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「魔物が勝手に人里に現れるわけがない以上、何者かが手引きしたのでしょうが……何故、そのような真似をするのでしょうな」
「ディアナ?」
「魔物のような危険なものを放ち、美しくある宮を壊し、不特定多数の関係のない者にまで害を与える必要が、どこにあるのでしょうな? 不満があるのなら、奏上すれば良いものを」
「訴えたからといって、聞いてもらえるとは限らないわ。民衆だって、不満が溜まれば暴動を起こすでしょう?」
「民衆の行う暴動には、分かり易い意味がありますがね。今回の騒動は、根となる部分があまりにも不明瞭です。そこまでのことをする必要がどこにあるのか、わたくしには判りませぬな」
「ディアナは、陛下のことを、今の治世を信頼しているのね」
「信頼? いいえ。不満だらけですな」
 困ったように笑い、ディアナは顎に手を当てる。
「ああすればいいのに、何故もっとこうしないのかと、苛立つ部分も多くありますよ」
「陛下は、それを聞いてくれないのかしら?」
「言って、おりませぬからな」
「何故?」
「理想と、現実は違うということですよ。そうですな、例えば、内乱で親を失った子供が多くいたとしましょう。生きるために、騙したり、ものを掏ったりして暮らす子が多い。ならば、その子たちを保護してやればいいと思う。保護してやれと訴える」
「何が間違っているの? 悪いことじゃないじゃない」
「訴える方はそれで終わりでも、訴えられる方はそうではないのですよ。保護するために、国庫から莫大な金が必要となるでしょう。親が居るのに、楽を求めて逃げ出してくる子と区別をしなければならない。選別する者、保護した子供の世話をする者、それだけの人員を割かなければならず、その者達の給金にもまた金がかかる。それだけのものを、どこから捻出するのでしょうな? その為に、必死で復興しようと生活するものから更に税として金を巻き上げるのですか? 出来るわけがありませぬ」
「……」
「訴える前に、どうすれば歪み少なく、利点が多くなるか、考えねばなりません。相手を否定し、意見するならば、相手の行っていること以上の解決策を提示する必要があるでしょう。言うだけなら、誰にでも容易い。思うだけなら、もっと」
 言うは易く行うは難し。使い古された言葉の、しかし、なんと的確なことだろう。
「ああして欲しかった、何故ああしてくれなかったと、外から言うことは簡単です。しかし、現実はそう単純ではありませぬ。言うだけ、願うだけの者のことなど、気に留める余裕はなく、聞き止めない方にも、それなりの理由はあるものです。悔しくもありますが、現状、内乱で疲弊した国庫では、陛下のなさる政策より良い案など、わたくしには浮かびませぬ。代替え案が見つからぬ以上、陛下やその周囲の者たちの決めた道を認めるしかないのですよ」
「窮状を訴えることは、大事でしょう? 聞いてもらえないかも知れないけど、苦痛を訴えることで、気付かせることが出来るかも知れないわ」
「無論。相手に伝えることで、その先に幾つかの選択肢が生じてきますな。その先がどう繋がるかは、お互いの心と状況によりけりなのでしょう。しかし……」
 ディアナは、真っ直ぐに、エレンハーツを見つめた。
「ルセンラークに始まる今回の騒動は、それがなかった。騒動を起こした側にも、何らかの理由はあるのでしょう。しかし、それが全く表に出ていない。出ていない以上、それは単なる自己満足の我が儘に過ぎませぬ」
「陛下が気付いていないだけで、理由はあるのかもしれないわ」
「おや、義姉上がさきほどおっしゃったでしょう。『訴えることは大事』なのですよ。相手の事を考慮に入れず、ただ思いを遂げるのは私怨です。それに多くの者を巻き込んだ時点でそれは訴えではなく、単なる身勝手な暴力となりますな」
 斜陽の、薄暗い室内。その中でもそれと判るほどに、エレンハーツの顔は蒼褪めていた。それを見たディアナは、ふとため息を吐く。言われたことに反応を示すと言うことは、少しは自覚があるということなのだろう。
 だがそれを、彼女は内に秘めておくことも、公に糾弾することもできなかった。彼女の生い立ちにも環境にも、時代にも不幸が多くあったとはいえ、最後に選んだ道はそれを精算して余りあるほどに、愚かな道だった。――愚かだと、判っていても選んでしまったのだろうけれど。
 真横に淡い残光を受けながら、エレンハーツは膝の上で服を握りしめた。
「……あなたは強いわね、ディアナ。でも、多くの者がそうだとは、限らないのよ」
 自分がまさにそうであると言うように、エレンハーツは辛そうに眉根を寄せる。ディアナは、彼女の言を直接には否定しなかった。
「そうですな。言いたいことを言えぬ者も多かろうと思います。――しかし、わたくしが強いというのは、間違いですな」
「まさか」
「わたくしは、愚かで弱い」
 自嘲気味に、ディアナは断言した。
「うわべだけの気の強さと、本当の心の強さは、違うのですよ。わたくしは、それを思い知った……」
「ディアナ?」
 訝しげなエレンハーツの視線に、ディアナはそっと目を伏せた。そうして、遠い日に思いを馳せる。
 ――その日は、真白の雪が、空からはらはらとこぼれ落ちていた。
「……そうですな。では、ひとつ、昔語りを」
 緩く湯気を上げるカップの縁を指でなぞり、微かな音に耳を傾ける。それは、どこか間遠に聞く、雪の囁きにも似ていた。
 今度は何を言い出すのかと、表情を硬くしたエレンハーツに、ディアナは静かに微笑んでみせる。
「あれは、丁度、今頃でしたな。この時期、イースエントではもう、冬と呼ぶに相応しい寒さになっておりました……」
 


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