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 吐き捨てるように、アッシュを罵るマリク。その言葉は、そのままに、言った本人とアリアの胸を深く抉り取った。そうやって、自分たちは彼に守られていたのだ。
「アリアさん……とおっしゃいましたね」
 地面に目を落としたまま、マリクは呟いた。頷き、それでは見えないかとアリアは短く肯定の言葉を返す。
「もう一度、その移動陣を動かせますか?」
「え?」
「できるなら、お願いです。――僕を、その場所に連れて行って下さい」
 思い詰めた表情で、マリクがアリアに向き直る。
「僕では大した力にならないかも知れませんが、お願いです」
「マリクさん」
「逃げたままでは、いたくないんです」
「でも、ひとりじゃ」
「判ってます。それでも、僕は、あんなにも、疑ってたのに、あの人だって、気付いてたはずなのに! 僕はすぐに諦めて、逃げて、あの人はもう駄目だと諦めて、でも、諦めきれずに人に頼んで……!」
 後悔が、強く彼を苛んでいる。
「魔物を簡単に倒してしまう、あの人が怖かった。恐ろしいと思った。でも、……でも今は、生きていて欲しいと思うんです。だから、だから、」
 お願いします、とマリクは頭を下げる。
 ああ、とアリアは思った。
 ――莫迦だ。私は。
 生きたい、と思う。だがそれと同じ重さで、生きていて欲しいと願う。
(助けられたはずの人が死ぬのは、もう嫌だと思っていたのに)
 いつの間に、こんなにも臆病になっていたのだろう。体面ばかりを気にして、自分の力に怯えながら生きて、そして、本当に大切なことを見失って。
 生きて、と兄は言った。そして彼は死んでしまった。その時の後悔を、絶望を、忘れることの出来ない消失感を、――また繰り返すつもりだったのだろうか。
 勿論、親しさにおいて、アッシュは亡き兄に比ぶべくもない。だが、アリアは、彼の心に触れてしまった。
「マリクさん」
 頭を上げるように促し、アリアは一度深く息をした。
「ありがとうございます」
「え?」
「おかげで私、――自分が何だったのかを思い出しました」
 怪訝な顔をするマリクに、深く礼をして、踵を返す。その時には、心は決まっていた。
 移動陣の上、慌てて追い来るマリクを拒絶するように、アリアは振り向いて、笑う。
「ごめんなさい」
 触れられないように、結界を展開する。マリクは、驚いたようにアリアを見つめた。
 彼は、連れてはいけない。
 謝りながら、アリアは体の中に残っている魔力を確かめた。戻るだけで、ギリギリの量だろう。後は、拾った金属片に残っているアッシュの魔力を取って、と思い、ふと妙な違和感に首を傾げた。
 ほかにもどこからか、アッシュの魔力を感じる。それも、二カ所。
 その源を探り、アリアは苦笑した。いつかギルフォードにもらった腕輪から微弱に、ペンダントトップから強烈に。後者は、初めて魔法院を訪れた時に、フェルハーンからもらった鉱石を加工したものだ。離宮で一旦思い出した後、またずっと忘れていたものだ。まさか、入っていたのがアッシュの魔力だったとは。
 考え、気付いて自嘲する。――本当に、自分は莫迦だ。
 計算高いフェルハーンが、何も考えずに貴重な石をくれるわけなどない。彼は初めから――聖眼でアリアの異常体質に気付いており、敢えて、既に魔力で満たされた石を渡してくれたのだ。それでいて、ずっと、知っていることを黙っていてくれた。黙って、普通の女の子として接してくれた。
 思わぬ所から助力を受け、人の思いに触れ、人は、人の繋がりによって支えられていると実感する。
 アリアは、間に合って欲しいと願い、指先に力を込めた。そうして、人が人として持っている機能の欠落した欠陥だらけの体の中で、最も罪深い指先に、祈る。どうか、もう少しだけ、私に力を貸して下さいと願う。
 移動陣が、淡く光る。
「ごめんなさい。――行ってきます」
 絶対に、連れて帰るから。
 そう、心の中で謝りながらアリアは、移動陣を再び発動し、繋がった細い魔法の道を引き返した。


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