まさか、と思い、震える手でページを捲る。まさかこの、ゼフィルという男はと思えば、鼓動は自然と速くなっていく。
だが、最後、肝腎なところで、その文章は途切れていた。決定的な言葉は残さぬまま、力尽きたように唐突に、言葉は終わりを告げる。書くことが無かったのか、書くことが出来なかったのか、今となっては想像することしかできないだろう。
深く息を吐き、ギルフォードは凝と、落とされたインクだけが滲んだ紙に目を落とした。そこに、涙の跡を見たのは、気のせいか。
(――ゼフィルは)
本当に、魔法を開発したのだろうか。
(違う……)
新たに、一から作り出したのではない。結果があり、それを求めて組み立てていった。そういう内容だった。そうして結局、その結果へ導く方法を見つけられぬまま、そこで、終わった。
――逆魔法。魔法の流れを逆に向ける魔法。しかし、それを閉じこめると受け取られた解釈は、間違っていたのではないだろうか。
魔法とは放ち、使うもの。その逆とは。
考え、しかしゆっくりと、ギルフォードは本を閉じた。そうして、その手に、炎を宿す。
乾いた本、端からじわりと、滑らかな火が浸食する。それは瞬く間に広がり、黒く領土を広げ、――やがて、全てを呑み込んだ。
はらはらと、黒い灰が掌からこぼれ落ちる。風を受け、宙を舞い、降り積もった灰の上に混じっていく。貴重な知識はやがて、万物の理に従い、土と還っていくだろう。
その光景を眺めながら、ギルフォードは、頬に一筋、雫がこぼれていくのを感じた。
未知の魔法。ただひとり、自分だけが知るという優越感。そして、手に入れる、圧倒的な力。その誘惑に勝てたのは、自分の力ではなかった、と彼は思う。
本の存在を隠そうとし、その途中で殺された師。先天的疾患を持ったが故に狙われ、自ら死を選んだ妹。彼らの無念を知りながらも、抗いきれなかった好奇心。
それを断ちきったのは、兄の死を語る、寂しそうな、少女の微笑の記憶だった。
頭振り、ギルフォードは顔を上げる。終わったのだ、と思う。一冊の本が引き起こした全てが、今、ようやく終わったのだと。
(行こう)
才能に溢れながらも、ゼフィルという男は孤独だった。ヒュブラもまた、そうだったのだろう。
ギルフォードは、その才に於いて、先人たちに及ぶべくもないが、それを補って余りある、仲間が存在する。自らの力を忌避する少女にも、支える存在がある。ギルフォードにもまた、これから支えになろうとする意思が芽生え始めていた。――彼女が、ゼフィルのように孤独に啼く必要がないように。
帰ろうと、踵を返す。その背中に、――ふと、目映い光がこぼれ落ちた。
空から舞い落ちる羽のように、ふわりと、光の粒が舞い降りる。ひとつ、ふたつ、それは次第に数を増していった。
驚き、ギルフォードは空を仰ぐ。そうして、まぶしさにも構いなく、大きく目を見開いた。
炎よりも朱く、太陽のように黄金に白く煙る、さざ波のように揺れる羽毛。
頭上を通り過ぎていくそれを、ギルフォードは、息をするのも忘れて見つめ遣った。
*
懐かしい光景に、胸が打ち震えるのを感じながら、フェルハーンは目を細めた。
間に合わなかった、そう思い、しかし数秒後に違和感を覚え空を仰ぐ。
見る者を圧倒する、力強い美しさは変わらない。ただ、あの時と違うのは、それが猛るでもなく、優雅に舞っていることだった。闇の中を、昼よりも明るく目映い光を撒きながら、それは悠然と空を旋回する。
朱と金の粒が、地上に舞い落ちる。火の粉にも似たそれは不思議と熱を持たず、手の上で弾けて消えていく。
「炎が……」
遙か遠くまで手を伸ばしていた炎は、今は見ることが出来ない。だが、吹き抜ける風は、もはや熱風ではなく、冬の気配を帯びたものに変わっていた。
「……そうか、大量の火を糧に、呼んだのか」
朱と黄金の鳥が通り過ぎる道に、細かな白い灰が散る。
「やってくれたのか……」
独りごちるフェルハーンの目に、一つの影。黄金の雨を浴びながら、気を失った少女を護るように抱え、静かに歩き来る。
そこにあったのは、希望でも奇跡でもなく、力の限りに耐え、また、勇気を出した結果だった。その末が、今上空を巡る美しい炎の鳥だとすれば、その何と、素晴らしいことか。
フェルハーンは、一歩、進む。そうして満面の笑みを湛え、彼らを迎入れた。
「――おかえり」
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