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 (二十一)

 一日とかけずにタラントへ運ぶ。その宣言を上回る速度で、王都を出た翌日の未明に、フェルハーンとギルフォードは、タラントの砦にたどり着いた。そうして、到着の直後、衝撃的な事実を耳にすることとなる。
「義姉上が……」
 フェルハーンの呟いた声に含まれていたのは、驚愕ではなく落胆だった。そういう決着の付け方もあるだろうと思ってはいたが、けして願っていたわけではない。できるなら、他の方法で償って欲しかったと思う。
 タラント騎士団長、メルデ・リンゼは、気まずそうに目を伏せて報告を続けた。
「殿下のご遺体は既にお清めしております。――お会いになりますか?」
「いや、止めておこう。義姉上も、それは願ってはいないだろう」
 緩く首を振り、未練を断ち切る。
「それより、ディアナはどうしたんだ?」
「それが……、休まれるようにと部屋をご用意したのですが、いつの間にかお姿が」
 護衛に付けていた騎士を追い払ってしばらく、様子を見に行ったところ、窓から出て行った跡があったと言う。
 くどくどと言い訳をせずに、メルデは確認されている事実だけを口にする。実際、死んだ王女のことや、現れたという魔物への対応だけで精一杯だったのだろう。生きていて怪我もない人間が自らの意志で消えたのなら、メルデにはどうしようもないことだ。
「確認しましたところ、厩舎から馬が二頭、いなくなっておりました」
「判った。私の兄妹のことで、迷惑を掛けてしまったことを詫びよう」
「いえ。それよりも……」
 思案深げに、メルデは目を伏せる。
「離宮へ、行かれますか」
 フェルハーンがわざわざやってきた目的を、読み間違えずに問う。頷くと、メルデは決心したように顔を上げた。
「殿下。足手まといになるやもしれませんが、タラントの騎士をお連れ下さい」
「しかし、こちらも事後処理や近隣の村への対応で、手一杯だろう」
「はい。ですが今回、私どもの対応は後手に回っておりました。離宮に満足な対応が出来ぬままに、今回のような結果となってしまいました。どうか、私どもにもう一度、機会をお与え下さい」
 軍の仕事の一環に、非常事態の収拾と近隣の安全の確保が挙げられている以上、確かに離宮の処理が出来なかったことはタラント騎士団の対応ミスでもあるだろう。だが、人間、できることには限度がある。エレンハーツの引き起こした事態は、おおよそ、常人の手には余ることばかりだった。フェルハーンやギルフォードのように、魔物と対等に渡り合える力を持つ者は、ごく少数なのである。ましてや、意図的に呼び出され、数体徘徊する状況で兵を投入しても、犠牲ばかりが増えること、想像に難くない。
 だが、仕方のないことだったと判っていても、タラント騎士団としては甘んじてそれを受け入れることが出来ないのだろう。活躍の機会を与えてやらねばならない。
 メルデの思いを汲み取って、フェルハーンは一個小隊の同行に許可を出した。二十名という少人数の選別に悩んだ様子を見せたのは、メルデの演技だろう。フェルハーンの来訪以降、考えて手を打っていたに違いない。彼女が挙げた名前はいずれもどこかで耳にしたことのある名ばかりで、呼べば準備万端の武装で即座に整列した。
 挨拶だけを受けて、休憩もそこそこに、フェルハーンとギルフォードは新しい馬を借りて離宮への道を急ぐ。先導する騎士達はさすがに慣れた様子で、見通しの悪い道を迷いなく馬を飛ばした。
「殿下、この先に村があります。水分を補給しましょう」
「わかった。そのあたりは任せるよ」
 振り返り、ギルフォードに笑いかける。
「それでいいかな?」
「判ってて、聞かないで下さい」
 むっとしたように顔を顰めるが、ギルフォードの声に力はない。無理もないか、とフェルハーンは肩を竦めた。
 王都を、ザッツヘルグ家に借りた船で出発したのは、昨日の午前のこと。普通であれば何日もかかる距離を、非常識な速度で進むことが出来たのは、ひとえにギルフォードの魔法の助力に依る。だが、彼自身自覚しているとおり、それは無茶であったことは確かで、今彼は魔力欠乏状態で脱力感に苛まれているのだ。
 フェルハーンもまた、滅茶苦茶なペースだと判っていて、魔法を使い続ける彼を敢えて止めることはなかった。長年の鬱屈にケリをつけたいと思っているのは、フェルハーンばかりではないと判っていたからである。
 遠目にも判る、炎の宮。天を突く勢いで炎上する離宮に目を投じ、フェルハーンはため息を吐く。
「――殿下!」
 そこへ、若干の動揺を含んだ声が掛かった。遙か前方、先行していた騎士が馬を逆走して近づいてきている。
「どうした?」
「大変です。この先に、ディアナ殿下のお姿が!」
 これには驚いて、フェルハーンはギルフォードと顔を見合わせる。
 騎士に案内を命じ馬を走らせれば、果たして、少しばかり先に進んだところにある、小高い丘に、ディアナは馬を連れて立ちつくしていた。
「義兄上」
 心持ち、疲労は滲んでいるが、声にはいつもの張りがある。呼びかけに、斜め後ろで控えていた侍女が頭を下げた。
「ディアナ? とうに出発したはずじゃなかったのか?」
「この場所から、湖がよく見えるでしょう」
 微笑み、星と月を映し出す穏やかな水面に目を凝らす。
「ここを通りがかった際、異様な勢いで進む船を見つけましてな。義兄上ではなかろうかと、お待ち申し上げていたのですよ」
「……これは、やられたな」
「なんの。正直、駆けつけたは良いが、いつの間にか本当に炎上している始末、どうしたものかと考えあぐねていたのです」
 さすがにディアナは、離宮を取り巻いていた炎が、幻であったことに気付いていたようである。離宮が炎上していることは船の上にいるときに報告を受けていたが、ギルフォードによりそれは、魔力の異常集積によるものと否定されていた。
 しかし今、ディアナの言葉にもあったとおり、炎は本物に取り代わりつつある。付近の林に、確実に延焼しているのだ。熱気もまた、木々の燃えかすと共に、風に流れて喉を焼く。
 まずいな、とフェルハーンはひとりごちた。――事態は、悪化しつつある。その原因を思いやり、彼は表情に暗い影を落とした。
「急ごう。――来るか、ディアナ」
「判りきったことをおっしゃる」
 苦笑し、ディアナは慣れた様子で馬に跨った。侍女も、当たり前のようにそれに倣う。そうしてフェルハーンの号令により、再び小集団は離宮を目指し、馬を走らせた。
 闇を纏い見通しの悪かった道も、近づくにつれて明るさに視界が開け出す。夜明けまではまだ少し、この明るさは、炎によるものだ。恐れるべき事態が進行速度を速めることになるとはと、フェルハーンは苦笑した。
「義兄上」
 どれくらい走った後か。ディアナがふと、真面目な顔でフェルハーンに呼びかける。
「すまぬ」
 彼女らしくもなく、沈痛な面持ちである。痛ましげとも言う。フェルハーンは正直、女性のこの手の表情に弱い。なんでもないように装いつつ、困ったように眉尻を下げ、彼は口を開いた。
「なんで、謝るんだい?」
「わたくしでは、力不足であった」
 エレンハーツのことを言っているのだろう。フェルハーンは、器用に馬を並べ、ディアナに手を伸ばした。
 深く、眉間に刻まれた皺を小突き、微笑を浮かべる。
「君は、よくやってくれた。義姉上とヒュブラの仲を裂いてくれたことは、感謝している」
「……」
「義姉上のことは、私たちが力不足だったのではないよ。義姉上が、自ら選ばれたのだ。誰のせいでもない」
「詭弁です」
「じゃぁ、言い方を変えよう。君でなければ、義姉上は止められなかった。君がいたから、あそこで踏みとどまったんだ。君は義姉上に、あれ以上の罪を重ねさせることを止めた。だから、義姉上の死の責任が義姉上自身にないのだとすれば、敢えて誰にあるのかと言えば――」
 わざと言葉を止め、フェルハーンは遠くを睨む。
「初めに、義姉上に力を与え、騙し、唆した、ヒュブラにある」
 意外だったのだろう。義姉の死が、本人にも自分にもなく、その場に居合わせなかった第三者にあることなど、真面目なディアナは思いつきもしなかったに違いない。
 何度か瞬き、その後で彼女はは目に力を取り戻して笑う。
「――そうですな」
 吹っ切れたわけではないだろうが、無理矢理にでも笑える気力があるなら大丈夫だろう。それを視界の端に収め、フェルハーンもまた目を細めて口元を曲げた。
「――それで、いい」
「は?」
「私は君の、笑った顔が一番好きだよ」
 照れることもなく言った言葉に、むしろ後ろで聞いていたギルフォードがぎよっとして顎を引く。だが、言われた方は極めて冷静だった。
 ディアナは、呆れたようにフェルハーンを見遣り、子供を嗜めるように苦笑する。
「言葉は正確に、ですぞ。義兄上」
「ん?」
「義兄上は、人の笑った顔が好きなのではない。人を笑わせることが好きなのです」
「私は、漫才師かい?」
「そうですよ。人を欺き、煙に巻き、道化の振りをして人を繰り、――幕の後ろで、人の笑顔を見ながら、ひとりで寂しそうにしている」
 言われたい放題だな、とフェルハーンは困ったように頬を掻く。
「ですがわたくしは、義兄上の、笑ったところも好きですよ」
 続く言葉に虚を突かれ、フェルハーンはまじまじとディアナの顔を見つめやった。微笑、そして大輪の華が咲いたように、艶やかに力強く、ディアナは笑う。
「――参ったな」
 降参するように、フェルハーンは肩を竦める。そうして、大きく息を吐き、正面に向き直った。
 近づき行く、炎の宮。あそこに、心を置く者が待っている。何も出来ないかも知れない、もう、遅いのかも知れない。だがせめて近くにと、フェルハーンは馬を飛ばす。
「急ごう。いつか、皆が笑い合えるように」
 頷き、ディアナもまた赤い空を見上げ遣った。


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