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「認めるにやぶさかではありませぬが、人を喰ったような義兄上と比較されても、なにやら大したものではないような気がしますな」
 若干の冷気と皮肉のこもった声音に気付いたのだろう。フェルハーンは肩を竦め、再びアリアに向き直った。
「君に、任せても大丈夫みたいだね」
「何を、でしょうか」
「それは、追々」
 弓なりに細められたフェルハーンの目からは、探るような色が消えていた。知りたかったことは、全部聞き終えたらしい。一体何だったのかは、無論、アリアに知りようもないが、彼の様子を見るぶんには、どうやら合格点はもらえたようである。
 それはそうと、とフェルハーンは声の調子を変えた。
「先に、君に渡しておくものがある」
 言って、フェルハーンが懐から取りだしたのは、薄い茶色の薄い封筒だった。いつから服の下にあったのか、多少縒れていて、暖かい。
(ここでディアナ様だったら、『義兄上も恒温動物だったのですな』とか言いそうだけど)
 不遜なことを思いながら、アリアは促されるままに封を開けた。中に入っていた数枚の厚い紙を取り出し、検める。
 そうして、アリアは目を丸くした。
「権利書……」
「そう。身分証明書と、王都の第一区画通行許可書、魔法院所属証明書と、後は家の権利書だね」
「どうして、こんなものが……」
「わたくしから、言おう」
 音もなくディアナは近づき、アリアの肩に手を優しく乗せる。その、彼女には珍しい、躊躇いと寂寥感を含んだ視線に、アリアは反射的に身構えた。
 ――とんでもないことを、言われそうな気がする。
 だが、聞かなければならない。意思を込めて見返すと、ディアナは軽く頷いたようだった。そうして、重たげに口を開く。
「本日をもって、お前を解雇する」
 むしろ優しいまなざしをもって、ディアナは静かにそう告げた。
「もう、わたくしの庇護は要らぬな。むしろ、侍女としての仕事を兼ねている方が害になる」
「そんなことありません!」
「いや、もう決めたのだ。……この国に来たときから、考えていたことでもあるがな。その力、公にするわけにはいかぬが、協力者がいれば大丈夫だろう」
 協力者との言葉に反応し、ディアナから視線を移した先に銀色の髪と空色の目。
「すみません。全部、聞きました」
 誰に、と問う気は、不思議と起こらなかった。離宮におけるあの状況の中にギルフォードが居たのだとしたら、隠しておく方が害になっただろう。そして、それとは別に、アリアもずっと、彼には言っておかなければならない気がしていた。
「アリアさんには、魔法院の正式な所員として働いてもらいます」
「……構わないのですか?」
「大歓迎ですよ。魔法を識り、その力を知り、その恐ろしさを知っているあなたのような人が、今後の魔法学には必要なのです」
 ギルフォードが目を細めて笑う。思わず頬を染めたアリアに注意を促すように、ディアナの後ろから咳払いが聞こえた。
「ちょっと、ふたりとも。良いところだけ取らないでくれるかな」
「義兄上は余計なことも言うからの」
「ひどいな。独立祝いを持ってきたのは私なのに」
「……それを渡すだけのために、ふざけた挙げ句にひどいことを問うたのは、どこの誰でどの口であるかな」
 ひとつしか年の差はないというのに、ディアナはどうも、アリアの母親のように保護する癖がある。威嚇するように歯を剥くディアナに、フェルハーンは、笑って後頭部を掻いて誤魔化した。
 庇護し、庇護される。だが、その関係も、ディアナが決断したとおり、これで最後なのだろう。思えば、十年ほどに及ぶ付き合いだった。兄を失い心を無くしたアリアをイースエントの王宮に連れて帰り、彼女が強引に立ち直らせたのは、今は遠い記憶となっている。
 兄の言葉があり、ディアナの保護と叱咤があり、レンや多くの仕事仲間の他愛のない日常生活があって、そうしてここまでやってきた。今更、別れたくないなどと、言って困らせたくはない。
 アリアは、四枚の紙を手に、ゆっくりと三人を見回した。
「ありがとうございます」
 礼を述べ、深く下げたアリアの頭に、ぽんと置かれる大きな手がある。上目遣いに見上げれば、フェルハーンが穏やかな目を向けていた。
「礼を言う必要はないよ。むしろ、それをしなければいけないのは、私の方なのだから」
「私……なにもしていませんが。ご迷惑ばかりかけて」
「それは、君が可哀想だとか、ディアナの侍女だったからっていう優遇じゃない。それは純粋に君の働きに対しての評価だよ。――私の部下を救ってくれただろう?」
「わたくしの従姉妹もな」
 次いでディアナが、アリアの頭を軽く撫でた。ヴェロナの無事を間接的に確認し、アリアはほっとしたように息を吐く。
 フェルハーンもまた、僅かに微笑んで言葉を続けた。
「君があの炎の屋敷に戻ってくれなければ、そしてその力を解放してくれなければ、想像を絶するような大惨事が起こっていた。そうさせないために、私も、最もやりたくないことをせざるを得なかっただろう。ヒュブラをみすみす逃がす羽目になったかも知れない」
「ヒュブラさんは……」
 思わず突いて出た問いかけに、フェルハーンはちらりとギルフォードを一瞥した。視線の先、複雑な表情のままに、銀色の髪が揺れる。
 ああ、とアリアは男の姿を思い浮かべた。
「君はアッシュの力を使っただけだと思っているかも知れないが、そうじゃないんだ。君がアッシュの力を取った時点で、彼に掛かっていた『沈黙の魔法』の効果も一緒に取り込んで消滅させたんだ」
「それで……」
 起きる気力もないほど苦しがっていたアッシュが、いきなり立ち上がるまでに回復したのは、それが原因だったのか。無敵にさえ思えたゼフィル式魔法であるが、どうやら、アリアはその天敵であったらしい。
「ただ、アッシュに魔法が戻ったとしても炎は消せなかっただろう。あれは、君が彼の言葉に合わせて、未知に近い魔法を使った結果なんだ。あそこで炎が消せなければ、あの近くにいた何十人が死に、付近にも延焼しただろう。これから厳しくなる寒さに、家を失った者達も何倍にも増えたに違いない。そうなれば、ルセンラーク村の消滅よりも、遙かに規模の大きい被害が出ていたんだ」
「あれは、どういう魔法だったんですか?」
「正確に言えば召喚術かな。正直なところ、私もずっと純粋な魔法がああいう形を取ったのだと勘違いしていたんだけどね。アッシュも別に、そのことは否定しなかったし。しかしどうも、最高位の炎の魔物を召喚していたようだ。周辺の炎全てを糧にね」
「魔物って……、コントロールできないじゃないですか!」
「うん。だけど、魔物の力が半端じゃないと、代償なしに召喚し続けることは出来ない。つまり、炎を喰らうだけ喰らわせておいて、燃料切れで召喚続行不可能という状態にして、炎が消えるのと同時に彼らの住む場所に還したということだね」
「魔物……怒らないんですか、そんな勝手なことしておいて」
「どうだろうな。私の見た感じではそういった感情はなさそうだった。あれほどの力をもった存在なら、偶然でもない限り、本来なら強制的に呼び出すことはできないだろう。炎という餌があり、且つアッシュの魔力が魔物のそれと酷似しているから、興味を持って来てみた、という程度なんだろうね」
「はぁ……」
 気の抜けた返事になってしまったのは仕方ない。フェルハーン以外の面子は、どれも微妙な表情を浮かべている。
 フェルハーンは、ギルフォードの方に振り返った。
「綺麗だっただろ?」
「……不本意ですが、それは認めます」
 してやったり、といった顔でフェルハーンはにやりと笑う。長年言い続けては「幻」だの「見間違い」だのの言葉で片付けられていたものの実物を、漸く見せることが出来たのだ。偶然とは言え、フェルハーンには気分が良い。ギルフォードにしても、彼の手前しぶしぶ、といった様子で頷いてはいるが、炎の化身の美しさには充分当てられている様子であった。
 忘れようもない美しい光景を思い出しつつ、アリアは渡された物に目を落とす。
「あの……しかし、いくらなんでも、これは優遇されすぎている気がしますが」
 身分証と魔法院所属証明書は、ディアナの館を出て以降必要なものとしてありがたく受け取ってはおくが、第一区画通行証と住むところまでとは、至れり尽くせりに過ぎるのではないだろうか。思い、アリアは王族ふたりを交互に見遣った。
 フェルハーンが頷いて話を戻す。
「公には出来ない、君への報賞だよ。多すぎるなんて言わないようにね。私はそれでも足りないと思っている」
「え」
「結果的に上手く行ったとは言え、あの場には、魔法に関して逸脱した執着を持ったヒュブラが居た。アッシュにしても、君の付き合い程度では、力を曝して大丈夫かなど、保証はなかっただろう」
 土壇場まで悩んでいた部分を指摘され、アリアは顎を引く。
「今まで隠してきた力だ。急場とは言え、人目にさらすのは苦痛だっただろう。もしかそこから噂が広まり、君の力を知れば、口さがなく責める連中もでてくるだろうし、研究対象と称して興味を持つ輩もいるだろう」
「……はい」
「私も大概特殊な能力を持っているが、君と私では立場が違う。人に知られることを恐れるのは当然だし、隠して生きることは正しい選択だと思う。今までがそうだったように。人として暮らしたいなら、本来誰にも知られてはいけないことなんだ」
「はい」
「決めるまでには、随分悩んだだろう。だが今回、それを押してよくやってくれたと、心根を私は一番評価したい」
 微笑み、暖かい眼差しで見つめくるフェルハーン。ディアナは一歩離れたところで見守り、ギルフォードも大きく頷いている。
 咄嗟に、何も言えなかった。思いも寄らなかった言葉に、アリアの瞼が熱くなる。胸の奥が痛い。
 ディアナ以外の人にも解ってもらえた、そのことが何よりも嬉しくて、自然に頭が下がった。
「……ありがとうございます」
「さっきは、キツイことを聞いて、済まなかった」
 その一言に、アリアはようやく、腑に落ちるものを感じた。
 フェルハーンは、アリアの覚悟を聞いたのだろう。中途半端な気持ちで人を容易く害する力を振るう存在を、国を護る立場としては放置できないといったところか。
 それを含め、認めてもらえたことが、アリアの心を温かくする。
 そこに、部屋の扉を叩く音が響いた。ギルフォードが応対に出たが、どうも、フェルハーンに用のある文官であったらしい。国王が呼んでいるといった内容だった。
「やれやれ、忙しいことだ」
「ですから、わたくしに任せていただいても、良かったことでしょうに」


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