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「フェルハーン殿下だとすると、たかだか一領主の血縁でしかない騎士団長に、馬上から見下ろされたまま質問を受けるなんて真似、されるわけがないからね。ついでに言えば、騎士団長ともあろう者が、王族に対しての最低限の敬意も示せないとは思えないから、君はニコラ・セーリカの偽物なのかな?」
 フェルハーンは罪に問われている身ではあるが、刑が確定されたわけではない。そうである以上、コートリアの待遇がそうであったように、身分相応の待遇を得る権利がある。人が血統で決めた、ある意味非常に根拠のない身分というものに固執することは極めて愚かしいことだが、皮肉の材料にするくらいは罰も当たらないだろう。フェルハーンとしてはこの際、利用できるものはせいぜい活用するつもりであった。
 追う者と追われる者。その立場の差が、普段であれば慇懃無礼なまでに恭しいニコラ・セーリカに、驕りを与えたのだろう。不敬罪にも近い失態は、その意識の顕れに違いない。
 ゲイルが、行儀悪く口笛を鳴らす。さっと頬に朱を走らせたニコラは、憎々しげな目でゲイルを睨み遣った。
「あー、怖。僕、逃げていいですかねぇ」
「うん? さすがにそれは困るなぁ」
 ぼやき、フェルハーンは相変わらず馬に跨ったままの男に目を向ける。
「で、いつまで見下ろしてくる気だい? でっかくなりすぎて可愛げのなくなった奴を思い出すから、いい加減にして欲しいんだけどね」
「……これは、失礼」
 強ばった表情のまま馬から下り、ニコラは嫌味なまでに完璧な礼をとった。
「王族という民の手本となる身分にありながら、脱獄などという真似をなさったフェルハーン殿下でございますね」
「ああ、そうだよ」
 あっさりと認めて、フェルハーンは肩を竦めた。
「私は君と違って忙しいんだ。用件なら手短に頼むよ」
「……何をお急ぎか、私ごときには図りかねますが、なに、王都へは私共がお送り致します。ご心配なさらずに」
「悪いけど、男ばかりの集団で移動するのはごめん被るよ。護送されるにやぶさかではないけど、前後左右に妙齢の女性を付けてくれないと、従う気にはなれないな」
「ご冗談を」
「大まじめだよ。冗談で、女性から叱られそうな事を言う勇気はないよ」
 ニコラの頬が小刻みに震え、口元も引き攣っていく。それを認めて、フェルハーンは殊更楽しそうな笑みを浮かべた。顎を反らし、目を細め、判るように口の端を吊り上げる。
 だが勿論、見た目ほどフェルハーンも余裕に満ちているわけではなかった。押し問答をしている時間は、正直、惜しい。だが、焦りを見せた時点で負けは確定してしまうだろう。のらりくらりと、持久戦に持ち込むだけの兵力を、ニコラの方は従えているのだ。
 故に内心では慎重に、フェルハーンは言葉を口にした。
「まぁ、言い合っていても埒あかないしね」
 わざとらしく、困ったような表情で間を空ける。
「強行突破と行こうかな」
 言い、相手の反応を待たずに高く、指笛を鳴らす。
 咄嗟に動揺を走らせた騎士達はしかし、すぐに多勢だということを思い出したのだろう。剣を抜き、槍を構え、馬を走らせて二人の得物を取り囲む。一糸乱れぬその隊列は、眺める分には見事だった。厳しい訓練のもと、末端に至るまでの命令系統が確立している証拠である。
 むろん、フェルハーンはそれを悠長に眺めていたわけではない。腰にしていた剣を鞘から抜き払うや、ひとり、馬から下りていたニコラを斬りつける。
「よそ見している余裕はないと思うけど?」
「くっ……」
 部下の動向に気が向いていたのだろう。肩口を薄く切り裂かれ、ニコラは憎々しげに顔を歪めた。
 その間、ゲイルもまた飛び道具を手に、応戦を始めている。卑怯寸前とも言える彼の戦法は、乱戦の中にあって非常に優位だった。もともと、正面切って戦うのは好まないのだろう。懐から荷物から、用途不明の道具を取りだしては、身の軽さを活かして馬の間を走り抜ける。
 弓をつがえたかと思いきや、放たれたのは魔法鉱石の鏃。あまりに方向違いに飛んでいったことを笑った騎士は、次の瞬間に昏倒して落馬していた。我が身に生じたことを、理解する間もなかっただろう。何事と振り向いた同僚もまた、噴出した煙に巻かれて馬の制御を失っていく。そこへ投げつけられる網縄。あっという間に脚を取られた馬は、周囲を巻き込んで勢いよく横転した。
「卑怯者……!」
 忌々しげな声を、ゲイルは当然のように受け止める。多勢に無勢、もともと人数の差を顧みれば、セーリカ軍の方が卑怯なのだ。使える手を使って何が悪いと、乱戦の中でゲイルは嗤う。
 一方、フェルハーンもまた、ゲイルの足止めをくぐり抜けてきた騎士とニコラを相手取り、一歩も引かない戦いを繰り広げていた。
 剣を受け、返す刃で斬りつける。彼はけして、力任せな攻撃はしない。時に退き、時に攻め、柔軟な体を活かした体術と、洗練された剣技を駆使して向かう者を退ける。的確に急所を突き、鮮やかに戦う姿は、剣舞にさえ見えただろう。
 次々と部下が斃されていく中、ニコラはわざと一定の距離を取って、フェルハーンに対峙しているようだった。部下を犠牲に、機会を狙っているとうことは明らかである。有効だとは判るが、人の上に立つ者の採る作戦ではない。あまつさえ、今はセーリカ勢にとって有利な状況にある。またひとり、セーリカ騎士を地に沈めながらも、フェルハーンの目はニコラをはっきりと捉えていた。
(……しかし、キリがない)
 ニコラの率いてきた軍はさすがに精鋭であり、そう簡単に倒れてくれるような腕ではなかった。戦争ではない以上、フェルハーンに明確な殺意はなく、動きを封じる手段を選んで剣を振るっている。その為、相手は攻撃を受けて退くものの、しばらくすればまた攻勢に入るという悪循環に陥っていた。ゲイルの方は着実に成果を上げていたが、もともとの人数差はそう簡単に埋まりそうにもない。
 十分、二十分と、時間が経つにつれ、さすがにフェルハーンたちの息は上がり始めていく。ゲイルの方は、なんとかして馬を奪おうとしているようだが、残っていくのは腕に覚えのある者ばかり、そう簡単に思惑に乗ってくれそうにはなかった。
 フェルハーンの額に汗が滲む。随分と涼しくなってきたことはありがたいが、日が暮れるのも随分と早くなりつつある。コートリアを飛び出したとき中天に昇っていた陽は、今は地平線を掠めていた。長引けば視界は悪くなる一方、早く決着をつけるべきだとフェルハーンは深く息を吐く。
 その時、ニコラ・セーリカの体が、ふと横に大きく移動した。
「!?」
 咄嗟に彼を追った目に、強烈な光。白く点滅する視界の中、フェルハーンは自分の体が押し倒されたのを感じた。
 肩と足に、人の形をした重石、固い地面に打ち付けた背中に鈍い痛みが走る。息を詰め、フェルハーンは歯を食いしばった。
「……案外、簡単にひっかかりましたな」
 白い靄のかかった奥に、男の顔がぼんやりと映る。
「あなたの弱点は、目だろうと思ってました」
「へぇ?」
 眉間に皺を寄せるフェルハーン。完全に動きを封じられ、剣はどこかへ弾かれてしまっている。何十分にも渡る戦闘で上がりきった息は、激しく胸を上下させた。鼓動は高く脈も速い。突然動きを止めた反動からか、指先が妙に強ばって小刻みに震えていた。
 押し返す気力はないな、と冷静に判断を下す。フェルハーンが体の力を抜いたのを感じ取ったか、ニコラは薄く笑った。
「あなたの聖眼は強烈ですが、それに頼りすぎている傾向はありませんかな?」
「言い返す言葉もないね」
「一度、手合わせ願いたいと思っていましたが、非常に残念な結果です」
「そう。私も非常に耐え難い状態だよ」
 言って、逃げられぬようにのしかかる男を、下から睨み上げる。
「悪いが、男に押し倒される趣味はないんだ。退いてくれ」
「それは聞けませんな」
 負け惜しみと捉えたのだろうか。ニコラの顔が奇妙に歪む。悦に入っているとも見下しているとも取れるその表情は、フェルハーンを怒らせるには充分だった。
 大きく息を吸い込み、フェルハーンは警告を口にする。
「死にたくなかったら、今すぐに退け」
「言われて従うとお思いですか?」
「……いや」
 緩く、フェルハーンは首を横に振った。
「では、死ね」
「!?」
 与えた時間は一秒と少し。それでも、卓越した戦士が冷静に対処していれば、退くには充分な時間だったはずである。
 だが、ニコラの動きはそれと比べて遙かに鈍重だった。身分を上にする者を斃す喜び、勝利への愉悦、そういったものが、彼本来に備わっている才能を鈍らせていたのだろう。
 フェルハーンは、確かに動けなかった。押さえ込みは完全に決まっていた。しかしニコラには、忘れていたことがあった。
 彼の背後、藍の色の濃くなった空に、突如現れた一点の光。この日最後の陽光を弾いて朱く染まる。風を切る、高く切ない音が鼓膜を打つ。
 飛来する、片刃の剣。
「――グァッ!!」
 腹の底から押し出されたような苦痛の悲鳴。
 遙か上空より、速度という力を伴ってニコルを貫いた剣は、そのまま彼を地面に縫いつけた。剣は非常に細い刀身に変化しており、当然切創範囲は狭く、刺し傷そのものは致命傷にはならないだろう。だが勢いに押されるままに仰け反った脊椎が、何らかのダメージを負った可能性は高い。彼の下半身は、フェルハーンが下から抜け出した時も全く動かなかった。
 しばしニコラを見下ろし、フェルハーンは躊躇いを見せずに剣を抜く。不思議なことに、彼の手に戻った剣は、元の片刃の形状へと瞬時に変化した。
「忘れているようだけどね。私は魔物を従えることが出来る。あれほど人を切っておきながら、刃こぼれも鈍りもしなかった剣を、おかしいとは思わなかったのかい?」
「ぐ……」
「可哀想に、痛いかい? 君が私を斃すために踏み台にした部下の方が、もっと痛かったと思うけどね」
 心から同情したような声音で言い、フェルハーンはニコラの喉元に剣を突きつけた。
「さて、――」
「団長!」
 突如上がった叫び声に、フェルハーンはちらと視線を横に向けた。ゲイルの攻勢を逃げ切った騎士が一人、地面に倒れ伏すニコラを見て狼狽えている。まさか、自軍の団長が負けるとは思ってもいなかったに違いない。確かに、ニコラが小賢しい策を弄しなければ、まともに正面から戦っていれば、或いはフェルハーンが負けることもあり得ただろう。
 今や起き上がることも出来ないニコラを眺め、フェルハーンはため息を吐いた。
「君たちの団長は負けたよ。手を引いてくれるなら、これ以上追い打ちはかけない」
「う……」


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