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「好意的に見れば、魔力切れってところでしょうけど……」
「莫迦言え。魔力が底を付いた状態で、あんなに元気いっぱいに逃げ回れるもんか」
 魔法使いの体は、通常の人と比べて抵抗力が高い。体を動かすエネルギーに加え、魔力がそれを補佐しているためだ。自然治癒力が高く、肉体そのものの頑健さが劣っていても、体力の回復が早い。だがその分、体内の魔力が残り少なくなると、いくら体力に余裕があろうと、身体の方は異常を来してしまうという欠点もある。
 故に、走り回って悲鳴を上げている王宮魔法使いが、限界まで戦った状態という結論には至らない。
「魔法使い審査の基準、見直した方がいいみたいだな」
 ぼやき、王宮仕えは面倒だと、推薦枠すら蹴った男は苦笑した。
「助けた方がいいかな?」
「彼らを助ける必要はありませんが、魔物は追い払うべきでしょう。あの様子では、やはり制御された状態ではないと思います」
 さらりと辛辣な言葉を吐き、ギルフォードは空中に指で魔法式を描いた。見ることのない文字列が残像と共に消えていくにつれて、空気が重さを増す。ほどなくして周囲に霧が発生した。濃霧に近い。
「ひっ……」
 王宮魔法使いの方からは、ギルフォード達が見えなかったのだろう。急に視界を遮る不可思議な靄が立ちこめたため、彼らは更に混乱を来したようだった。
 天井に頭を付けそうな程巨大な魔物は、不思議そうに周りを見回している。勿論、ダメージを受けた様子はない。
「……何をする気だ?」
「とりあえず、身を守る結界を張っていて下さい」
 言われたとおりに、フロイドは短く魔法式を口にした。淡い光が、一瞬だけ彼の体を包む。少し離れた場所もぼんやりと光ったのは、フロイドが王宮魔法使いたちにも同様の結界を張った為だろう。さすがに、本気で彼らを見捨てる気はなかったギルフォードとしては、苦笑するしかない。
「お……?」
 短く、フロイドが声を上げた。
 ギルフォードが魔法式を口にするにつれて、更に霧は濃くなっていく。既に、霧雨の中にいるような状態で、どこもかしこもがしっとりと水滴を表面に貼り付けている。結界を体の周りに展開していなければ、ギルフォードやフロイドも水浸しになっていただろう。
 では、とギルフォードは短く息を吸い込んだ。右手を開いたまま前に突き出し、そうして、鍵となる式を声高に告げる。
「凍り、凝りなさい」
 言うや、硬く拳を作る。途端――、
「わっ!」
 フロイドが、悲鳴を上げた。
 強烈な、追い風。魔物が居た位置に吸い込まれるように突風が吹き抜ける。同時に晴れていく視界。だが、耳に入るのが水音ではなく、石礫を壁に向けてぶちまけたような硬い音だった。硝子が割れるような、儚くも高い音が連続して空気を裂く。轟々と鳴る、腹の底から冷えそうな風の中、ギルフォードは凝っと引力の中心点を見つめていた。
「フロイドさん、矢を」
 念のためにと魔法院から持ち出した実用一辺倒の弓矢を、フロイドはかじかむ手で背中から外した。それを受け取ったギルフォードは、前を見据えてまま弓に矢をつがえてタイミングを見計らう。
 壁という壁、床という床に霜が降りている。その中心部分に、今や凍り漬けになった魔物の姿が、天井までの異様な柱のように存在した。まだギルフォードの魔法は効力を失ってはいない。だが早くも、魔物を固めた氷は、ある一点から溶け始めていた。
「……そこですね」
 呟き、ギルフォードは矢を放つ。
 狙い過たず、唸りを上げて一直線に飛んだ矢は、見事に魔物へと突き刺さった。人で言うなら右足の膝、丁度、内側から氷が溶けていた部分である。
 唸りは、聞こえなかった。声を発する器官までが凍っていたのだ、体の内はともかく、発する穴は塞がれていてはどうしようもない。故に、魔物は断末魔を上げることすら出来なかった。
 ピシリ、と高い音が鳴る。矢の突き刺さった部分から罅が入り、それは瞬く間に、放射状に魔物の上を走り抜けた。直後、何かが抜け落ちたように、魔物の形をした氷が、細かく砕けて床を叩く。
「……抜け殻、みたいだな」
 歯の根を鳴らしながらのフロイドの感想は、実に的を射ていた。既に魔物の姿は大気に溶け、それを固めていた氷が、張り付いていたものを失って崩れ落ちたのだ。
「あっさり、って感じだったけど、対策でも立ててたのか?」
「当然です。魔物が身近に現れる可能性があるなら、遭った時にどうするか、普通、考えるでしょう?」
「普通は、遭わないようにするにはどうするか、って考えると思うが……」
 腑に落ちない表情で、しかしフロイドはほっとしたように息を吐いた。
「まぁそれはともかく、あの王宮魔法使い、どうするんだ?」
 腰が抜けたように座り込み、わなわなと震えている魔法使いふたりを、フロイドの親指がうんざりとしたように指し示した。内ひとりの、失禁している様に顔を歪め、ギルフォードは肩を竦める。
「勿論、尋問しますよ」
「え?」
 言うが早いか、ギルフォードは足早に魔法使いに近づき、目線を合わせるようにしゃがみこんだ。涙と鼻水に汚れた顔を、ふたりの男が彼に向ける。
「あんた、魔法院の……」
「ギルフォード・ブライです。それよりも、王宮魔法使いが、皆避難した場所に、何用ですか?」
 むしろ、自分たちの方が、許可なしの侵入者であることを棚に上げ、ギルフォードは殊更に冷たい口調で問い詰める。
「王宮の警備の者も撤収している状況なのに、まさか、おふたりで魔物退治ですか? 上司のエルマン・チャックどのはどうされました?」
「我々は……」
「それとも、魔物を呼び込んだはいいが、思った以上に上手く誘導できず、そのうち自分たちが襲われ始めて、どうしようもなく逃げ回ったということでしょうか?」
 努めて、冷静な声で告げた内容に、魔法使い達はぎよっとしたように目を見開いた。後ろに立つフロイドもまた、驚いて息を詰めている。
 そうそう、とギルフォードは口元だけに笑みを浮かべてみせた。
「殿下がザッツヘルグの街を襲ったとされる件で、軍の魔法使いが『殿下が魔物を呼び出した』と証言したそうですね」
 突然振られた、なんの関係もない話に、言った本人以外は面食らったように何度も瞬いた。
「既にお亡くなりのようで、詳しく話を聞けないのが残念ですが……」
「そ、そうだ、酷い暴挙だったらしい」
「しかし、どうもおかしいのですよ。ザッツヘルグが正式に雇っている魔法使いの数が、減ってないのです。代わりに、その頃を境に急に辞めていなくなった王宮の魔法使いが、3人も。妙な符合だと思いませんか?」
 話題が逸れたとばかりに勢い込んだふたりは、ギルフォードが言わんとすることを察したのだろう。蒼褪め、また視線を無意味に彷徨わせながら、何度も口を開閉させる。
 我ながら意地が悪い。そう自覚しながらギルフォードは、殊更に粘っこく言葉を重ねた。
「たまたま居合わせた王宮魔法使いが証言するのを、現地の兵が同じ魔法使いの括りで勘違いしたのでしょうか?」
「へ、あ、……そ、そうだ、そうに違いない」
「そうですか。では、質問ですが……」
 わざとらしく不思議そうに、ギルフォードは眉根を寄せる。
「旅先で偶然魔物に出くわしてお亡くなりになった王宮魔法使いが、何故数日後に辞表など出せるのでしょうか。妙な話ですね」
「……」
 狼狽えたまま、魔法使いは口を閉ざした。
 黙り込んだ魔法使いに、ギルフォードは苦い思いを込めた目を向ける。フェルハーンが白だと知っているからこそ、証言の矛盾から逆に辿り得た結論だったが、出来れば外れて欲しかったという思いがあった。辞表を出し去った者と、今目の前にいる者の王宮内での立場や魔法使いとしての資質は、イデアの店を介して情報を得ている。最後にアリアと会った少し前に受け取った資料は、彼らの交友関係に至るまで詳しく記されていた。
 思い返し、ギルフォードは一度目を閉じる。そうして、次に開けたときには、彼の目は普段からは想像も出来ないほど鋭いものに変わっていた。
「エルマン・チャックどのの横暴ぶりは、聞き及んでいます。しかし、その捌け口としては、無関係の者を巻き込みすぎじゃありませんか……?」
「ひっ……」
 ギルフォードの纏う雰囲気に気付いたか、魔法使いは喉から嗄れた悲鳴を上げた。
「こ、こんなになるだなんて、思ってなかったんだ。俺たちは悪くない!」
「悪いに決まってます。自分たちの扱うものの危険性に気付かなかった、あなたたちが悪い。安易にも程があります」
「悪くねぇ。魔物は姿を見せるだけだって、聞いてたんだ! それをエルマンの野郎に見せて、慌てる様を嗤うつもりだっただけだ! それが……それが、なんでこんなことに」
 己のしでかしたことの重大さに、はじめから騙されていたなどという発想には行き着かないで居るのだろう。哀れだと思いつつも、ギルフォードはふたりに蔑みの視線を落とした。
 悪いことだと、それの及ぼす結果を判っていながら事を起こす者には、それなりの覚悟がある。それがけして、一人には背負いきれない罪を負うことだとしても、その者なりの理由があるのなら、その分の罪は差し引いて考えてやるべきだろう。だが、この男たちには、それすらもない。
「魔物のような危険なものを扱う人間を、何も考えず信じたと? 代償に、その者が何か要求してきましたか? 何もないでしょう。何故ならその者は、王宮に残った遺跡を修復して、魔物を呼び出す受け皿を作らせるだけで良かったのですから。あなた方はまんまと、悪事の片棒を担がされたのですよ」
 容赦なく、ギルフォードは真相を魔法使いに突きつける。
「その結果が、この様です。責任、どうすれば取ることが出来るか、よく考えることですね」
「俺たちは、悪くねぇ! 被害者だ、なぁ、そうだろう……」
「さて、それは私の関与するところではありません」
 言い切り、鋭い目で挙動不審な男を睨み遣る。
「それよりも、魔物が出た後に、あなた方はきちんと移動陣を閉じておきましたか?」
「あ……」
「ならば、あなた方が修復した移動陣の場所を教えなさい」
「それは……」
 この期に及んで言い淀み、狼狽えた目を見合わせるふたりに、遂にギルフォードの怒りは頂点に達した。無抵抗な相手の胸ぐらを、首を絞める勢いで掴み上げる。
 悲鳴を上げ、魔法使いは着ていたローブの、股間の辺りを一気に湿らせた。脚を伝い垂れる雫が、汚れきった床に更なる染みを作る。それには目もくれず、ギルフォードは魔法使いを、叩きつけるように床に落とした。
「言いなさい! あなた方は、これ以上の罪を重ねるつもりか! 移動陣から更に魔物が送られる可能性を、考えてないとでも言うのですか!」


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