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 呆れた顔で、ディアナはため息を吐く。確かに、アリアの解雇を告げ、必要書類を渡すだけならば、多忙極めるフェルハーンがわざわざやってくる必要はなかった。
 何をしにきたのだろうかと考え、はじめの問いには、他にも意味があったのではないかと首を捻る。
 訝しげなアリアの視線に気付いたのだろう。フェルハーンは顔を戻し、アリアに向けて悪戯っぽく微笑んだ。
「ということで、君には、個人的にプレゼントをあげよう」
「え?」
 何が、「ということで」なのか、さっぱり判らない。思うに、アッシュが話を飛ばす癖を持っているのは、フェルハーンの影響ではないだろうか。
 アリアの困惑を余所に、フェルハーンは楽しそうに口端を曲げる。
「合格したご褒美に、君にとって、一番必要なものをあげる。もうすぐ来るから、楽しみにしておいて」
「もの? 来る?」
「うん、そう。もう、骨の髄まで吸い尽くしちゃって。返品不可だから、そこんところよろしくね。それじゃ」
 なんなんだ、その表現は。
 突っ込みをする間もなく、フェルハーンはさっさと退室してしまった。微妙な笑みを浮かべた面子の中、一番押しに弱そうなギルフォードに目を向けるが、曖昧に笑い返されてしまう。
「ディアナ様?」
「聞くな」
「う……」
「というか、わたくしもはっきりとは知らんのだ。だが、義兄上の問いかけとお前の答えと、わたくしの知っていることを合わせれば、なんとなしには判る」
 ならば教えてくれと目で訴えるが、言う気はないらしい。ギルフォードもまた、同じであるようだった。誤魔化すように目を逸らし、頬を掻く。
「推測で口にする話ではありませんしね」
「はぁ」
「もうすぐ来ると殿下も仰いましたし、待っていればすぐでしょう。私も、殿下に用がありますので、ここで失礼しますよ」
 よく休んで下さい、とにこりと笑って踵を返す。見舞いの礼を言う暇もなければ、呼び止める暇もない。
 逃げるように去っていったギルフォードの残像を目に、アリアはぽかんと口を開けた。フェルハーンが謎の言葉を吐いて以降、どうに雰囲気がぎこちない。
 残っていたディアナは、ただ苦笑した。
「ここまで、万人に苦手とされる奴も珍しいものだ」
「あの、それってもしかして、アッシュさんですか?」
「……ま、来れば判るであろ」
 否定とも肯定ともつかぬ言葉に、アリアは首を傾げた。状況の飲み込めない彼女を、ディアナは優しい目で見下ろして微笑んでみせる。
「わたくしは、正直、恐ろしいと思う」
「え?」
「奴の力は、破壊力だけで言えば、国レベルの脅威だろう。防護魔法のかかっていた離宮でさえ、あの有様だからな。用もないのに、奴に好んで近づこうとは思えぬよ」
「……」
「だが、お前はそんなあ奴を優しいという。ならば、その心で、救ってやれ」
 アリアから見た、アッシュの精神力はずば抜けて高い。その彼の何を、どうやって救えと言うのだろうか。
 問えば、ディアナはただ苦笑した。
「来るというなら、奴自身が話すだろうさ」

 *

 先に出た男の後を追うべく部屋を出たギルフォードは、その直後にぎよっとして後退る羽目になった。
「……陛下がお待ちでは?」
 胡乱気に見遣った相手、フェルハーンは白々しい笑みを口元に浮かべて、壁に凭れていた。すぐにギルフォードが出てくるだろうと踏んでいたような、人を喰った表情に、むしろ呆れたような視線を送る。
「わざわざ来てもらったのに、本題言わないままじゃ、さすがに悪いと思ってね」
「お気遣いいただかずとも。ただ、殿下が『賭けに負けたら教えてやる』と仰った約束が、いつまでも不履行のまま放置されるだけですのに」
「このまま教えないという手もあるんだけどな」
「それでしたら、ディアナ殿下にもお手伝いいただいて、殿下は自分から持ち出した約束も守らない卑怯者と吹聴するまでですよ」
 面白くもなさそうに、フェルハーンは口を尖らせた。普段であれば、勝手にすればと強気に出るはずのところであるが、ディアナの名前を出したことが功を奏したらしい。さしもの王弟殿下も、義妹相手には分が悪い様子である。
 とりあえず、といったように歩き始めたフェルハーンの後を追いつつ、ギルフォードは、思っていたことを口にした。
「第一区画の通行許可証は、親切心ではないでしょう」
「ん?」
「あれは、拘束の一種でしょう?」
 ちらりと、目線だけで振り向いて、フェルハーンはにやりと嗤う。それを見てギルフォードは、推測が正しかったことに苦いものを覚えた。
 アリアに渡された各種の証書。その内、王都の第一区画通行許可証だけは、今後の生活に全く必要のない物だった。では何故、フェルハーンはそのような物を用意したのか。
 単純に捉えるならば、いつディアナや侍女仲間に会いに来てもいいという、親切心のようにみえる。だが、それだけではないだろう。ディアナの侍女であった時はともかく、本来、そう簡単に許可の下りるものではないのだ。
 ここで、他の書類を一緒に考えると、自ずと答えは導かれる。
 働く場所を与え、住む場所を与え、友に会えるという気持ちを与え、――要するにフェルハーンは、そうまでして、アリアを監視できる範囲に置こうとしているのだ。ディアナの元を去る許可を出し、アリアの心情に沿いながらも、本音のところでは、彼はあくまで為政者だった。
 嫌な男だ、とは思うが、この強かさ、或いは狡猾さが政に必要なことも否めない。
 ギルフォードの吐いたため息に、彼は笑ったようだった。
「心配しなくても、アリアはちゃんと判っていると思うよ」
「そうは、見えませんでしたが」
「気付いてはいない。だけど、根本のところでちゃんと、判ってる。出来るだけ、自分の特殊な力を使わずに人の社会で恙なく暮らすには、誰かの保護をどこかで受けていなければ立ち行かないと判ってる。だから、敢えて反発なんてしようとしない」
「長いものに巻かれていると言いたいのですか?」
「むしろ、巻かれてくれている、と言う方が正しいね。彼女自身に、誰かを害する意思がないから、大人しくしてくれている、そういうことだ。一旦怒らせたら、凄いことになるよ」
 想像が追いつかず、ギルフォードは眉根を寄せた。
「君が会ったとき、ヒュブラは既にボロボロだっただろう。あれは、無傷の状態から、アリアが数分であの状態にしたらしい」
 ヒュブラと言えば、炎の魔法使いとして名を馳せた男だった。まともに遣り合うならば、一個中隊は必要と言われたほどの実力者だ。ゼフィル式魔法を習得した状態であれば、更に倍の人数が要っただろう。
「……てっきり、魔物やアッシュさんに苦戦したものと思っていましたが」
「アッシュはその頃、完全にくたばってたよ。炎の鳥を呼ばないために、必死だったはずだ」
 肩を竦めたフェルハーンを、ギルフォードは訝しげに見つめ遣った。――どういうことか。あれを呼んだのは、アリアだと聞いている。
 苦笑とも嘲けりともつかぬ微妙な表情で、フェルハーンは口の端を曲げた。
「ヒュブラの目的だよ。彼は、あれをもう一度見たいが為に事を起こした」
「な……」
「私も出来ることならもう一度とは思ったがね。彼はそれ以上だった」
「そんな、ことで」
「彼にとっては、そうじゃなかったんだよ。――アッシュにとっては、死にたいほどのことだったにも関わらず、ね」
 言い、そうして今度は、寂しげな笑みを浮かべる。
「聞くかい? 少しばかり痛い話しになるが……」
 聞けば後悔をする。
 そう確信しながらも、ギルフォードは躊躇うことなく頷いた。

 *

 ほどなくして現れた男は、平素と変わりなく、やや不機嫌そうな顔をしていた。適当に流した髪に騎士団の上着を脱いだだけと判る適当な服、勿論、土産の持参などあるわけもない。
「気分は」
 愛想もへったくれもない声で問いかけられると、無駄に背筋を伸ばしてしまいたくなるから不思議である。どことなく畏まっている自分に気付き、アリアは短く苦笑した。
 男、アッシュ・フェイツは、部屋の主に断りもなく椅子を引くと、陽の当たる窓際から少し離れた場所に腰を下ろした。午後の柔らかな陽射しは、薄い紗越しにアリアのベッドの周辺を暖めている。元々椅子のあった位置にそのまま座った方が、話す場所としては適切だったが、それではアッシュが、背に陽を受けることとなってしまう。そのあたりを自然に気遣えるのは、彼の妙な特性だった。
「怪我は?」
「治りました」
 多少怠い他は、痛むところもない。離宮で受けた傷は、眠っている間に治ってしまったようである。普段には有り得ない話だ。これもおそらくは、アッシュの魔力の恩恵なのだろう。
 灰色の目をアリアに向け、アッシュはふとため息を吐いた。
「急に倒れるから驚いた」
「そ、そうだったんですか? そこらへん、あんまり覚えてないんですが」
「魔物が消えると同時だったからな。悪い影響でもあったのかと心配した」
 この科白を吐いたのがギルフォードあたりであれば、アリアも素直に応えることができただろう。だがどうにも、アッシュの口から出た言葉だとは、俄には信じられなかった。しかも、表情と言葉面と声音が全て違う方向を向いている。どう反応すべきか、大いに悩むところだろう。
 まじまじとアッシュを見つめ、アリアは引き攣った頬でどうにか笑みを形作った。
「アッシュさんが、連れ出してくれたんですか?」
「ああ」
「重かったでしょう、すみません」
 謝れば、眉根を寄せて訝しげに見つめ来る。アリアの頭のてっぺんから指先までを満遍なく見回した後、アッシュは緩く頭振った。


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