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 取り繕うギルフォードと、目を見開いたままの国王を交互に見遣り、シクス騎士団員はハラハラとした表情のまま成り行きを見守っている。
「しかし、国民としての言葉でございますれば……」
「……ああ」
 腑に落ちたように、国王は頷いた。
「悪かった」
「え?」
「私の悪い癖なんだ。私自身のことを軽く考えすぎていると。それでいつも、フェルハーンに叱られる」
 どう返せばいいのか、判らないのだろう。困ったような複数の視線に、国王は苦笑した。
「出よう。殿は、お前に任せてよいか?」
「はい。仰せのままに」
 躊躇いなく答えたギルフォードに、国王は満足気に頷いた。芯があり、度胸もある、いい男だと思う。死なせるには惜しい。
「無理はするな。お前もまた、傷つけば悲しむ者がいるはずだ」
「……はい」
 頷き、頭を垂れ、そうしてギルフォードは無駄のない動きで立ち上がると、背後の痩せた男に振り返った。
「フロイドさん、もう魔物はいないと思いますが、よろしくお願いします」
「ああ、判ったよ」
 気楽に手を振り、フロイドは身を翻す。それに続いたシクス騎士団員は、口々にギルフォードに礼を述べて、来た道を引き返す。ネイトが先導しているところをみると、国王の行く道の露払いでもする気なのだろう。
 風の魔法に護られる中、国王は、ぽつり、と言葉を漏らした。
「ミリムも、良い弟子を持った」
 思いがけぬ言葉に、ギルフォードが国王を凝視する。
「後は頼んだぞ」
 にやりと笑い、そのまま踵を返す。やや茫然としたまま立ちつくすギルフォード、そして慌てて後を追うヨゼルを背に国王は、ひび割れた硝子の奥に映る、灰色の空を見つめた。
(フェルハーン)
 心の中で呼びかける。
(決着を付けるのは、私たちではないかもしれんぞ……)
 確信に近い思いを胸に、国王は悠然と、崩壊した広間を後にした。

 *

「……莫迦な男だ」
 薄暗い部屋の中に、くぐもった声が響いた。
 多くの人の気配が、近くから消えた。足音も随分と遠ざかっている。耳を澄ましそれを確認し、ギルフォードは風の魔法を解除した。対して魔力を消費しない初歩の魔法であるが、負担であることには変わりない。護るべき対象が居なくなった今、それは必要性を失っていた。
 案の定、魔法による防御を解いても、攻撃魔法は襲い来ない。
「陛下を追ったりは、されないのですね」
 一度息を吐き、ギルフォードは毅然とした顔を上げた。

「ヒュブラ殿」

 ふ、と風が駆け抜ける。その場所に突然現れたのは、黒いローブを羽織った男だった。深々と被ったフードの舌から、皮肉っぽく嗤う唇が奇妙に紅く覗く。
「面白くないな」
「面白がっていただく理由はありません」
 腰にしていた剣を抜き払い、ギルフォードは男と対峙した。低い笑声と共に、払われるフード。
 そこに現れたのはやはり、ギルフォードが呼びかけた人物その人だった。
「……なぜ、このような真似を?」
「……」
「エレンハーツ殿下の命令ですか」
 男の、口元が更に歪む。――違うな、とギルフォードはそれを見て確信した。彼は誰に命令されたわけでもなく、己の意志に従って行動している。ギルフォードもまた、彼が誰かに唯々諾々と従っているとは思っていなかった。目の前の男は、そんな生やさしい存在ではない。
「陛下は、去りましたよ」
「単なる、余興だ」
 言い捨て、ヒュブラはギルフォードを見つめた。
「時が満ちるまでの暇つぶしに、王女の意思に従ってやったまでだ。お前という玩具が来たからには、用はない」
「……私も、会えて嬉しいですよ」
 低く、ギルフォードが嗤う。
「私も、貴方を捜していましたからね!」
 ギルフォードの右腕が唸り、鋭い雷撃が黒いローブの男を襲う。立て続けに数発、さしもの男も、これには慌てたように足を引いた。まとわりつくローブを放り、軽快な動きでバックステップを踏むと、再び広間の中央に戻る。
「貴様……!」
 無言のまま、ギルフォードは立て続けに剣を振るった。刃身から生まれた風が、悲鳴を上げつつヒュブラを襲う。
 だが、ヒュブラもその程度で斃れはしない。突如床が隆起し、風の刃を食い止める。そのまま地面が割れ、ギルフォードの足下を弾くように掬い上げた。躱す体に降り注ぐ石礫。
 咄嗟に結界を展開し、見えない壁でたたき落としたギルフォードは、体を反転させながら再び雷撃を放つ。ヒュブラも結界を張り、また粉塵を呼び、それを拡散させた。
 その隙間から噴出する、溶岩にも似た高温の土石――。
 かつて多くの貴賓を迎えた謁見の間は今や、廃墟よりもひどい状態に壊されている。ふたりの高位魔法使いによる魔法戦は、人の手によるものと思えないほど凄まじい破壊を引き起こしていた。局所的な天変地異と言うにふさわしい。
 玉座だけが、高見から二人を見下ろしている。
 かつては炎魔法の第一人者と呼ばれた、歴戦の強者を追い詰めるほどに、ギルフォードの攻勢は凄まじかった。普段の穏和な様子をかなぐり捨てて、鬼気迫る形相でヒュブラを追い詰める。はじめこそ余裕に満ちた笑みを浮かべていたヒュブラも、その内切羽詰まった唸りを上げるようになっていた。
 だが無論、ギルフォードにも余裕はない。基礎体力や剣技に於いては、現役の騎士に一歩後れを取る。持久戦や肉弾戦に持ち込むのは明らかに分が悪い。
 一瞬の気も抜かず、的確に魔法式を唱え続けることは、思った以上の疲労を彼にもたらしていた。
「くっ……」
 毒を含んだ粘液が、肩口を掠めた。腐臭と煙を上げて服が溶けていく。熱を伴ったそれがギルフォードの皮膚を灼き、その鋭い痛覚が彼の集中力を削いだ。
 息を詰めた、ほんの数秒の間。途切れた魔法の隙間を塗って、ヒュブラが肉薄する。
 第一撃を何とか弾いたギルフォードだったが、迫る第二撃は転がって避けるしか選択肢はなかった。無論その、無防備とも取れる逃げかたを見逃してくれるような相手ではない。
 たちどころに捕まり、肩を押さえつけるように踏まれ、ギルフォードは低く呻き声を上げた。硬い軍靴の底が、傷口を踏みにじる。
 仰向けに床に縫いつけられたギルフォードは、目を細めた歯噛みした。薄い逆光の中、端正な顔の男が薄く微笑んでいる。厚い雲の上、陽の落ちる寸前か、男の体は闇に紛れて朧だった。
 ――それとも、目の方が霞んでいるのか。
 荒い息を吐きながら、ギルフォードはヒュブラを見つめた。意外にも、冷静な目。どんな狂気を宿しているかと思えば、ヒュブラはあくまでも静かだった。高見から、酷薄に人間を見下ろす、玉座のような視線――
 通常の魔法戦に於いても、殆どの者を凌駕する実力を持つ男。彼が何故、あの魔法を求めたのか。純粋な探求心ではないだろう。だが、更なる高見を目指したと取るにしては、彼の行動は地下に潜みすぎている。
 何が、彼にこんな真似をと、ギルフォードは自分でも驚くほど落ち着いて、ヒュブラを見上げた。力のかけられた肩の痛みは不思議と鈍り、意識は思考の中へと集中する。鼓動は高く打っているが、それは緊張に因るものではなかった。あくまで、激しい戦闘によって生じた、生理的な身体の反応に過ぎない。
 何故、死を目の前にして恐怖を感じずに居られるのか。分析するまでもない。捕らえた獲物をヒュブラがどう調理するのか、ギルフォードにはそれが、嫌と言うほどに判っていたからだ。
 亡き恩師と、妹の姿が脳裏を掠め去る。
 ヒュブラが皮肉っぽく口を曲げた。灰色の靄を纏ったような、しかしどこか不気味に光るその掌が、ギルフォードの胸をねらい打つ。ギルフォードはそれを、スローモーションのように感じながら、逸らすことなく見つめていた。
 床を滑る、指先。
 焼けるような衝撃が、ギルフォードの体中を駆けめぐった。血が沸騰する、有り得ないことだが、表現すればそれが一番正確な言葉だっただろう。毛穴という毛穴から粘ついた汗が噴き出し、筋肉が細かい痙攣を繰り返す。奥歯が自分の意思に関係なく、カタカタと音を立てた。
「がっ……」
 悲鳴にもならない声が、本能のままに喉の奥から這い上がる。嵐の海に放り出されたように、得体の知れないものに体を翻弄され、嘔吐感を伴った目眩が脳を直撃する。喘鳴を繰り返し、ギルフォードは震える指先で地面を掻く。
 踏みつけていた脚を離したヒュブラは、彼の苦悶を冷徹な目で見下ろしながら、ふ、と笑みをこぼした。
「無様だな……」
 何かを思い出し、頬を引き攣らせる。
「君の妹は、もう少しましな反応を返してくれたのだがな……」
 ギルフォードは、奥歯を噛み締めた。
 萎えそうになった気力を奮い起こし、せり上がる不快感を押さえながら、指を床に走らせる。ひたすらに苦痛だけが押し寄せる中、それを成し得た原動力は、ひとつ。目の前が暗くなるほどの怒りだった。
「……貴様っ!?」
 ギルフォードの不審な動きに、ヒュブラはようやく気付いたようだった。彼が目を落とした先に映る、血で描かれた魔法式。
 莫迦な、と、そう言いたげにヒュブラは口を開く。だがそれが、声となって発されることはなかった。
「――――――っ!」
 ギルフォードの周囲から吹き出した高圧の風が、鋭い軌跡をもってヒュブラに襲いかかる。完全に防御を解いていたヒュブラに、避けるより他、手はない。だが、今度は逆に、その隙を見逃すギルフォードではなかった。
 温存しておいた力で、立て続けに魔法を放つ。冷気の渦、直後、灼熱の炎。渦を巻く風が粉塵を巻き上げ、視界を灰色に染める。
「まさか……っ、そんなはずは……!」
 動揺を多分に含んだ、苦悶の声。


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