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 眉根を寄せながら、最後の数匹をまとめて火の渦に閉じこめる。そうしてギルフォードは、数分の間に全ての獣を炭へと変えてしまった。ある意味凄惨な始末の付け方である。優しそうに見えて、敵対する者には案外容赦がない。水を含み重くなった外套を煩わしげに払いながらも、今し方屠った敵に対する感慨は全くないようだった。
 助かったことに安堵の息を漏らしながら、フロイドはギルフォードに改めて礼を述べる。
「いいタイミングだったが……、正直、僕にもよく判らんよ。ちょっと前に、いきなり現れたみたいなんだ」
「突然、ですか?」
「ここに居たわけじゃないから、なんとも。でも多分そうだろうよ。ナナリも……、……ナナリ?」
 人の名を挙げて、そこでフロイドは、同業者のことを思い出した。獣がいなくなったにも関わらず、ナナリは戻ってきてはいない。怪我でもしたのかと思い、慌てて魔法鉱石の方を見れば、果たして、彼女はむしろ機敏に歩き回り、装置や岩の様子を点検しているようだった。彼女らしいと言えば、彼女らしい。
 そのうち、二対の視線に気付いたのだろう。振り返り、ナナリは大きく手招きをしてふたりを呼んだ。
「何、やってんだ?」
「見て判らない?」
「つか、まず無事を喜び合おうとかいう気にはならないのかね?」
「喜んでるわよ」
 表情は笑っている。陰鬱な影はない。しかし、ギルフォードに礼を言ったきり、ふたりよりも視線は魔法鉱石の方に向き続けていた。
「何か、おかしなことになってるってわけじゃないだろ?」
「当たり前じゃない。それよりも面白いことになってるわ」
「面白いこと、ですか?」
 不思議そうに首を傾げたギルフォードに、ナナリはちらと頭を回した。
「そうよ、ギルフォード。魔力の数値が上がってるの」
「え?」
「魔法鉱石の魔力残量が上がってるのよ。急に。つまり、魔法鉱石の周囲に魔力が急に満ちたことになる。魔法使いが、わざと効率の悪い魔法を使って、自身の魔力を放出しているのと同じ状況ね」
 ギルフォードは、目を見開いてナナリを見つめた。
「私たちが使った魔法は、余剰の魔力なんて殆ど無いから、空中に拡散することもない。考えられるのは、私たちが破壊したものが、魔力に満ちた物だったということだけわ」
「つまり、あの獣たちは、魔物だったということですか?」
 これには、フロイドが口を挟んだ。
「いや、崩れちゃいるが、屍体は残ってるだろ。普通の魔物なら、何も残さずに消滅する」
「ええ」
「だから多分、これは元々屍体で、中に魔物が入れられてたってことだと思う。それが攻撃を受けて、入れ物の方が耐えられなくなり、魔物が弾き出されて消滅したってのはどうかな」
「魔物が消滅し、拡散したことで、魔力がこの場に充満した……ということですね」
「それしか、考えられないだろうさ」
 魔物が自然に、獣の屍体に入ることはない。そういう状況があるとすればそれは、抗いがたい者に命令されたときだけだろう。
 抗いがたい者――聖眼。ぞっとするな、そう考えるフロイドの横で、ギルフォードは何か思案気に、眉を顰めて顎に手を当てている。彼なりに、思いつくところでもあるのだろうか。
 そのうち、ギルフォードは何かを振り払うように頭振り、改めたようにナナリに問いかけた。
「今、移動陣はどうなっていますか?」
「停止中よ。あれが魔力を放散しているうちは、あの獣が寄ってくると思ったからね。装置全部止めたから王都を循環してた魔力も当然流れを止めているはずだわ」
「では、馬しかありませんね」
「馬?」
「ええ。王宮が心配です。フロイドさんも一緒に来て下さい」
 驚いて、フロイドはまじまじとギルフォードを見つめた。一体、どちらについて驚いたのか、自分でも判っていない。
 何度も瞬くフロイドに目を落とし、ギルフォードは短く苦笑した。
「王宮の地下にも、古代の移動陣の跡があるでしょう。あそこも古くからある場所、奥深くにあるはずです」
 どこかの地下に棲みついていた獣、それと同種のものが魔法院に現れたのは、単なる偶然ではないだろう。古代の遺跡、移動陣、それを通って獣は出現した。なにしろ、前例がある。普段通っていないからと言って、古代に通じた魔力の道は完全に途絶えたわけではないのだ。
「でも、さすがに王宮に立ち入りはできなかったから、整備してないはずだぞ? 古い遺跡の魔法装置がそのまま使えた例なんかないだろ?」
「どうにかした可能性があります。どうせ壊れた代物、警備兵などついているわけありません。いえ、封じられたまま隠されているだけの可能性が高い。王宮奥に入り込むことが出来たなら、少しいじって使えるようにするくらい、できるはずです」
 誰のことを言っているんだ、とフロイドは硬い表情で口を引き結んだ。ギルフォードは、何か確信を持ちながら話をしている。
「狙いは、王宮だったって言うのか?」
「ええ。おそらく、こちらに獣が来てしまったのは、一度道が通じてしまったために、魔法鉱石の魔力に惹かれて出る場所を間違ってしまった結果だと思います」
「けど、ギルフォード。聖眼使いが、そんな初歩的な命令の失敗を犯すかな? 聖眼使いが王宮に行けと言えば、魔物は王宮に行くだろう?」
「ですから私は、これに聖眼使いは直接関与していないと考えます」
「なんだって……?」
「魔物は人の気の多いところ、つまり自然界の魔力の薄いところでは弱っていきます。消滅しないために、魔力の強いところへと移動します。故に、魔物を単に導きたいだけであれば、魔法で誘導することが出来るでしょう?」
「ああ、けど、その途中で何が起こっても、魔法使いにゃ対応できない」
「そうです。ですから、導くだけ導いて、放っておけばいい状況で使うのです。移動陣に従って送り込んだ先で、適当に暴れてくれればいい場合などに」
「!」
「……なるほどね」
 思い至ったフロイドの気持ちを代弁するように、ナナリが大きく頷いた。
「正直、なんでこんなところに魔物が送り込まれたのかって思ってたわ。間違って来たってのなら、頷ける。……その考え、前のザッツヘルグの街が襲われた件から得たのかしら?」
「ザッツヘルグって、フェルハーン殿下が魔物を呼んで襲ったって、あれか……?」
 ぎよっとしたように、フロイドは目を剥いた。ギルフォードは苦笑する。
「そこから考え出したわけではありません。しかし、あれも同じ方法を採ったのでしょうね。魔物が力尽きる前に、殿下が消してくれただけで」
「ちょっと待て。それじゃ、仮に王宮に魔物が出たとしたら、制御する奴がいないってことじゃないか。僕が行って、どうなるってんだ?」
「フロイドさんは、救護要員ですよ。おそらく、戦力はそう要らないと思います」
「でも、魔物が居るってのが大前提だろ? なのに、戦わなくていいってことか?」
「はい」
「……わけ、判らんな。ギルフォード、ちゃんと説明してくれないか?」
「行ってみれば判ります。正直、私の予測は、馬鹿馬鹿しい程に有り得ないもので、外れた場合に言い訳が立ちませんので」
 頑なな言葉に、フロイドは顎を引いた。ギルフォードは魔法院の長だが、けして独断の人ではない。仲間に何か呼びかけるときは必ず、相手の都合と言い分を聞いて、互いに納得できるように根回しをする。その彼がこのような態度をとるということは、余程の内容なのだろう。
 嘆息したのは、ナナリだった。
「行ってやりなよ。私はここで対応してるから」
「すみません。もしかしたら、一番面倒なことを押しつけているかも知れません」
 魔力の供給が絶たれたことで、王都中の魔法装置も止まってしまっているだろう。装置の存在が生活の一部になりつつある王都では、この先、特に夜になれば更なる混乱が起きること想像に難くない。
「要は、移動陣の動きだけ止めればいいわけだしね。出勤してきてない連中集めて、王都中の移動陣を片っ端から個別停止させていくわ。そうしたら、魔法鉱石の緊急停止も解除していいわけだしね」
「はい。――すみません」
 王都は広い。馬や徒歩で移動するだけでも一手間だろう。それをわざと、簡単なことのように請け合ったナナリに、ギルフォードは深く頭を下げた。
 そうして、再び背を伸ばしたときに彼の顔に刻まれた憂いが、今後の混乱を予想させる。
「……何事も、ないといいのですが……」
 それは、願いに近かった。

 *

 案の定、とでも言うべきか。馬を駆って王宮にたどり着いたギルフォードが見たものは、地獄絵図に近い有様だった。こちらには、半獣半魔の生きた屍ではなく、正真正銘の魔物が入り込んでいたらしい。
 美しかった宮殿は、無惨なまでに荒れ果てていた。壁は至る所陥没し、美しい文様が描かれていた絨毯は破れ、解れ、泥とも体液ともつかぬものに汚れ、むき出しの床は凹み、ひび割れている。天井を豪奢に飾っていた繊細な細工の照明器具は、根元から折れて壁際でひしゃげ砕けていた。等間隔に飾られていた絵画は、壁と運命を共にしている。芸術家が見れば、さぞ盛大に嘆いたことだろう。
 王宮の上を支える柱と、肝となる梁が損傷を受けていないのは幸いか。
「人、いないな」
 ぼそりと呟かれたフロイドの言葉に、ギルフォードは歩きながら頷いた。フロイドの言うとおり、建物は壊滅的に破壊されているにも関わらず、倒れている者や怪我をしているものに全く出くわさないのは不思議だった。所々粘液のようなものが飛び散っているが、明らかに人が傷ついた結果に生じるものではない。よくよく目を凝らせば血痕も落ちていたが、せいぜい浅い傷から染み出た程度、指を切ったと言われれば納得してしまいそうな微量に過ぎなかった。
「上を見に行きましょう」
「一階の部屋は見て回らなくて良いのか?」
「ええ。魔物に、扉を開けて侵入してまた丁寧に閉め直すという意思はありません。壊れてはいますが完全に破壊されていない以上、中に人が居たとしても無事でいるでしょう」
 フロイドが頷いたのを認めて、ギルフォードは階上へと続く階段を駆け上がった。
 二階部分も、ほぼ同じ様相だった。違うところと言えば、そこに加害者――魔物が存在したことだろう。そして当然、それから逃げ回る者も居た。
「た、助けてくれっ!」
 上擦った悲鳴を上げて逃げ惑うのは、王宮魔法使いだった。魔法使いのエリートであり、地位としては魔法院の長であるギルフォードよりも高い。厳正な資格審査の上で初めて得られる職だったはずだが、この見事な逃げっぷりはどういうことだろうか。


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