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 (十九)

「……そうして、魔法で大量の雪を呼んだ少女に連れられ、わたくしは延焼寸前だった村で保護されたのです」
「……」
「思えば、少年は初めから、少女に力を渡して、死ぬつもりだったのでしょうな。だから、真っ先に少女の元に駆け寄った。わたくしがあと少しでも彼らを信用していれば、あのようなことになならなかったでしょう」
 そもそも、少年が毒を受けた矢も、ディアナが放った魔法で体勢を崩したために受けたものだったのだ。
「わたくしは弱く、彼は、彼女は強かった」
 最も大切なものを悲しませ、最も大切なものを失うと判っていて、それでも彼らは自暴自棄にならず、出来る限りのことをした。そうして、互いの心が、生きる道を選んだのだ。
 話し終えたディアナが、冷えた香茶に口を付ける。それ見て、エレンハーツは弾かれたように顔を上げた。
「ディアナ、そんな冷たいものを……、淹れ直させるわ」
「義姉上」
 外へと、声を掛けかけたエレンハーツを制して、ディアナは静かにカップを下ろす。彼女の視線に何を感じ取ったか、上げかけた腰を戻して、エレンハーツはふとため息を吐く。
 重い沈黙。そうして、僅かに目を伏せたディアナは、決定的な言葉を口にした。
「聖眼を、お持ちですね」
「!」
 見開かれた目は、それがそのまま答えとなった。淡い金髪が、強張りを伝播したかのように微かに揺れる。
 それを認めて、ディアナは深いため息を吐いた。
「誤魔化しては下さいますな、義姉上。――義兄上もご存じです」
「……」
「昨年末のご病気は、それが原因でありましょう? もっとも、無知なわたくしには、具体的な方法など考えもつきませぬが」
 ヒュブラ、とディアナは小さく呟いた。無論、わざと聞かせるために出した名である。
 案の定、エレンハーツの顔は、瞬時に判るほどに、強ばった。人を巻き込む話術を持ち、多くの人を動かす計画を立てることの出来るエレンハーツであったが、狡猾にはなれなかったらしい。――だからこそ、ヒュブラに騙されたとも言う。
(ある意味、純粋だったのだな……)
 かつてエレンハーツの側におり、そういう意味ではマエントの陣営にあったヒュブラ。王子ディオネルが恃みとした古代の魔法を手に入れながらも、彼はそれをディオネルのために使うことをしなかった。使えなかったわけではないことは、内乱中に「沈黙の魔法」、ゼフィル式魔法をかけられた者がいることから判る。それがどう、ディオネルに説明されたのか、或いは別人が使ったのだと思わせていたのか、それは今となっては判らない。
 だが少なくともエレンハーツは、ヒュブラ、引いてはディオネルが、遂にゼフィル式魔法の本を手に入れることが出来なかったと思っていたことは確かである。自らにかけられた、聖眼を手に入れるための魔法がまさにそれなのだと、気付いてもいなかった。ヒュブラは、自分がディオネルの求めていた魔法を手にしていると、敢えて教えなかったのだ。
 それを、ディアナに指摘されたときの、エレンハーツの動揺は、手に取るように伝わった。
 ――どうやって、ヒュブラはその本を手に入れたのだろう。
 ――いつ、手に入れたのだろう。
 ――そうして、何故それを黙ったまま、騙すように自分に使ったのだろう。
 ――騙す。
 ――騙していたのは、果たしていつからだったのか……。
 何年も前からヒュブラは兄妹を裏切っていたのだと、己の為に利用したのだと、示唆するようにディアナに命じたのは、勿論フェルハーンである。エレンハーツ自ら気付くように、ヒュブラとの間に罅が入るように、それとなくし向けたのだ。その役割をディアナに指名したのは、他に適任がいなかったからでは、ない。衝撃を与えるという意味合いでは、フェルハーン本人が教えた方がむしろ強かっただろう。
 敢えてディアナに頼んだのは、エレンハーツの拠り所を別に作ることで、ヒュブラとの間の亀裂を決定的なものにしたかったためである。
(嫌な男だ……)
 フェルハーンの言うことはいちいち正論であることが多い。だがその裏に、人を平気で操る図太さと狡猾さが覗く。
 そうして彼の繰る糸は、絡まることなく思い通りに動くのだ。自分もそのひとりかと、諦めにも似た息を吐きながら、ディアナは視線をエレンハーツへと戻した。
 青ざめた唇、震える拳。如実に動揺を示す。
 やがてエレンハーツは、掠れた声を絞り出した。
「……何故、気付いたの」
「フェルハーン義兄上との会話です」
 ディアナは口を歪めた。
「王宮で義兄上が挨拶をしに来たときのことを覚えておいでですか」
 沈黙を肯定とみなし、ディアナは言葉を続ける。
「あのとき、義兄上はおっしゃった。『義姉上が魔法を使えなくなったのは、魔法をかけられた結果ではないか』と。それに、貴方はこう回答なさった。『見知らぬ者に、知らぬ魔法を掛けられた覚えはない』と」
「それが――」
「義兄上はひとことも、怪しい者によからぬ魔法をかけられたせいでは、とは言っておりませぬ。病で魔力を失ったという大前提がある以上、魔法を掛けられたと聞いて思うのは『治療魔法』でしょう。もしくは普通に掛けられることのある守護魔法とか」
 思わずか、拳を作ったエレンハーツの手を見つめて、ディアナは哀しげに眉を顰めた。
「つまり、貴方の答えは、些か飛躍しすぎていたのですよ。例えば治癒魔法がおかしな具合に効いてしまい、魔力を失っのだとしたら、問われて隠さねばならない理由はありませぬ。また、知らぬ者に突然危険な魔法を掛けられた挙げ句、魔法を使えなくなったのであれば、黙っている必要はありませぬ。むしろ、私がそうであれば、危険な魔法を持った者がいることを、義兄上に忠告申し上げたでしょう。それを敢えて隠されたのは」
「……」
「敢えて、義姉上がその魔法を受けたからです。そうして、その先に得られるものを欲した。聖眼は魔法使いのなり損ないが得る代償のようなもの。体内にある魔法の流れの、狂った先に得る力。――違いますか」
 堂々と知ったように話してはいるが、ディアナの言葉は全てフェルハーンの受け売りである。それが正しいのか否か、ディアナには無論、確かめる術はない。
 だがエレンハーツには、そうと気付く余裕もないようだった。
「……私は、あなたに聞くまで、ゼフィル式魔法がどういうものであるか、知らなかったのよ?」
「知らずとも、受けることは出来ます。『聖眼を得たいか』と問われて『はい』と言うだけで良い。権威ある魔法使いがそういう魔法もあると言えば、素直に信じたでしょうな」
 ですが、とディアナは言葉を続ける。
「得た聖眼の能力を知り、あなたは愕然となさったはずだ。聖眼は人や物に宿る魔力の流れを知る。つまり、フェルハーン義兄上にひとめ見られた時点で、あなたの内の変化がばれてしまう。会わずに済む方法を考えるしかない。しかし、何度も面会を断っていては不審に思われる。そこであなたは、フェルハーン義兄上を遠ざけておく計画を盛り込んだ。罪を着せ、更に遠い地へ追いやる。それが、東方で魔物を出現させた理由です。――違いますか」
 かたりと、音を立ててエレンハーツは立ち上がった。
 図星、だったのだろう。戦慄く唇が、見開かれた目が、全てを肯定していた。
 それを押し隠すためか、ディアナから離れ、エレンハーツは力なく、窓際へ歩み寄る。いつの間にか陽の落ちた、暗い窓の外。彼女が眺めたのは、空よりも暗い輪郭を見せる木々か、硝子窓に浮かぶ自分の姿か。
 その時、遠慮がちに扉を叩く音が響いた。
「何用だ」
 ディアナの誰何に、よく知った声が返る。
「レンか? どうした?」
「捨て置けません情報が……。ディアナ様」
 自ら扉を開けたディアナに、レンが簡潔に用向きを伝えた。僅かに瞠目するディアナに、淡々と経緯を話す。そうして、レンは読み上げた内容の書かれた紙を手渡すと、最後に気遣わしげな顔を向けた。
「アリアのことは、まだ判りません」
「そうか……。下がってよい」
 頷き、軽く礼を取ってレンは踵を返す。静かに扉を閉め、ディアナは長いため息を吐き出した。
 何事、と見つめ来るエレンハーツに向き合い、僅かな躊躇いの後に口を開く。
「……ヒュブラに、緊急の手配がかかったようですよ」
「!」
「セーリカ公も陛下の呼び出しに応じ、近々対談される様子。騎士団団長が重傷ともなれば、気勢も削がれましょうな」
「セーリカ……」
「フェルハーン義兄上も、コートリアから脱出されたとか。ザッツヘルグが妨害してこないのであれば、もうそろそろ、王都に着いている頃合いでしょう」
 口元を手で押さえ、エレンハーツは見開いた目を床に落とした。言葉無く、体を支える腕を、小刻みに振るわせている。
 ディアナは、レンから受け取った紙に目を落とし、そうして片方の眉を上げた。
「ひとつだけ、これは、あなたには朗報やもしれませぬな」
 むしろ、陰鬱な声で言葉を続ける。
「マエント国王――あなたにとっては伯父に当たる王が、遂に引退を表明されたそうですよ」
「……」
「満足ですか、義姉上」
 声低く、ディアナはエレンハーツを見つめた。
「あなたの為に、多くの者が亡くなり、それ以上の者が傷ついた。ルセンラークの村は消滅し、ディオネル義兄上を裏切った元ルエッセン騎士団長は死んだ。ルエッセン騎士団も打撃を受け、ディオネル義兄上を見捨てて大国を前に尻尾を巻いたマエントは、あらぬ疑いを掛けられた後に世代交代を強いられた」
 区切り、痛ましげな色を浮かべる。
「国は混乱し、陛下の名は堕ち、フェルハーン義兄上も奔走なさった。よくもこれだけのことをなさったと、感心します。ですが、もうよろしいでしょう」
 諦めることを促すように、ディアナは言葉を強くする。
 だが、エレンハーツの首は横に振られ、艶を無くした髪が乾いた音を立てて揺れた。
「……まだよ」
「義姉上」
「まだよ、まだ、ハインセックは死んでないわ。フェルハーンもよ。ディオネルを、あの子を殺した奴らが生きてるわ!」
 叫びはしかし、言葉面ほどに勢いをもたなかった。むしろ、言い聞かせているようにすら、見える。払いきれぬ妄執が、エレンハーツを絡め取っているようであった。


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