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「私が、悪かった」
「判ればよろしい」
「しかし、君を手に入れておいて良かったよ」
 言って、フェルハーンは笑う。ディアナは、あからさまに嫌な顔をした。
「また、人を物のように言いなさる」
「言い方を変えよう。――君が、私たちの方に来てくれて、本当に良かった」
 素直な賛辞に、ディアナはわざと顔を顰めてみせる。頬が緩むのを、抑えているようだった。
 そんな彼女の肩を一度軽く抱き、背を向ける。そうしてフェルハーンはギルフォードに向き直り、再度助力を頼み込んだ。
 ギルフォードは苦い顔のまま、僅かに躊躇いつつも条件を曲げずに口にする。
「――私も、行きますよ。アリアさんが中に残っていると知ったなら、尚更です」
「……」
「ですが、そこで何を見ようと、口外しないと誓います」
 確信を込めた声に、フェルハーンは苦笑する。
「それでは、不満ですか?」
「いや……。そういう意味で、君を信用していないわけじゃないんだ。ただ私は、見られたくなかったんだよ。アッシュを手に掛けたら、泣かずにいられる自信がない」
 瞼を落とし、思うように呟く。
 困惑した表情で、ギルフォードはフェルハーンを見つめた。だが、それも束の間のこと。やがてギルフォードは、誰もが見惚れるような笑みを浮かべた。
「なるほど、あなたは確かに、罵られてもおかしくない莫迦ですね」
「おま……」
「本当、莫迦ですね。――人の死を、ちゃんと泣けるあなただから、私たちはあなたに付いていくんですよ」
 一瞬、フェルハーンは言葉をなくす。まじまじと凝視するが、ギルフォードに、わざとらしさはない。本気で、心から言っているような様子に、フェルハーンは内心で苦笑した。
 よくもそんな、こっ恥ずかしい科白を吐けるなと、感心しつつ口を開く。だが、その照れ隠しが言葉になる前に、三人はあるはずのない馬蹄の響きを聞いた。
「――なんだ?」
 今更、ヒュブラに助力する勢力はないだろう。だとすればこちらの援軍だが、あいにくと今のフェルハーンに、そんな当ては存在しなかった。
 第三勢力かと思い、タラントの騎士たちの方を振り返る。丁度、後方で見張りをしていた騎士の一人が、まろぶように戻ってきたばかりだった。
「ティエンシャです、殿下!」
「は!?」
「ティエンシャの軍です。装備は軍服ではありませんが、ティエンシャ領の旗を持っています」
 何故、と呟き、他の二人に目を走らせるが、彼らにも覚えがない様子である。どういうことかと首を傾げつつ、水浸しの林道に立って、それが来るのを待ち受けた。
 近づく、馬の嘶き。木々の間に疾走する長い影が揺れ、土煙が舞い上がる。やがてフェルハーンの真正面に、確かに見覚えのある女性騎士が姿を現した。
「オリゼ・アデルマ?」
「殿下、御前、失礼します!」
 ディアナの魔法が局地的なものだったためだろう。濡れた様子もなく、ティエンシャ騎士団団長、オリゼ・アデルマは馬から下りてフェルハーンの前に跪く。そうして、凛とした声を張り上げた。
「王の命令もなしの領地侵犯、違法行為であることは承知です。ですが、ティエンシャ騎士団騎士三十名、ローエル騎士団騎士同じく三十名、どうか、この場限りではありますが、麾下にお加え下さい!」
「それは――構わないが、どうして、ここに」
「ティエンシャ公より、ご命令が。魔法使いも、数名同行させております」
「彼が……」
 救い出されたこと良いことに、漫然と過ごす男ではなかったらしい。最も重要な状況を見計らい、唯一の持ち駒を最善の場所で動かしたのだろう。
 しかし、とフェルハーンは首を傾げてオリゼを見遣る。
「ローエルはともかく、ティエンシャの騎士は警戒対象となってるはずだ。君を含め、よくここまで来ることが出来たね。エンデやルエッセンの騎士団が妨害しなかったのかい?」
 ティエンシャ領から王領を通り、ローエルを回って離宮に近づいたのだとすると、国内最大規模の騎士団の検問をくぐり抜けなければならないという危険を伴う。隠れ、一般人に身をやつして来たのだとすれば、すり抜けることも可能だが、その場合、一日に進める距離はたかが知れたものとなる。ティエンシャ公がローエルに落ち着いてから指示を出したのだとすれば、とても間に合う距離ではない。
 もっともな疑問に、オリゼは僅かに返答を躊躇い、しかし結局は顔を上げて口を開いた。
「ザッツヘルグ領の通行を許され、そちらから参りました。ローエルの騎士とは、タラント付近で合流いたしました」
「……なるほど」
 ティエンシャから河をさかのぼり、ザッツヘルグ領内で上陸、その後領境を抜ければ、確かに人目に付くこともない。
 フェルハーンは王都で別れたゲイルを思い出し、苦笑した。早々に立ち去った後、彼はそちらの指揮を執りに走ったのだろう。
「……いいだろう。この場での活動を許可する。この際の越権行為は、おおめに見るよう、事が終わった暁には、陛下に申し上げる」
「殿下」
「――よく、来てくれた」
 勇敢な騎士団長を讃え、フェルハーンはタラントの騎士へ振り返る。
「君たちは、オリゼの指揮下に入ってくれ。とりあえず、付近への延焼を最小限にしなければならない」
 収穫は終わっているとは言え、一度焦土と化した土地を元に戻すには、何年もの時間と労力を消費しなくてはならない。村が焼け、家を失う者が多くなればなるほど、救援に国庫が悲鳴を上げることになる。この北方では、凍死者と餓死者も増えてしまうだろう。
 なんとしてでも、離宮の一帯だけで、被害を食い止めなければならない。
「私は、炎を発生させている魔法使いを止めに行く。その間君たちは、逃げ遅れた者を保護しつつ、延焼を防いでくれ。方法は、任せる」
「はっ!」
「だが、いよいよ危なくなった場合は、逃げるように。以上だ」
 大雑把極まりない指示だが、この際はこれ以上のことは望めない。根本をどうにかしない限り、局地的な対処では限界があるのだ。
(あいつが、あれを呼ぶ前に……)
 固く拳を作り、フェルハーンはディアナの元へと歩く。
「わたくしは、ここで皆の手伝いをしておりますよ」
 心得たように、ディアナは笑う。
「まったく、攻撃魔法ばかり覚えていてはならぬということですな。こういうときに、自身を守る魔法すら知らぬとは、悔やまれますな」
「すまない」
「せいぜい、ギルフォードどのの足手まといにならぬよう、お気を付け下され」
 言って、フェルハーンの背中を押す。それ以上の言葉は、必要なかったのだろう。それに導かれるように、フェルハーンは何度か振り返りつつ、離宮を目指して駆けだした。
 後を追うギルフォードが、自身とフェルハーンに、炎から身を守る防御結界を展開する。何かに包まれた、と思った瞬間には、あれほど熱いと思っていた熱風が、まったく感じられなくなっていた。そのことに素直に感心するフェルハーンに、横に並んだギルフォードが真顔で問いかける。
「正直にお訊ねしますが、殿下、勝算は?」
「難しいね。――ヒュブラが、どれだけ消耗しているかが分かれ目だな」
 根本的なところでギルフォードは、アッシュを殺さなければならない理由を知らずにいる。語ったとしても、十数年前の惨事を直接知らない以上、ギリギリのところで彼は躊躇ってしまうだろう。故に、アッシュに関しては、フェルハーンが確実に片をつけなくてはならない。
 そうなると、ヒュブラへの牽制は、ギルフォードの仕事となる。だが、本来なら対等に渡り合える腕を持つギルフォードも、今現在、魔力の不足に劣勢を強いられることは否めない。
 賭けだな、とフェルハーンは思う。そうしてその賭けには、たったひとつだけ、不確定要素が潜んでいる。
「ただ少し――……」
 呟くように、フェルハーンは言葉をこぼした。
「ほんの少しだけ、希望がある」
「え?」
「ひどい人間だよ、私は」
 自嘲し、フェルハーンは目を細めて前を見遣る。
「彼女が、辛い決断をすることを、祈っている」
 少しずつの苦労とささやかな幸せを、皆に等しく与えたいと彼女に語った口で、彼女がひとり、苦痛を受けることを祈っている。
 勝手な事だと判っている。だが、願わずにはいられない。
「……どういう、ことですか?」
 眉を顰めたギルフォードを、フェルハーンは躊躇いを含めた目で見つめ遣る。だが、逡巡は僅かだった。
 離宮に共に入る以上、どうせ一部始終見ることになるのだ。間に合うのならば、ギルフォードも引き込んでしまった方が確実だろう。何事も口外しないと、表情固く言い切った言葉を信じるより他はない。
 フェルハーンは、言葉を選ぶように、口を開いた。
「アリアの魔法使いのレベルは、生産0、貯蓄8、放出9、ということだよ」
「……え」
「彼女は、他の物から魔力を取る力がある」
 驚愕に顔を引き攣らせたギルフォードは、しかし、それを嘘だとも有り得ないとも断じなかった。もともと、アリアに対して違和感を覚えていた男だ。薄々と、彼女の言動がおかしいことに気付いていたのだろう。
「魔力を奪って自分物にすることも出来れば、ただ対象から引きはがして、自然界に拡散させることも可能だろう。アッシュが言っていたよ。あの子の使う魔法は妙だ、対象に一切の傷も与えずに、生命そのものを急停止させる魔法を使うってね」
 移動陣の事故で地下施設に迷い込んだときのことを、アッシュはそう語っていた。
「アッシュはいまいち判っていないようだったけど、私には、すぐに判る答えだった。とうに、彼女の能力を知っていたからね。おそらく、生物ならどんなものでも、少しずつ持っている魔力を奪って命を絶ったのだろう。魔力が切れれば死んでしまうのは、何も魔法使いに限った事じゃない。普段使わないから切れることがないだけで、それは魔法使いでない人間だろうと同じ事なんだ。もしかしたらアリア自身は、魔力を奪い取るのとは別に、生物の生命力を取って捨て去る力を持っていると、考えているかも知れないけどね」
 ギルフォードは、ただ黙して、記憶を思い返すようにため息を吐く。フェルハーンが何を期待しているのか、察したようだった。
 アリアならば、どんな魔法も無力化することが出来る。――だがそれを、彼女自身が忌避する力を使うことを強いるのは、あまりにも酷であるように思えるのだ。
(だが……)
 炎を吹き上げる離宮を見つめながら、フェルハーンは思いを断ち切るように、ただ足を急がせた。
 
 *

 熱風が、身の回りを踊る。
 移動陣を抜けて戻ってきた離宮は、わずか数十分の間に恐ろしいほど様相を変えていた。走るのも辛いほどの熱気が、地下通路、そして離宮を取り巻いている。防御結界を張ることが出来なければ、アリアはむざむざと引き返す羽目になっていただろう。
 限界に達しつつある体力、肩で息をしつつ、アリアは捕らえられていた牢の横を走り抜けた。触ることも躊躇われるほどの熱を帯びた扉をこじあけ、焼け落ちた地上部分に転がり出る。
 そこに、覚悟していた炎は存在しなかった。だが、拍子抜けしている暇はない。
 彼は、――彼らは、すぐに目に映った。ただ蹲る体と、そこに足を置く、男の姿。向こうもまた、アリアを見つけて凝視を返す。
「――おやおや、これは、これは……」
 愉悦の混じった声に、アリアは眉根を寄せる。
「逃げたと、思ったのだがね」
「ヒュブラさん……」
 蒼褪めた顔で、アリアはヒュブラの足の下になっている人を凝視する。力なく投げ出された腕、動かない足。アリアの居る場所からは、熱風に歪んだ大気故に、息をしているのかどうかが判らない。
 喉を鳴らし、アリアは掠れた声で問いかける。
「殺したの、ですか」
「――まさか」
 肩を竦めたヒュブラは、かけた足に力を入れ、見せつけるように踏みにじる。
「アッシュ、お嬢さんが、お前の犠牲になりに来てくれたようだ」
「なっ……」
「良かったな。お前もさぞ、嬉しかろう」
 嬉々とした声に、応える音はない。喋る気力がないのか、言葉もないのか、――おそらくは、前者に違いない。
 アリアは、いっそ茫然とヒュブラを見つめた。
「……何故、こんなことをするのですか」
 それを聞きたかったわけではない。ただ、いよいよ極に達したヒュブラの変貌への動揺が、思ったよりも大きかったのだろう。
 ありがちと言われれば否定できない問いに、ヒュブラは哄笑をもって報いた。ひとしきり嗤い、身を捩り、ふとそれを落ち着けて、彼はアリアに細めた目を向ける。
「……お前は、美しいものを見たことがあるか?」
「え?」


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