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(二十二)

 王都の第一区、再建の進む王宮の前に建つ執政区の建物の中で、ギルフォードは、かれこれ一時間ほど待ち呆けていた。
(平和ですね……)
 退屈といえばそうに違いないが、穏やかな陽射しの暖かい室内には、平穏が溢れている。ここ数ヶ月の激務を思えば、こういったささやかな駄賃をもらうことくらいは許されて然るべきだろう。
 主犯とされるヒュブラ・ロスの暴挙を初めとする一連の事変は、離宮の炎上から三日経った今、ようやく事後処理に一段落がつこうとしていた。完全に元の状態を取り戻すにはまだかかるとしても、関わった者の処遇については、どうやら全て結論が出たようである。
 セーリカの謀略、グリンセスの叛逆、コートリア騎士団長の画策と、国の中枢に近い人物が多く関わっていたことは、国中を震撼させた。国王による発表は瞬く間に国土を駆けめぐり、次の日には知らぬ者はないという有様で、今もまだ人々は口を開けば話題に挙げている。終わったことを喜び、手前勝手な推測を口にする、その中では当然、領主を抑えることすら出来ない国王の力のなさを責める声もあった。しかし、大多数は王族に同情的、或いは反逆者達への非難が中心となっている。
 幸いなことに、今後への不安については、おおかたの予想よりも薄い傾向にあった。これは、国内最大勢力のザッツヘルグ家が、国王を全面的に支持し支援する声明を出したことが、大きく影響しているのだろう。
 思い、ギルフォードは苦笑した。ザッツヘルグと国王の間に、化かし合いにも似た取引が行われた事は、想像に難くない。ツェルマーク・ザッツヘルグのことを不問にする見返りとして、今回の声明は発表されたのだろう。ゲイルがフェルハーンにせっせと売った恩も、無事高く買われたようだった。
 ツェルマークのように、死んだ者、或いは自らの処遇を決めた者を前面に押し出した裏で、秘密裏に処理されたことも多くある。その最たるはエレンハーツの存在で、彼女のことは、「ヒュブラに翻弄された犠牲者」という括りの中で処理されることとなっていた。彼女の表の顔はあくまで、薄幸の王女という役割であったため、聖眼の持ち主さえ別に設ければ、他の全ての動機をヒュブラに重ねることも出来る。工作は、さほど難しくはなかっただろう。
 勿論、一介の魔法使いであるギルフォードに、詳しい決定事項など知る術はない。正直に言えば、それで皆の生活が少しでも早く落ち着くなら、という心境である。ヒュブラはともかくとして、エレンハーツには多少同情の余地もあり、自ら死を選んだ者を、今更追い落としてどうなるものでもない、とすら思っていた。
 ぼんやりと事変を振り返っていたギルフォードが、それから更に待つこと半時間。さすがに、いい加減帰ろうかと思っていた頃合いを見計らったように、その男、フェルハーン・エルスランツ・クイナケルスは姿を現した。
「悪い。待たせた」
 微塵にも悪びれた様子はなく、朗らかにさえ笑っているが、さすがに疲れた様子は隠し得ない。その姿に、口まで出かかった文句を前歯で堰き止め、ギルフォードはただ苦笑した。
「思いの外、グリンセスの処遇が決まらなくてね」
「弟君が継ぐ、という案は通らなかったのですか?」
「ヴェロナ・グリンセスの証言でね。殆ど共謀していたことは間違いない。領主としての手腕も期待できないしね」
 さりげなく辛らつな言葉を口にして、フェルハーンは口の端を曲げる。
「グリンセスの始末をつけるという意味で、ディアナを王族の籍から抜いてグリンセス公に据えるという話も出たけど、彼女が後見と仲違いしていたのも知られた話だし、関係ないだろうとか、侃々諤々」
 結局、死んだドマーク・グリンセスの娘が成人するまでの間、国からの役人が管理と教育を受け持ち、然るべき時期を見て領主とする、という妥協案に落ち着いたとのことだった。
 客人であるギルフォードに用意された香茶をポットから注ぎ、フェルハーンは勝手に飲み干して息を吐く。
「セーリカについては、問題なかったけどね」
「やはり、セーリカ公が引退されて、それで責任を取る、という方向ですか?」
「まぁ、初めから、義姉上に話を持ちかけられた時点で、失敗したときにはそうするって算段だったらしいからね。どうせ引退間際、最後に、勝算は低いが勝てば実りの大きい賭けに出たってところだろう。グリンセスと違って、本気で領地自体の命運を賭けてたってわけじゃないところが、あの狸らしいところかな」
「全ての罪は自分が被り、息子には領地を残すというわけですか……」
 ひとりの人間が役職を辞するくらいで責任を取れるほどの、単純な事件だったとは思えないが、そこは、別に裏取引が存在するのだろう。おそらくは、被害者であったことが示され、更に土壇場で王弟に恩を売ったティエンシャが、ワイルバーグ城砦の管理権という甘い汁を吸ったに違いない。
 コートリア騎士団については、とうに結論が出ている。トロラード・ビアーズは失脚、投獄という、ごく真っ当な刑を受け、騎士団にはいずれ新しい団長が就任するだろう。今のところ、副団長であった女性という可能性が高い。
「ルセンラーク村で起こったことについては、どう処理されのですか?」
「あれは、不幸な事故として処理されることになった。つまり、本当に村は攻め入られていたが、そこにルエッセン騎士団と、義侠心が元ではあったが、国境侵犯し村に救援を送ったマエントの兵が、かち合ってしまった、というシナリオかな」
「出現した、魔物についてはどうするんですか?」
「あれは、『攻め入ったヒュブラたち』が騎士達から逃げるために使役した、となったね」
「外交官殺害については?」
「あれは、事実そのままかな。ただし、マエントに本当の意味で非はないとしても、こちらから謝罪することはないね。マエント国内で起こったことなのだから、周辺の警備に不備があったとするつもりだ。つまり、対マエント外交に、今更の変更はない」
 これは、一方的な被害者であるにも関わらず、大国の意に屈して引退を決めてしまった、マエント国王に対する、外交的な配慮も多分に含んでいる。マエントにさしたる非はなかったと発表するのは容易く、国自体の濡れ衣を晴らすという意味ではキナケスが謝罪すべきなのだろうが、国王が引退してしまった今となっては、逆に上下関係が浮き彫りになってしまうのだ。最後まで自国に非はないと主張し、しかし、国際関係を顧みて潔く引退したとするほうが、まだしも国の威信は保つことが出来る。
 ただ、キナケス国内にマエント軍が入り込んだという事実が、正式に明らかにされることで、新たに浮かび上がる問題がないわけではない。対内的には、マエント国内の砦が焼き払われ、勤めていた兵が行方不明になっていた件を曖昧にしたことを、遺族から改めて責められることになるだろう。
 ややこしいと思いつつ、ギルフォードは嘆息した。いずれにしても自分が責任を持ったり、発言したりする類のことではないが、真相を知っているが故に、少しばかり胸にもやもやとしたものが残る。
「しかし、私がとやかく言うことではありませんが……」
「そうだね。とやかく言いたければ、王宮仕えにでも転向すればいい」
 香茶をもうひとくち啜ったフェルハーンは、不意ににやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「まぁ、それは置いておこう。さて、今日の本題に……と言いたいところだが」
 嫌な予感に、ギルフォードは眉間に皺を寄せる。
「その前に、行くところがある」
「散々、人を待たせておいてそれですか」
「おや、行かないなら、私は構わないよ」
 舌なめずりしそうな調子で、フェルハーンは更に口端を吊り上げる。
「アリアちゃんが目を覚ましたみたいなんだけどなー」
「! 本当ですか!?」
「おや、行きたいかい?」
 離宮からの脱出の後、意識を失ったままとなったアリアは、王宮で手厚い看護を受けている。命に別状はないというフェルハーンの見立てを信じてはいたが、心配していたことには変わりない。
 顎を引き、フェルハーンを睨んだまま、ギルフォードは声を絞り出した。
「結構です。……そのあたりの女官を手当たり次第捕まえて、案内してもらいますから」
 さすがにこれには、フェルハーンも咄嗟に返事を詰まらせたようだった。
 たっぷり時間をおいて、更に胡乱気に問いかける。
「……色仕掛けか?」
「自分の顔の効果は知っています」
「嫌な男だな」
「あなたに言われたくありません」
「じゃぁ、天然も振り、か?」
 如何にも嫌そうな顔のフェルハーンに、きょとんとして、ギルフォードは首を傾げた。それを見て、フェルハーンは嘆かわしげに天井を仰ぐ。
「天然? なんのことです?」
「いい。判った。なんか、疲れた。……行くぞ」
「おや、いいんですか?」
「女官たちが今日、浮ついて使いものにならなくなったら、陛下や宰相が困惑なさるのでね」
 言って、フェルハーンは席を立つ。ギルフォードは肩を竦めながら、彼の後に続いた。
 通路に出ると、一層音が遮断される。だがこの静けさもあと少しといったところだろう。新しく建造される王宮の設計図が完成すれば、国中の職人総出で建築に取りかかることとなる。
(忙しくなるでしょうね)
 第一区画へ出入りする者の制限、重要な書物の管理、国宝の状態確保、それらの盗難防止。各地から職人が集まり、それに伴い仕事を求める人が集まり、更にはそれらの人間を対象にした商売人が集まる。そうなれば経済は急速に回転することになるが、はじめのうちは、王宮再建の為の費用に国庫が窮迫されることとなるだろう。全壊したのは、政治的にあまり関係のない、王族の居住区が中心とはいえ、国の象徴ともいえる建物を、あまり質素にするわけにもいかないのだ。訪れた他国の者に、――この程度の力しかないのか――と侮られることとなる。
 思い、ギルフォードはため息を吐いた。建築とは関係なさそうに見えて、実は魔法院も深くめり込むほどの仕事が待ち受けている。王都では、一般家庭にさえ、初歩的な魔法装置が使われている有様、王宮ともなれば、現代魔法学の粋を尽くしたような高度な装置が必要となるのは当然といえよう。そしらぬ顔で前を歩いているが、その時なればフェルハーンも、あれやこれやと口出ししてくることは想像に難くない。
 今の内に休んでおくかとギルフォードが結論を出した頃、ようやくフェルハーンは足を止めた。一度その場を離れれば、どれが目的の入り口なのか判らなくなるほど、同じ装飾の扉の並ぶ通路である。付近に人通りはなく、執政区の中でもとりわけ端の方にあるようだった。
 ただ、完全に静か、というわけではなかった。
「声……? ああ、ディアナが来ているのか」
 早いな、と独りごち、フェルハーンは扉を叩く。彼の予想通り、扉越しに応えを返したのは、彼の妹王女だった。例によってお付きを一人も付けず、ふらふらと勝手に見舞いにやってきたらしい。大国の王女が一介の侍女の世話をするなど、世間体にもあってはならないことだが、彼女を止められるものが居なかったのだろう。
 国王が「じゃれあい」と評する皮肉の応酬の後、扉までが舌打ちしそうな調子で、内側からそろりと開かれた。
「まだ、はっきりしておらん。あまり、煩くするな」
「わかって……」
 苦笑し、言いかけたフェルハーンは、そこではたと動きを止めた。目を見開いている。
「殿下、何か」
「あーっ!」
 ぎよっとしたのはギルフォードだけではないだろう。ディアナですら後退り、中にちらと見えた医師は慌ててひっくり返ってしまったようである。フェルハーンの「わかってる」は、全く持って当てにならないと、誰もが思っただろう。
 だが、アリアは、と中をのぞき込んだギルフォードは、彼を非難できない立場となってしまった。
「え、――ええ!?」


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