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(終章)

 新年まであとひと月を迎えた年の瀬。
 建築途中の王宮から少し離れた執政区の奥、粉雪のちらつく窓を絵のように従えた一室で、暖炉の火も凍らせるような出来事が生じてい た。
 そこに集っているのは領主をはじめとして、各方面の責任者とも言える重臣ばかり。今この時を狙って攻め入られでもすれば、キナ ケスという国は一瞬にして迷走することになるだろう。
 その、日頃より、多少のことでは動じないような訓練を受けている面子が集まっているにも関わらず、室内には驚愕と焦燥が走り回 っていた。声はない。薪の爆ぜる音が、白々しく室内に響く。
 その中で、ごく一部の、訳知り顔の面々は、それぞれの感想を抱きつつ沈黙を守っている。例えば、国王は至極真面目な顔で諸官を 見回し、ティエンシャ公は微苦笑を唇に乗せ、新顔のセーリカ公はひたすら恐縮しつつ、――王弟フェルハーンは、ひとり、にやにやと笑 っていた。
「……陛下」
 どれほど経っただろうか。掠れた声を絞り出したのは、ザッツヘルグ公だった。ある意味、もっとも立ち直りの早い人物であると言える。
「会議は迅速に、とのご方針に異を唱えるわけではございませぬが、今一度、先ほどのお言葉を詳細に頂戴願えませぬか」
 意訳をすれば、「いきなり何寝ぼけた事言ってやがる。もう一回分かり易く言いやがれ」というところだろう。
 側で弟の吹く小さな口笛を聞き流しながら、国王は如何にも真面目な顔で鷹揚に頷いた。
「いいだろう。俄には信じられぬことやも知れんが、皆、よく聞くように」
 ――果たして、一分後。
 重厚な趣の室内は、幼年学校さながらに、ひどい喧噪の坩堝と化した。

 *

 何やら遠くが煩い。そう思いながら優雅に香茶を啜っていたディアナは、扉の叩かれる音に顔を上げた。しばらく待って、苦笑する 。音階を作っているような特徴在る叩き方をする者は、彼女の知る中では一人しか存在しない。
「お早いことだ」
 皮肉を口にしながらも、笑顔で迎え、ディアナはやってきた人物を室内へと誘導する。心得たもので、側に控えていたレンは、新し い飲み物を用意するためにさりげなく奥へ消えた。
 アリアが居なくなったことを嘆いていた彼女も、今では元の元気良さを取り戻している。時々、魔法院へ出入りしているらしい。
「おや、珍しい」
「何が、ですかな、義兄上」
「今日は、彼女に探らせていなかったんだな」
 無害を装って、ディアナがレンにあれこれと調べ物をさせていたことは、フェルハーンにはとうにばれていたようだ。もっとも、知 られては居ないなどと安易な考えは抱いていなかったため、そうと判ったところでディアナに打撃はない。
 反対に、皮肉っぽい笑みを浮かべ、目を細めてフェルハーンを睨みつける。
「人には見えぬ魔物に探らせている、義兄上ほどタチ悪くはありませぬよ」
「ひどいな。あれはちゃんと制限あるんだよ」
「ほう?」
「諜報を命令した場所にしか戻ってこられないんだ。だから、それを命じているときは、私は大きく場所を離れるわけにはいかなくな るんだよ」
「ああ、それで……」
 コートリアで拘束されていたフェルハーンは、虜囚の身でありながら、ほぼ現実と同時進行の情報を知っていた。もしかすると彼は 、丁度多方面で事件が起こる時期を見計らって、一カ所に留まっていたのかも知れない。
(やはり、嫌な男だ……)
 思えば、ディアナが帰国するよう誘いを掛けてきたのもこの男である。
 いつか泡を吹かせてやる、などと物騒なことをディアナが考えているとはさすがに気付かぬまま、フェルハーンはにこりと笑った。
「ああ、そうそう」
 どうでもいいような口ぶりをしているときほど、むしろ怪しいことが多い。
「ディアナ、君の王位継承権が確定されたよ」
「……おや、てっきり、グリンセスの領地に預けられると思っておりましたが」
「まぁ、それでは私が面白くないからね」
 微妙な言葉を微妙な表情で言い切り、フェルハーンはディアナを見つめた。
「継承権第三位だから、まぁ、継ぐ事はないと思うけどね」
 言い切られた言葉に反論を口にしようと開きかけ、ふと、ディアナは眉を顰めた。そうして、首を傾げてフェルハーンを見遣る。
 問いかけるような視線を受け、フェルハーンは僅かに悔しそうに、殆ど面白そうに、丁度、いたずらに失敗した悪ガキのような表情 を浮かべた。
「ち。騙されなかったか」
「それはどちらに対してですか?」
「私は、嘘は言ってない、ということに関してだよ」
 どこまでも人を食ったような言い方だが、根本的に隠しておくつもりはないらしい。
「正式に、王妃が認められたよ」
「……なるほど」
 国の運営に直接関与していないディアナは、重臣を含めた会議に参加する資格を持たない。事件の最中は、様々な会議にレンをこっ そりと送り込んでいたものだが、今はその必要性をさほど感じてはいなかった。フェルハーンやその他、ご機嫌伺いの貴族子弟の落とす情 報で充分事足りている。
 しかし、とディアナはこめかみを掻いた。
「陛下が今更、妻以外の女性を迎えるとは思えませぬが、さて、反対意見の方が多かった中、どういう魔法を使われたのですかな」
 国王が内乱中に迎えた妻は、エルスランツ領重臣の娘ではある。一般市民から見れば充分に裕福な家の出身ではあるが、いかんせん 、相手が国王となるとさすがに分が悪い。本人の資質とはおよそ無関係に、周囲の思惑が複雑に絡んだ結果選出されるのが王妃である以上 、次代の国王の後ろ盾を狙った各領主、国の重鎮たちに認められるわけがなかった。本人もそれをわきまえているのか、王宮の奥深くで、 所謂私生児扱いの子供とともに静かに暮らしているはずである。
 その、極端な劣勢を、どうやって国王は跳ね返したというのだろうか。
 ディアナの疑問を受けて、フェルハーンは声を上げて笑った。
「もともと、陛下の狙いはそこだったからね」
「それは、この間の騒ぎ全般を指しておられるのか?」
「勿論」
 胡乱気なディアナに、何故かフェルハーンが座るように促して、自らもソファに腰を下ろす。
「メインは、地下でこそこそ進行している悪巧みの暴露だったけどね。もうひとつ、陛下が私に命じてたことがあったんだよ」
 判るかい、と言いたげな視線に、ディアナはムッとして考えを巡らせる。今までのフェルハーンの行動で、おかしいと思ったまま放 置していることは、と記憶を辿り、思い返す。
 しばし頭を捻っていたディアナであったが、解答を得るまでにはさほど時間は必要としなかった。
「ティエンシャ公ですな」
「……なんで、判るかな?」
「簡単です。効率だけを考えるなら、何もティエンシャ公が本当に窮地に陥るまで放っておく必要はありませぬ。それを、わざわざあ のタイミングで大々的に救い出したのは、彼に恩を売るためとしか思えませぬゆえ。他は、そうですな。セーリカ公のことも早々に尻尾を掴んでいたくせに、ボロを出すまで放っておいたことですかな」
「正解。でも、ザッツヘルグは考えに入れていないのかな?」
「あの勢力を従えさせるには、ちと骨が折れますからな。王妃の選出は領主の過半数の賛成で良かったはず。なれば、まぁ、無理をせずとも事は成りましょう」
 もともと、国王の妻を王妃にと賛成していたのはエルスランツとローエルのみ。反対していたうち、グリンセスは、現在事実上領主不在のため、参考意見の扱いになるだろう。他、反逆という、処刑又は国外追放の重罪を犯したにも関わらず、領主の世代交代とワイルバーグ城砦の件だけで事を収めたセーリカは、裏取引の場で賛成に回ることを条件に挙げられたに違いない。ティエンシャ公には、フェルハーン率いるシクス騎士団とローエル領が恩を売った。
 これで、過半数の達成である。残るはザッツヘルグ家のみだが、およそ六対一の劣勢では、法律上からも勝ち目がない。下手にごねれば国内最高権力者の機嫌を損ねることとなる。渋々ながら承諾した――というところだろう。
 殊更しとやかに果実酒を運んできたレンに愛想を振りまきながら、フェルハーンはディアナを真っ直ぐに見つめ遣った。
「陛下は、なかなか強かなお方だろう?」
「弟君にも勝るようですな」
「でなきゃ、あの内乱を生き抜いては来られなかったよ」
 肩を竦め、目を伏せる。そうしてふと、フェルハーンは複雑な表情のまま、口を閉じた。――この男にして、このような表情をさせる内乱とは、あまり、想像したくもない。
 やがて彼は、緩く頭振り、顔を上げた。
「亡命王女が帰還した日、私は王宮の一室で、それを見下ろしてたよ」
 何を言い出すのかと目を見開くディアナを余所に、フェルハーンは思い返すように、懐かしい色と瞳に乗せる。
「目映い陽射しの中、緑に色づきかけた樹木が光を弾き、人々の歓声を風が運んできた」
「……」
「正直、どんな結果であれ、王宮は民衆の非難を受け、私は君から恨みを向けられると思っていたんだがね」
「……見くびってもらっては困りますぞ」
「うん。ごめん」
 悪びれた様子もなく謝り、フェルハーンは手を伸ばす。
 空中で静止した傷痕だらけの手を、ディアナはまじまじと見つめ遣った。その、意味は判る。だがしかし、素直に応じて良いものかどうかと考えあぐねるのだ。
 やがて、フェルハーンが口を開いた。
「国のため、とかじゃなく」
 静かに、呟きを息乗せる。
「私たちの大事な友が、出会いという奇跡を起こしたことを祝って」

 ――これでは、断れない。

 苦笑し、しかし嬉しそうに目を細めながらディアナは、静かに手を重ねた。


 * * *

 キナケス国年表に曰く――

 982年6月、南方の村の焼失。首謀者ヒュブラ・ロスなるディオネル派残党及び、グリンセス、セーリカによる叛乱あり。
 同年9月、ヒュブラ、ドマーク・グリンセスの死去により叛乱終結。これにより、マエント国王及びシャルド・セーリカは引退。王宮・離宮の崩壊。再建築の開始。
 同年10月、正妃選出。同月より、官吏の大々的な異動・改革の開始。

 ホランツ王死去に始まる内乱はこれを持って区切られ、故に後世では、「十年戦争」と称されることとなる。

(了)


あとがき


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