[]  [目次]  []



「そう。だからその、行き場のない力が目に現れて消費される。……そこで、君に聞きたい」
 言って、フェルハーンは問いかける目を、ギルフォードに向ける。
「ゼフィル式魔法は今のところ、『沈黙の魔法』しか確認されていないが、私がそう仮定したように、魔力の逃げ道を塞ぐ魔法というのも、あり得るだろうか?」
 フェルハーンが、ゲイルに語れなかった理由はここにある。仮定として「出来る可能性がある」或いは「できるとしなければ推測が成り立たない」状態として、ほぼ断定の域にあるとしても、未だ空想上の魔法でしかないのだ。確固たる証拠はない。
 ギルフォードは一度唸り、眉根を寄せて、しかし、最後にははっきりと頷いた。
「『沈黙の魔法』は体の中の魔力の流れをおかしくして、魔法を使えない状態に持ち込む魔法……。けれどそれは、逆巻いている状態だけであって、けして魔力の流れる穴を塞いだわけではない。この身に受けて、はっきりと判りましたよ」
 余程辛かったのか、ギルフォードは手に拳を作る。
「あれは、相手の体に直接魔力を送り込む魔法です。ですから、魔力の逃げ道を塞ぐことも可能でしょう。『沈黙の魔法』を体にかけたのと同じ要領で、体の中に直接、結界を展開すればできます」
「魔法使い専用の牢にかけているのと同じものをか?」
 魔法使いには、鋼鉄の檻を裂く力もある為、手を拘束し口を塞いだ上で、牢そのものに、魔力を遮断する壁を作っておくことがある。その場合無論、中にいる魔法使いの資質が、壁を作った者のそれを上回れば、壁そのものを破壊されることもあり得るが、ゼフィル式魔法の場合、その心配は無縁となるだろう。
 ギルフォードは首肯し、思案するように眉間を親指で押さえた。
「先に、『沈黙の魔法』で魔法を使えない状況にしておけば、解除魔法も使えません。その組み合わせは凶悪といって良いでしょう」
「そうか」
 推測は当たっていたが、手放しで喜ぶ気にはなれない。
「君には辛い話だが……おそらく、そちらの魔法が完成したのは、ここ一年以内だと思う」
「……ええ。妹には、その魔法をかける必要がありませんでした。沈黙魔法だけで、体内に魔力が籠もってしまう、先天的疾患をもっていましたから」
 だからこそ選ばれた実験体、とギルフォードの唇が呟いた。否定することも出来ず、フェルハーンはさすがに気まずい思いで視線を逸らす。
 そうして、滅多に出さない本音を、ぽつりと呟いた。
「聖眼も、病気の一つだ。希有な能力であることは変わりないが、所詮、魔法使いの出来損ないなんだよ」
「……すみません」
「君が謝る必要はない。私が自分で気付いてしまったことだ。幸か不幸か、エルスランツ公は、血縁の私に聖眼が出たことで、いろいろと資料を集めていてね。義姉上が聖眼を無理矢理手に入れたのではないかと考えたときに、方法を探る手がかりになった」
「ああ、それで、ザッツヘルグの街から、一旦逃げ出したというわけですか」
「ご明察」
 頷いたフェルハーンに、ギルフォードはあるかなしかの笑みを浮かべて見せた。病死だと思っていた恩師の死の事実、希有な魔法に掛けられたとは言え、最終的には病気のために亡くなったと思っていた妹の死、それら全てが、ひとりの男の思惑により意図的に行われていたと、思い知らされたのだ。衝撃を受けずして、なんとするだろう。
 やがてギルフォードは、深いため息を吐き出した。
「昨年の末、エレンハーツ殿下が魔力を失ったと、相談を受けました」
「ああ」
「聞いたことのない事例だと思いましたが、その時が、そうだったのですね」
 頷き、フェルハーンは記憶を探り当てる。
 生死に関わる病の末に、エレンハーツは魔法を使う力を突如失ってしまったのだと、そう、報告が入っていた。その時には既に、彼女の叛意に気付いていたが、まさか、未知の魔法という危険を冒してまで、力を欲しているとは思っていなかったのだ。そういうこともあるのかと、柔軟に考えすぎたことを今更ながらに悔やまれる。
「義姉上は、弱いとはいえ、そうして聖眼の力を手に入れた。そこへ丁度、ディアナの帰還という話が持ち上がった。千載一遇の機会だと思ったのだろうね」
「いつ、気付いたのですか。その、エレンハーツ殿下が聖眼を持っていると」
「義姉上が、王都に来てからだね。私に会おうとしなかったからだよ。それまでは、どこかの聖眼持ちを味方に引き入れたと思ってた」
 情報の足らない、謎かけのような言葉だったが、ギルフォードはたちどころに理解したようだった。わざと混乱させるように言ったフェルハーンとしては、どことなく面白くない。
 そんな、若干ふてくされた様子の男を無視するように、ギルフォードは眉を顰めた。
「しかし、何故ヒュブラは殿下に魔法を施し、従う真似をしたのでしょう?」
 エレンハーツの思惑は、判りすぎるほどに明確だ。己の境遇、そして血の繋がった弟の戦死が彼女を闇に突き落としたのだろう。哀れではあるが同情には値しない、身勝手な復讐。思いは強かっただろうが、ヒュブラという協力者なしには、行動を起こすことすら出来なかっただろう。
 瑞々しく澄んだ空を思わせる瞳が、フェルハーンを射貫いた。その辺りの事情も知っているだろうと、無言の圧力が掛かる。
 フェルハーンは、困ったように肩を竦めた。
「勿論、叛意ある騒動を計画したのは、義姉上だ。実行部隊がヒュブラと、グリンセス公、セーリカ公、コートリア騎士団長といったところだろうね」
「しかし、ヒュブラはとても、殿下に従っているようには見えませんでした。むしろ、彼が本当の黒幕のような」
 鋭いな、とフェルハーンは口元を歪めてみせる。
「けれど彼には、権力に対する妄執などはないようでした。己の力を誇示したかったというようにもとれますが、それにしては裏で暗躍する方に徹しすぎています。世間では、どちらかと言えば聖眼に着目されていたでしょう?」
「そうだね。……彼に、そういった欲はない」
「では」
「だが、この先は、いくら君にでも、言うことは出来ないな」
「それは、貴方は全て知っていると、そう解釈してもよろしいのですね?」
 頷き、フェルハーンは鋭くギルフォードを見つめ返した。真正面からそれを受け止めて、しかし、空色の目は揺るがない。
 互いを探るような沈黙の後、フェルハーンは目を細めて窓の外へ視線を移した。
「……非常に、くだらないことなんだ。それで、無関係の者の命を奪うなど、到底許されないような」
「……」
「だけど、ヒュブラにとっては、永遠に追い続けるものなんだろう。庇うわけではないが、私には少し、彼の気持ちが分かる」
「しかし、私には判らない、というわけですね?」
「おそらく……いや、そうだな、ここまで関わらせておいて、黙るのはフェアじゃないか。それに君は、ヒュブラを憎む権利があるからね」
 ふ、とフェルハーンは、困ったような笑みを口端に緩く刻む。
「賭けをしよう」
「賭け?」
「そうだ。私はこれから、……殺しに行かなくてはならない。君は、私と共に行く。行ってもらう。そこで君はきっと、君を縛るものを見つける。そのうえで……」
 区切り、挑発するように、フェルハーンはギルフォードに目を向けた。
「君が君であったなら、全部、説明してあげよう」
「……相変わらず、自分勝手な方ですね。判定基準もまた、酷い自分本位なものですよ」
「ふぅん、でも、君は損をしない。賭けに乗らなければ、私は何も話す気はないよ」
「遊んでいるわけですか?」
「遊びにしては、重い話になる。それに、君の方が有利なんだ。私の予想では、君は多分、私の期待に応えてくれる」
「そうやってすぐに、自分を巻き込まない範囲で、自分は損をしないことを、平気で賭けの対象になさる」
「そうでもないよ」
 頭振り、フェルハーンは両手で前髪を掻き上げる。
「私は、私の罪を曝すことになる」
「罪……ですか?」
 眉根を寄せ、ギルフォードは、訝しげな目を真っ直ぐに向けた。
 うん、と、目を伏せながら、フェルハーンは頷く。
「人に、生きるということを強制した罪をね。だから私は、決着をつけに行く」

 *

 カップから立ちのぼる湯気が、その日の寒さを示しているようだった。
 キナケスの王都シクスより、北に約二百キロメートル。早馬を飛ばして二日ほどかかる閑静な土地に、タラントの砦は存在する。美しい自然を多く残したこの地方は、古くからセーリカと並ぶ別荘地として栄えていた。なかでも、周囲との調和を主として建立された離宮は、古き建築物の最高峰として讃えられている。
 北にウェリス山を持ち、夏は清涼な風の吹く避暑地として人気が高い。だがそのぶん冬の訪れはシクスよりも早く、9月の末のこの時期、既に朝晩の冷え込みを気にするほどになっている。
 薄い繊細な織物を羽織り、ディアナはタラント砦の客室をそろりと抜け出した。手には茶器、腰には細剣と、ちぐはぐに過ぎる恰好を、無理矢理統合させてしまう闊達な美貌はしかし、今は僅かに愁いを帯びている。
 ほんの少し歩いた場所にある扉を叩き、ディアナは中の様子に耳を澄ませた。ほどなくして、弱く応える声がある。
「義姉上。ディアナです。お加減はいかがですか?」
 入室を許可する声に、ディアナは取っ手を回す。僅かな軋みと共に部屋を窺うと、果たしてその人は、青白い顔のままベッドに仰臥していた。
「まぁ、貴方ひとり?」
「はい。女手のない騎士団内では、侍女も倍以上疲れている様子。休ませておりますよ」
「そんなこと……、侍女はそういうのも含めた仕事なのだから、貴方が気を遣う必要はないのに」
 人を使うことに慣れた身分の者ならではの科白とも言える。ディアナは薄く微笑を浮かべた表情をそのままに、否定とも肯定ともつかぬ言葉で即答を避けた。
「平常時ではありませぬ故」
 そうして、持参した茶器を卓に置くと、自ら香茶を淹れ始める。さすがにベッドから身を起こしたエレンハーツは、慣れた様子で茶葉を扱うディアナを、憧憬にも似た目で見つめた。
「……ありがとう」
「お気になさらずに。そちらに運びましょうか?」
「いいわ、行くわ」
 微笑み、エレンハーツは伏していたベッドを離れ、ディアナの前の椅子に座る。茶を配したディアナは、そこでふと手を止めて、窓の外へと目を向けた。
 薄く頼りない落日が、光と影の狭間に佇んでいる。同じ橙の色でありながら、何故夕陽は人を寂しくさせるのだろうと、とりとめもなしに思う。
 陽は陽、それ自体に落ちるも昇るもない。ただ自分たちが勝手に廻り、そこに終わりと始まりを位置づけて、勝手に感傷を抱くのだ。陽からすれば、さぞ滑稽なことだろう。
(人の営みも、そのようなものであるかもな……)
 起こった事柄を、どう見るかによって、捉え方は大きく変わる。一方で正しいことは、誤りという対象があるからこそ正しいと位置づけられる、歴史はそれの繰り返しだ。勝った方が、自らの正しさを後世に残すことが出来るだけで、必ずしも負けた方が間違っているというわけではない。
 そう、判っているからこそ、ディアナは義姉を否定しようとは思わなかった。ただ情報を与えて、全てを彼女自身の思いに委ねようとしている。儚く生まれ、他人の思惑に流されてきた彼女が、おそらくは初めて、自らの意志の元に起こした行動だ。決着は全て、彼女の胸の内にある。
 ここまでは頼まれなかった、そう思いつつ、ディアナは静かに香茶を口に含んだ。
「義姉上」
 細い指で髪をいじりながら、エレンハーツは首を傾げてディアナを見遣る。
「王宮が、崩壊したようですよ」
「え……?」
「一昨日、魔物が出現したようです」
「そんな――……、陛下やヒュブラたちは、どうなったの?」
「陛下はご無事です。ヒュブラは、さて、情報がありませぬな」
 そう、とエレンハーツは呟いた。


[]  [目次]  []