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 (十七)

 王宮の崩壊より二日後の未明。開門直後の王都に、二頭の馬が駆け込んできた。危うく蹴られそうになった兵の文句を背に、石畳の道を疾走する。
 馬の向かった先は、シクス騎士団施設。つい先日、その謹慎が解かれ、門は開かれた。平常勤務には戻っていないものの、それぞれの日常を取り戻しつつある。
 暗がりの中、欠伸をしながら門番をしていた騎士は、突如響いた馬蹄の音に、残っていた眠気を吹っ飛ばした。施設はけして、大通りには面していない。そこに向かってくる馬があるとすれば、用があるのは当然騎士団しかないのだ。
 何事だ、と思い、眉を顰める。そうして朧な灯りの中、照らし出された横顔を見た騎士は、驚きのあまり喉を引き攣らせた。
「だ、団長――!?」
 その人物、フェルハーンは、手綱を巧みに操り、門の前で馬を綺麗に停止させた。
「団長、ご無事で!?」
「見ての通りだよ。それよりも、ヨゼルを呼んでくれるかな?」
「は、はい、ただ今!」
 転がるように中へ走っていった騎士に苦笑し、フェルハーンは馬を下りる。同じように地に足を付けた同行者は、やれやれというように肩に手を当てて大きく腕を振り回した。
「君も中へ?」
「いーえ。ちょっと行くところがありますからねー。僕はここでお別れです」
「おや、寂しいことを言うね」
「まぁ、パートナーチェンジってところですかね。王宮は崩れてしまいましたけど、陛下は無事みたいですし、ここから先は、僕よりも彼の方が適任でしょう」
「船は、どうするんだ?」
「じゃぁ、僕からの餞別ってことで。それに関しても、彼が居ると倍速で進むんじゃないですか?」
「それで君は、また、地下に潜るのか?」
 にやりと笑い、しかし何も言わずにゲイルは、握っていた手綱をフェルハーンに預けた。狭い路地の多い王都は、主要な道以外は馬で行くのに適していない。身体能力の高い彼のこと、行き先には走っていった方が早いということだろう。
「あ、そうそう。ひとつ、殿下のやる気を上げておきましょうかね」
「やる気?」
「そうです。大丈夫だとは思いますが、土壇場で情けかけずに済むように」
 悪戯っぽく、ゲイルは口の端を曲げる。
「マエントへ派遣する使者について、うちの義兄にわざわざ提案させたのは、エレンハーツ殿下ではなく、ヒュブラですよ」
「……」
「彼、初めからザッツヘルグを取り込む気、なかったみたいですよ。僕も、直接話してそう感じたくらいですし」
「つまり、彼は最後まで義姉上に協力して、国をどうこうするつもりはなかったと?」
「さて、そこまでは」
 肩を竦め、ゲイルは首を横に振った。
「それだけです。心配しちゃいませんがね、まぁ、朗報お待ちしておりますよ」
 形だけの礼を取り、あっさりと闇に消えるゲイル。忙しないことだと息を吐き、フェルハーンは二頭の馬と共に、久しぶりの門をくぐった。

 *

 もともと、再会を喜び合う仲ではなかったが、予想以上に彼の態度は平坦だった。
「……君ねぇ、もうちょっと、こう、『無事で何よりです』くらいは言えないかな」
「『ご無事で何よりでした』」
 澄まして言う彼――ギルフォードに、フェルハーンは口を尖らせてみせる。
「三十近い男が、そんな顔しても、気持ち悪いだけですよ」
「可愛くないね」
「お褒めに与り、光栄です」
 憎まれ口にフェルハーンは苦笑する。ギルフォードらしい冷静な対応だが、あいにくと、フェルハーンの目は節穴ではない。ほんのり、目元が笑っていることを隠しきれていないことに気づき、ほくそ笑む。
 途端、ギルフォードが目を吊り上げたのを認め、フェルハーンは慌てて椅子を引いた。
「じゃれ合いたいのは山々だが、残念ながら、暇がない」
「後半部分には、同感です」
 ため息を吐きながら、ギルフォードは自分の椅子に腰を掛けた。
 フェルハーンが今居る場所は、シクス騎士団の施設内ではない。魔法院のギルフォードの室である。
 ヨゼルから、東方へ向かった後の詳細を聞き出した後、フェルハーンはまず市にあるイデアの店に向かった。さしたる情報も届け物もなかったが、そこで女店主から伝言を聞き、魔法院へ向かったというわけである。
 久々に会った様子から察するに、どうやらギルフォードも、事の真相に辿り着いたらしい。だが結論は同じでも、道筋が違う分、お互い補填し合う部分があるだろう。
「それで、君はどこまで知ったんだい?」
 この際、駆け引きが無駄なことは明らかである。互いの腹を探り合う必要はなく、それに裂く時間のほうが惜しい。
 単刀直入としか言いようのない言葉に、ギルフォードは苦笑したようだった。それでも彼らしく慎重に、膝の上で手を組み替えながら、言葉を選ぶ。目線はフェルハーンの首もと、故に躊躇っているわけでもフェルハーンを窺っているわけでもなく、単に道筋を立てているだけだと判る。
 必要な沈黙だと解釈し、フェルハーンもまた、おそらくはギルフォードの知るよしのない情報を頭の中で思い浮かべた。
 にらみ合いにも似た、十数分の沈黙。やがて口を開いたのは、ギルフォードの方だった。
「……エンデ騎士団」
「ん?」
「場所が移る前のエンデ騎士団の砦跡地に、遺跡を見つけましたよ。移動陣もありました。多少手が加えられていて、少し目を凝らせば、遠くに焼け落ちたルセンラークの村が見えました。勝手とは思いましたが、魔法院の所員と共に、マリクさんに調査に向かってもらっています」
 そうか、とフェルハーンは目を細めた。始まりのあの日、そこから魔物は誘導されたのだろう。
「マエント兵の生き残りに、会いました」
「え?」
「偶然が重なって、生きていたようです。本来皆殺しにしておくべき相手を見過ごしてしまったのは、……慣れていなかったからでしょう」
 奇妙にぼかされた部分が何であるのか、無意識のうちにギルフォードの心を察し、フェルハーンは頷いた。
「おかげで、詳細が判りました」
 ギルフォードが、ルセンラークの村に起こった出来事を、時系列に沿って説明をする。彼なりに、集まった情報から何度も考えたのだろう。淡々とした言葉は理路整然としていて、如何にも非の打ちようがない。
 ただ、ひとつ、口を濁した箇所がある。黙って耳を傾けながらフェルハーンは、その躓きに片方の眉を上げた。
「――故に、セーリカの財政難については既に陛下に報告して、預かったものも譲渡しております」
「うん」
「殿下。聞いてますか?」
「聞いてるよ」
 ため息に近い呼気が、膝の上で組んでいた自らの指に当たる。いつになく真剣なギルフォードの目を見て、フェルハーンもまた、迷っていた腹をくくった。今まで隠していた事実を話す頃合いなのだろう。
「ギルフォード」
 改まった声に、訝しげに向けられる顔。。
「君はさっき、聖眼のことだけが判らないと言ってたね?」
「ええ。……エレンハーツ殿下が聖眼の持ち主であれば、全ては繋がります。しかし、そうでない場合、殿下が関わっているということ自体が強引になってしまいます。ですから……」
「義姉上は、今は聖眼を持っているよ」
 ――『今』は。
 ゆっくりと、殊更時間をかけて目を向けた先、ギルフォードは、判りすぎるほどに目を丸くして動揺していた。交渉事や騙し合いなど慣れている癖に、彼は時々、こういった素直な反応を返す。根本的に擦れていないのだろうと、フェルハーンは好ましく男を眺めやった。
「聖眼は、けして特異な力ではないよ。特別な才能でもなければ、人にない力で持ったものでもない」
 どうして判るのか、とはギルフォードは言わなかった。その稀少なる聖眼の持ち主が言っているのだ。疑う術もない。
 研究者という、常に根本と根拠を求める生業にも関わらず、彼にはそんな融通の利く頭がある。何処を取っても申し分のない男だけに、その完璧さが時々フェルハーンの鼻につく。
(違うな……)
 頭振り、フェルハーンはギルフォードを見つめ直す。――何一つ壊れたところのない彼が、羨ましいだけだ。
「結論から言うと、聖眼は後天的に作ることが出来る」
「!」
「君もそう、考えただろう。ただ、方法が判らない。違うか?」
「その通りです」
「だが実は君は、作り方を既に知っている」
 ギルフォードは、ただ眉根を寄せた。
「ゼフィル式魔法だよ」
「……まさかっ……」
 上がった声は、悲鳴に近い。
「あれで、どうやって聖眼が生まれると言うのです。冗談じゃありません、あれは純粋に、相手を苦しめるだけのものです」
「君の魔力は美しいね」
 突然の言葉に、一瞬、ギルフォードの動きが止まる。
「清冽な水のようだ。規則正しく流れ、静かに、透き通った青に光る。雪解け水のように冷たく、だがそれは春の到来を思わせる明るさを秘めている」
「何がいいたいのですか?」
「アッシュのは、燃えさかる炎だ。天を貫くほどの勢いを持ちながらどこまでも朱く、金色に輝いて彩っている。両極端なまでの力だけど、いずれもその力は、内側から外に向けて放出されているんだ」
「……」
「だが、私は違う。外に出るものはなく、ただ内側へと逆巻いている。故に、外へ力を放つ魔法は使えない。ただその、内にこもる力は、目に力となって宿っている。――それが、聖眼だ」
 茫然と、ギルフォードはフェルハーンを見つめた。にわかには、信じがたいのだろう。だが、理性のどこかでそれはあっているのだと、彼の内側から囁いている、そんな表情であった。
 フェルハーンは言葉を切り、椅子に背を預け、ギルフォードの反応を待つ。やがて、彼は乾いた声を絞り出した。
「……だから、ゼフィル式の魔法が? 魔力の放出を禁じ、内側に力を向けることによって、聖眼が?」
「勿論、『沈黙の魔法』のように、ただ力を封じるだけでは何も起こらない。はじめから放出能力がない、先天的な聖眼ではないんだ。魔力許容量がいっぱいになると、余った魔力は自然に放出されていく」
「以前アリアさんが、『放散』と呼んでいました。人の体には、魔力を溜めすぎないように、不必要な分を出す穴があるのだと。それが、聖眼の貴方には、ないのですね?」


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