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「ひっ……」
 ひとりは這い蹲り、ひとりは後ろ向きに後退る。魔物に次ぐ恐怖、魔物すら容易く斃してしまったギルフォードの実力を、今し方の暴力で思い出したのだろう。
 立ち上がり、ギルフォードはフロイドへと向き直った。
「聞いての通りです、フロイドさん。予想外に、魔物は聖眼からの束縛を抜けつつあります。おまけにまだ、移動陣の口は閉じられていません」
「……先に、破壊しに行くしかないな」
 不穏な口調で、フロイドは唸る。
「お前たち、選択肢をくれてやる。今すぐ殺されるか、お前達の細工した移動陣の場所を教えるか、どちらか選べ」
「言う、言う、言うから、殺さないでくれ!」
 話しかける主が代わった為だろう。顔を引き攣らせながらも、魔法使い達は必死でフロイドの言葉に縋りついた。
「一階の階段と階段の間に、か、隠し通路がある。その、さ、先に、……」
 ギルフォードは、フロイドと顔を見合わせた。半ば崩れかけていた階段を思い出し、さすがにその裏にまで回って見てはいなかったことを思い出す。だが、今までにも何度か王宮を訪れたことはあるが、隠し扉に気付いたことはない。余程、巧妙の隠されていたのだとすれば、遺跡の移動陣の元々の使用用途は、王族のための緊急避難経路だったと取るべきである。かつては、魔法院にある遺跡にも繋がっていたのだろう。
 おそらくは直系の王族しか知り得ない、王宮にあるいくつもの隠し通路の存在を、何故魔法使いが知っていたのか、――彼らに教えた人物が知っていたのか、それを考えるに、ギルフォードの顔が歪む。まさか、と思っていた推測は、こうして段々と、確信に近づいていく。
「……行きましょう」
 去りがけに、フロイドはふたりの魔法使いを昏倒させたようだった。ギルフォードは既に、彼らに興味をなくしている。あれ以上の情報は、聞いたところで満足な答えなど返ってこないだろう。
 少し前に昇ったばかりの階段を逆走しながら、フロイドがため息を吐く。
「まったく、移動陣を直しているとか、気付かなかったのかね」
 これにはさすがに、ギルフォードも苦笑した。フロイドならでは科白とも言える。
 遺跡に残されている魔法式は、現在魔法使いが使っているものよりも遙かに複雑で、解明できていない部分が多い。ギルフォードやフロイド、ナナリが、移動陣の式も模倣し、完全に意味を理解しないまでも、間違いなく使用できるようにするまでに、数年の歳月を要した。そこまでしても、古代の魔法装置には全く及ばない、必要最低限の機能しかない、劣化版しか出来なかったのだ。
 これをこの通りに直せ、と言われて、それを読解できるものなど、そうそうに居るものではない。
「何の式かも理解せずに、魔法を発動させた時点で、僕としては奴らを殺してやりたいくらいだ」
「『魔法は人外の法、人を殺めるに使用する事なかれ』ですか?」
 数代前の、偉大なる魔法使いが残した言葉である。魔法の威力は非常に強力で、その殺傷能力は計り知れない。余程の卓越した身体能力と武器を操る技を持っていない限り、回避する手段はないと言って良いだろう。それは言わば、大量虐殺をも可能にする、人の手にある中での最狂の凶器。
 武器には間合いがある。数メートルも離れれば、逃げることは出来るだろう。だが、魔法は、逃げられないようにすることも、一度に何百人もの人間を殺すことも可能である。ルセンラークの村がそうであったように。
 だからこそ魔法使いは、特に、力の強い魔法使いは己を制御し、能力よりも心を鍛えなくてはならない。安易に、滅茶苦茶な魔法式を唱えたり、思い上がりで強い魔法に手を出してはいけないのだ。
「権力と同じだ。強い力を持った者は、それが他人に与える影響を、よりしっかりと、考えて行動しなきゃいけないんだ。浅はかな考えで人の言うなりに魔法陣を作り直すなんか、言語道断だ」
「ええ、そう思います。ですが、彼らも王宮魔法使い、どう処理するかは、陛下に委ねましょう」
 余程腹に据えかねたのだろう。渋々といった呈でフロイドは頷いた。
「それよりも、あそこのようですね」
 前方、ギルフォードが指し示した先の壁に、大きな亀裂が生じている。二次的倒壊を警戒しながら瓦礫を跨ぎ、その奥へと入ったふたりは、同時に目を見開いた。
「……エルマン!?」
 驚愕に近い声を上げたのは、フロイドだった。犬猿の仲に近い間柄であるが、国内にも数少ない魔法使い同士、そこそこの交流はある。比較的新参者のギルフォードより、ふたりの付き合いは長く、そのぶん複雑なのだろう。
 傾斜のついた暗い通路を、ギルフォードは先導して進んだ。そこかしこが崩れ、予想外に障害物が多い。めくれ上がった床板が特に不安定で、普段あまり運動をしないフロイドに先を任せるわけにはいかなかったのだ。本人もそれと認めているのか、不平も言わずにギルフォードの後に続いている。
 エルマンが倒れていた場所までの距離は、目算よりも遙かに長く、辿り着いたときにはフロイドも息が切れていた。
「エルマン」
 呼びかけに、呻く声が聞こえる。
「しっかりして下さいよ。――あんたほどの人が、何やってんです」
「……フロイドの小僧か」
 薄く目を開けたエルマンは、フロイドに気付いて幾分驚いた声を上げた。言葉面は悪いが、気勢はない。相当に消耗していることは明らかだった。
 エルマンの全身を素早く観察し、さしたる外傷がないことを確認して、ギルフォードは息を吐く。自慢とする王宮筆頭魔法使いの装束は汚れきっているが、己の身はしっかりと守っていたようだ。いけすかない人物ではあるが、魔物が出てきた場所にいてほぼ無傷という状態はさすがと言うべきか。
 緩慢な動きで禿頭を振り、エルマンは苦々しげな息を吐き出した。
「くそ、……儂としたことが」
「何があったのですか」
「魔法院の小僧か」
 エルマン・チャックは五十を過ぎている。小僧でひとくくりにされても仕方がないかと、ギルフォードは小さく肩を竦めた。
「上の階で魔物を見ました。あれはここから出現したのですか?」
「仕留めたのか?」
「はい」
 即答に、エルマンは満足そうに目を細めた。
「見たところ、魔法陣は破壊されているようですが、貴方が?」
「当たり前だ。こんなもの、残っていたことに気付かんかった自分が憎いわ! おまけに、後始末に小僧の手を借りねばならんと来た。ええい、腹の立つ!」
 ぜいぜいと息を吐きながらも拳を振るわせるエルマンを見て、ギルフォードは幾分、彼への評価を好ましい方に修正した。傲慢で金と権力に汚く、世俗にまみれきった男ではあるが、根底で己の職務を忘れてはいなかったらしい。そうして、魔法使いとして持つべき誇りも、自制心も。
 正直なところ、ここに至るまでギルフォードは、エルマンもまた敵に回る人物だと思っていた。王宮魔法使いが彼にとっての敵対勢力に関わっていることは明白で、つまり、その頭領たるエルマンも一枚噛んでいると踏んでいたのだ。
 だが、どうも、エルマンのあずかり知らぬところで裏切りが発生してようである。部下の管理不行き届きと言ってしまえばそれまでだが、それは今議論する内容ではないだろう。
 ギルフォードは、エルマンが悪態を吐き終えるのを待って、本題を持ち出した。
「失礼ですが、エルマンどの。あなたはここで、魔物だけを相手にしたわけではないでしょう?」
「……お主」
「ひどく魔力を消費しておいでです。逃げた魔物と遣り合った結果だとすると、少しおかしいのです。散々自分を傷つけた挙げ句、弱った人間を放置して、魔物が去っていくはずありません」
「……」
「魔物と共に現れた者が貴方を足止めし、魔物は去ったのではありませんか? 貴方はその人物と戦い、消耗なさった。しかし、止めは刺されておりません。それは何故か。推測ではありますが、今、貴方は――」
 言いかけたギルフォードを睨み、エルマンは制止するように手を上げる。言われたくないと言うよりも、言われる必要を感じていないという様子だった。
「お主、どこまで何を知っておる?」
「――少なくとも、貴方の知っていることよりも、多くのことを」
「小僧が、言いよるわ」
 不愉快気な響きはしかし、エルマンを納得させたようだったと判る。――否、ギルフォード以上の適任者を思いつかなかったのかも知れない。
「小僧ども、よく聞け――」
 苦しげに眉根を寄せながらも、真正面からギルフォードとフロイドを見据え、エルマンは口を開く。
 そうして、言葉にされた人物は、ギルフォードを頷かせ、フロイドを真っ青にした。
「奴の狙いは、判っておろう」
「……はい」
「手強いぞ、行くのだな?」
「はい」
 返事は、短い。躊躇いなく頷いたギルフォードに向けて短く舌打ち、やがてエルマンは服に留めていた王宮魔法使いの身分証を放り遣った。反射的に受け取り、ギルフォードはまじまじと彼を見つめ遣る。
「使え。王宮魔法使いの詰め所から、王が執務を執る中央区への直通通路が開く」
「……良いのですか?」
「それ、あんたが必死に守ってるもんでしょう。返しはしますが、後で何か要求しませんよね」
 後ろからのフロイドの言葉に、さすがにエルマンも、むっとしたようだった。
「するか、こんな状態で。自棄になっとる決まっとる」
 それに、と彼は言葉を続けた。
「儂にもさすがに、王に寄生しとる自覚ぐらいあるわ」

 *

 一方、崩壊していく宮殿の階上。避難した文官と女官、それを守る警備の騎士は、階下から響く音に身を竦めながら部屋に閉じこもっていた。大半は騎士や王宮魔法使いの誘導で城外へ逃げていたのだが、途中から、肝腎の移動陣が動きを止めてしまったのだ。同じく逃げ遅れた魔法使いの分析によれば、どうも、根本からの魔力の供給が絶たれているらしい。
 魔法院にも襲撃が加わったのでは、と皆が蒼褪める中、国王は近衛騎士に、避難できる道を確保するように命じている。各方面、多少の危険を含めて道を作るように模索されているが、なかなか、芳しい情報は得られなかった。
「陛下、結界がまたひとつ壊されました。ここのあたりももう、持ちません」
「……テイラー・バレイとの連絡は?」
「総司令官はティエンシャとエルスランツの競り合いの調停に……。戻られるのは、早くても明日です」
「エルマンは?」
「行方が知れません。王都の警備も人手が足りず、……援護は期待できません」
 どうか、逃げて下さい。
 近衛騎士の表情を読み取った国王は、しかし、緩く首を横に振ることで拒否を示した。彼の隣には、そうと認められていない妻子が、精一杯毅然とした態度で祈りを口にしている。


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