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 困ったように顎に手を添え、眉尻を下げて国王は奮戦する騎士達を見つめた。自らの意志のもと、騎士の名に恥じぬようにと戦う姿は、彼の目にも眩しく映る。
 だが、状況は芳しくはなかった。隠行しているらしき敵、おそらくは魔物を前に、明らかに不利を強いられている。布で覆えば一時的に姿を示すも、剥がれてしまえばたちどころに所在を失う。その僅かな間に集中的に加えられる攻撃はしかし、魔物にとって重傷にもなっていないことは明らかだった。
 人や獣の急所は判る。しかし、魔物のそれは個体によって差もあれば、当然何処と示す目安もない。それを瞬時に判断できるのは、聖眼の持ち主だけなのだ。故に人は、魔物との戦いに於いて常に劣勢を強いられる。
「ヨゼル、城内に他に人は?」
「逃げました。少なくとも王宮からは出たでしょう。その後のことは保証しかねます」
 自らも剣を手にしながら、この騒ぎに、根本では全く関与しない女官や文官が逃げられたことに胸をなで下ろす。王宮などいくら潰れても建て替えることが出来るが、失われた人材が戻ってくることはない。
「なら、お前達も退去を」
「陛下!?」
「目的とされるところは私だ。国王ではなく、ハインセック・エルスランツ・クイナケルスという一個人への恨みだ。このまま王宮を出て市街に逃げたところで、奴は追ってくるだろうよ」
「奴とは……」
「先ほどからここにいる。魔物と同じく、隠行しているようだな」
「!?」
 襲い来る炎の渦を躱しながら、ヨゼルは何とも言えない顔で国王を凝視した。
「そういうこと、知ってたなら言って下さいよ!」
 言ってから、はたと口を噤む。文句を言う相手がいつもの団長ではなく、国王であることを思い出したようである。
 そんなヨゼルを面白そうに見つめながら、悪びれるでもなく国王は真顔で謝罪を口にした。
「すまん」
「え、いや、その、……失礼を、申し上げました」
「改まった場でもあるまいし。私も三年前までは無職だったんだ。たかだか三年で『国王』に成れるわけもない。フェルハーンと同じで構わんから、楽にしたまえ」
「は、はぁ……」
 面食らったように、ヨゼルは曖昧に頷いた。そこに、よく知った声がかかる。
「副団長! あっちはあらかた片付いたっすよ! 獣ももう、出て来んようです!」
「ネイトか!? 丁度良かった、こっちも手伝え!」
 僅かながらの朗報に、ヨゼルはほっとしたような息を吐く。ネイトは、彼の後ろにいる国王を見てぎよっとしたようだった。
「ちょっ……、陛下見つけたんなら、さっさと退散すりゃいいじゃないっすか!」
「できねぇから言ってんだろうが! 本当に何もいねぇか、よく見やがれ!」
 売り言葉に買い言葉とはこのことだろう。大国の王都守備を任される花形騎士団の、副団長にはあるまじき言葉遣いに、国王は思わず吹き出してしまった。途端、ヨゼルのバツの悪そうな、情けなさそうな顔が向けられる。
 怒鳴られた方はと言うと、慣れているのか、照れ隠しのように笑って両肩を竦めた。そうして、背後を振り返る。
「こっちにも魔物いたみたいっすよ!」
「誰か居るのか!?」
 驚いたような声に、国王は首を傾げた。気付いて、ヨゼルは彼に戸惑いを含んだ視線を向ける。
「ここに来ている中で、彼より階級が上なのは私だけです」
「ああ……」
 随分砕けているとは言え、ですます調の言葉を部下に使うのはおかしい。近衛騎士は役目上富裕層の子弟で埋められており、そこそこの腕は持つものの、魔物相手に他騎士団の者に当てにされるほどのものはないだろう。王宮警護の兵は官吏を誘導して、とうに城外へ退避しているはず。――否、そういった役目がなかったとしても、今は「彼」の為に、王宮警護に当たる兵は事実上無力化している。
 では、誰が――
「陛下!」
 国王に迫った火炎を、ヨゼルが剣の腹で弾く。火花を散らし上下左右に流れる炎。どうやら彼の剣には、魔法がかかっているらしい。
 だが、火勢は強い。そこに加わる風圧、そして迫り来る見えない魔物。騎士達も変わらず奮戦はしているが、やはり魔物相手には分が悪い。せめて、それを隠している魔法使いを倒すことができたなら、と国王は暗くなりつつある広間に目を走らせた。
 玉座を眺めていたとき、確かに気配はあった。魔物の放つものとは別の火炎が攻撃にある以上、まだこの場に留まっているのは確かである。
 どこに、と探す国王の目の前に、突如飛来する無数の石礫。赤く黒く熱されたそれは、避け損なった国王の服を灼く。魔法処理されたコートがどうにか防いでいるものの、真正面からの攻勢に、視界は完全に遮られてしまっている。
「陛下!」
 悲鳴に近い、ヨゼルの声。ちらと目を横に向けた国王は、そこに迫り来る風圧に、押さえようもない戦慄を覚えた。人間、どんな修羅場を抜けて来ようとも、命の危機に面したときの恐怖は抜けないものらしい。
「っ!」
 鋭い風の刃に、コートが切り裂かれる。咄嗟に剣を横に向けると、高い音が響いた。高圧縮の風は勢いを削がれ、横に逸れ、壁際に置かれたままの椅子を砕く。
 ひとまずの危機を回避し、国王は息を吐く。だがそれも束の間、短くなったコートの間から、高熱を宿した礫が、意思ある獣のように襲い来た。
「!」
 再び、声にならない叫び。防ぐ術はないと、国王は目を堅く瞑る――。
「散りなさい!」
 突然、鋭い声が響き渡った。炎の手と魔物により崩壊の危機に瀕している広間に、清涼な風が吹き抜ける。柔らかなはずのそれはしなやかに部屋中を駆けめぐり、炎と礫を包み込むようにして勢いを削いだ。勢いのあるものには絡みつくように、熱を伴うものには幾重にも覆い被さるように、静かな力はしかし、凶暴な魔法を完全に相殺した。
 魔物もまた、空気という、正真正銘目に入らないものに束縛され、咆吼を上げている。そこに降りかかる、カミソリのような、細かくも鋭い氷の刃。
 そこで初めて、広間にいた騎士たちは、魔物の全容を知るところとなった。
「蛇か……!」
 十数メートルもの巨大な胴をくねらせて、魔物は己を突き刺す氷から逃れようと這いずり回っている。鱗の隙間に刺さったのだろうか、幾つもの黒い筋が流れ、小さな玉が飛び散った。その度に、魔物は苦悶の声を上げる。
 高く強く、魔法式を口にする人物を探し当て、ヨゼルは驚いたように目を見開いた。
「ギルフォードさん!?」
 国王もまた、ヨゼルにつられたように戸口付近に目を向けた。現れた男、煤に汚れ、髪を乱しつつも、その美貌は間違えようもない。彼の後ろにいる痩せた男もまた、見覚えがある。
 突然現れた思いも寄らぬ援軍に、立場ははっきりと逆転した。
「凄まじいな」
 魔法の効果に、その攻撃力に、国王は憧憬にも似た色を浮かべる。しかし、手に入れたいとは思わなかった。強大過ぎる力は、国王という権力だけで充分である。それ以上のものは、己の身に過分なもの。正しく使う精神がなければ、力はただの暴力と化す。
 今やギルフォードという加勢に押されている魔法使いもまた、優秀な人材だった。どこでどう道を間違えたか、それは聞いても栓のないことだろう。同じものをみたところで、同じ考えを抱くとは限らない。
 ギルフォードの攻撃魔法は苛烈だった。魔物に反撃の余地も与えず、四方八方から風と氷が襲い切り刻んでいく。やがてその中のひとつが体の一部を掠めたとき、魔物は一際高く、切ないまでに鋭い悲鳴を上げた。
 勿論、それを見逃す者はこの場にはいない。
 一瞬の間、直後、ネイトの一閃が、正確にその場所を切り裂いた。少し遅れて、いくつもの矢が突き刺さる。
「還りなさい!」
 追い打ちを掛けるように、ギルフォードが腕を振り下ろす。それに合わせて生まれた風の刃は、魔物の胴を真二つに分断した。
 短い、断末魔。大気を震わせるそれを苦い思いで聞きながら、国王は、魔物の消滅を目に焼き付けた。割れた胴から霧散していく魔力の霧。砕けるように溶けるように、空中へと消えていく。
「今の内です、早く!」
 ヨゼルの声に我に返った国王は、ギルフォードがまだ、魔法を使い続けていることにようやく気がついた。敵は、魔物だけではなかったということを思い出す。
「陛下、ここは私が食い止めます。退避なさって下さい!」
 さすがに疲れた様子を見せながら、ギルフォードが離れた位置から国王を促した。シクス騎士団の面々が大きく頷き、国王のために道を開ける。
 だが国王は、緩く首を振った。
「先ほども言ったが、逃げてどうなるものでもない。市街で攻撃を受ければ、何の関係もない者が傷つくだろう」
「私が、陛下に敵対する者を倒します」
 ギルフォードが駆け寄り、国王に道を示す。だが国王は、動こうとはしなかった。
「無理だ」
「何故、決めつけなさる?」
「お前では勝てない。その理由を知っている」
 ギルフォードだけではない。今、件の魔法使いに勝てる人間はいないだろう。それほどまでに、彼の手にしたものは危険だった。
 だが、こんな言い方では、ギルフォードは納得しないだろう。そう思いつつも、国王は顔を上げた。
「魔物はお前たちが倒してくれた。暴走して街に被害を出すことはないだろう。だから、お前達も」
「知っています」
 勁い言葉に、国王は何度か瞬いた。
「勝てない理由は知っています。ですが、今はそんなことはどうでもいい……」
「では」
「莫迦言わないで下さい!」
 常のギルフォードにはない剣幕に、そうとは知らぬ国王も気圧される。
「貴方が亡くなれば、魔物を操る輩も大人しくなるかもしれませんが、それでは意味がないんです。貴方は何人を犠牲にしようと、生きなければならない」
「国は民のためにあり、国王もまた、民に支えられている。逆はない」
「貴方に生きろと、その国民が言ってるんです! 泣いて喜んでもらっても罰は当たらないと思いますがね!」
 ――国王は、ぽかん、と口を開けた。それを見て、言い切った方のギルフォードが蒼褪め、口を手で押さえている。大国の国王相手に、不敬とも言える言葉で怒鳴り散らしたのだ。幾ら切羽詰まった場とはいえ、慣れ親しんだ側近でもない彼に、黙って許される失態ではない。
「……ご無礼を、申し上げました」


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