセーリカ領内なんだから」
「でも、何で団長の姿まであるんでしょうねぇ。あなた、何か恨みでも買ったんじゃないですか?」
 揶揄に、フェルハーンは苦笑を返す。恨み辛みでセーリカ騎士団団長が来ているのであれば、会議室でティエンシャ騎士団団長を庇った一件が原因であること間違いない。
 まさかそこまで根に持つとは思えないが、と小さく肩を竦めながら、フェルハーンは手綱を引いた。
「ここまでだ、ゲイル。奴らを迎えようじゃないか」
 フェルハーンが馬を下りるに従い、ゲイルもまた地面に足を付けた。大量の汗を流す馬の尻を叩き、逃げるようにと促して放す。放っておいてはいずれ病に罹るだろうが、少し進めば点在する集落がある。そこで助けてもらえるだろう。
「逃げるの、止めるんですかね?」
「如何にも必死で逃げてますというのは、恰好悪いだろう?」
「恰好の問題ですかね」
「当たり前じゃないか」
 話す間にも、軍勢の姿は大きくなっていく。響く馬蹄と土煙がいよいよ身に降りかかるほど近く、平原の中にあって異様な存在感を示している。逃げようとする者の気を萎えさせるような、権力と武力の誇示。大げさだな、とフェルハーンは苦笑した。
「二小隊くらいですかねぇ」
「それにしては、知った顔が多いな」
「警戒しすぎじゃないですかねー」
「コートリアから注進でも行ったんだろう」
 距離にして十数メートル。間を開けて騎乗した騎士たちが馬を並べ、図ったように一斉に立ち止まった。その中から、一際立派な体躯の馬が一頭、列を割って前に進み出る。
「フェルハーン殿下とお見受けしますが、相違ありませんか?」
 声音と同じ、冴え冴えとしたアイスブルーの目が馬上からフェルハーンを見下ろした。ニコラ・セーリカ、セーリカ騎士団団長であり、セーリカ領主の血縁でもある男である。全体的に色素が薄く、ゲイルがそう断定できたように、遠目からでも目立つ存在であった。
「どうにも、答えかねる質問だね」
 いけ好かない男だと思いつつ、フェルハーンは肩を竦めた。
「私としては、そう思いたいんだが」
「なんですと?」


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