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「キツイかキツくねぇかと言ったら、キツイに決まってるが、お前が想像するのとは違うだろうな。どっちかつぅと、……言っても判らんか」
 緩く首を振り、アルベルトは指で額を押さえた。ラウルを莫迦にしているというよりは、説明し辛いと考えているようである。
 隊のことをろくに知らず、思いこみだけで入ってきた新人をさっくり切り捨てようという意志がないあたりは、案外人が良いのかも知れない。思い、好意的に見つめながら待つことしばし。
 直後、ラウルはその数秒間を溝に棄てたくなる言葉を聞くこととなった。
「まぁいい、現場見りゃ判るだろ。付いてこい」
「え」
「武器は? その剣か? そんなにヒョロけりゃ期待はできないが、まぁ、自分の身は自分で守れ」
「ちょ、待っ、僕、今ここに来たばっかですよね!? 隊の規則とか仕事内容とか、なんも聞いてないですよね?」
「問題ない」
 言い切り、アルベルトは尻込みをするラウルを引きずって扉を開けた。半ば外れかけの蝶番が如何にも億劫そうな音を立てる。
「ちょっとぉ、待って、下さいよ!」
 悲鳴が密集した建物の間で反響し、風と共に上空に消える。
 入って僅か30分。憧れた特別機動隊詰め所から強引に連れ出されたラウルは、襟首を掴まれたまま大通りを引きずり回されることとなった。

 *

 込み入った路地裏を抜けて広い通りを過ぎ、瀟洒な建物の並ぶ住宅街、大勢の人で賑わう商店街を抜け、道を下ること数十分。外郭が大きく見え始めたあたりで、アルベルトはようやくラウルの襟を離した。もともとさして丈夫でもなかった服は伸びきり、正した後も歪に引き攣れてしまっている。
「あー、折角の一張羅なのに、って、隊長!?」
「うるさい」
 身だしなみを整えるラウルの前方10メートル、首だけで振り向いたアルベルトが眉間の皺を深くしている。
「さっさと来い」
「そんなぁ。隊長と歩幅、どんだけ違うと思ってんですか!」
「走れ」
 にべもないとはこのことか。諦めて追いかけるも、やはり小走りになるのは否めない。ラウルは170センチ強、けして低いとは言えないのだが、おそらくアルベルトの方は2メートル近いのだろう。その上背と機動隊の黒い制服、そして腰に佩いた如何にも実用的な剣は、それだけであきらかに周囲を威圧している。
 真正面から怒鳴られたら絶対に漏らす、そう背中を震わせながら後ろを付いて走ったラウルは、突然立ち止まったアルベルトの背中にお約束のように衝突することとなった。
「何をしている!」
 低く凄みの効いた声に、ラウルはひっ、と肩を竦めた。予想に反して漏らしはしなかったが、完全に腰は引けてしまっている。
「す、すみま……」
「届け出のない集会は禁止されているだろうが!」
 だが、続いた言葉にラウルは目を見開いた。弱々しい謝罪の言葉を引きちぎるように放たれた言葉は、明らかに自分に向けてのものではなかったからだ。おそるおそる、上目遣いに前を伺えば、映ったのはアルベルトの後頭部。つまり、彼はラウルではない前方のその他大勢に向けて怒鳴ったということだろう。
 前には何があるのか、思い、ラウルは横に移動し周囲を見回し、そうして何度も目を瞬かせた。
 ごく普通の一般民、――おそらくは周辺の村の農民だろう――と荷台に積まれた作物の山が、視界を埋め尽くしている。
「あ、隊長!」
 そんな人だかりの中、黒い服を着た男が数人、アルベルトの方へと駆け寄ってきた。
「お疲れ様です! 今日はこっちには来ないんじゃなかったんですか?」
「予定外のことだ。それより、これはなんだ」
「あー……、集会じゃないですよ。道で店開こうとしてたんで、止めてたら集まっちゃったんです」
 口調も態度も軽いが、あまり目は笑っていない。ひょろりと痩せた男が如何にも困ったように頭を横に振れば、その後ろで気むずかしげな男が同意を示すように顎を引いた。見事な凸凹コンビだが、彼らはアルベルトの部下、つまりはラウルにとって先輩に当たる。失礼な感想を飲み込み、ラウルは3人の様子を黙って窺った。
「ほら、今日は半年に一度の市が立つはずだった日でしょ、だから、集まってきてるんです」
「なるほどな」
「どうします?」
「勿論、追い出すまでだ」
 低い声に、ラウルはぎよっとしてアルベルトを仰いだ。年に二度しかない市は大規模なもので、この日のために遠方からも人々が集まり、それぞれ持ち寄ったものを店として出す。ひとつひとつの値はさほどでもないが、もともとが裕福な国であり、結果として動く金額は相当のものとなると言われている。別に、近隣の農村の民などは月に一度市を開くこともあるが、そちらは比べて小規模だ。
 それを止めるということは、流通による経済を滞らせるのと同義と言って良いだろう。
 どうする気だ、とラウルは機動隊の3人と周囲を忙しなく交互に見つめた。
「何度言えば判る! ここで店を開くことは禁止されている!」
 大気の振動が肌に伝わるほどに、アルベルトの怒声が響き渡る。
「荷を広げることはまかりならん! 即刻引き返せ!」
「そんな横暴な!」
「そうだ、何を言ってるんだ!? ふざけるのも大概にしろ!」
「無知なのはお前達だ。3ヶ月前にこの地区での露天は全面禁止となった。そこに触れがある」
 ざわり、と人の波が揺れる。そのうちにアルベルトの示した触れ、つまりは条例の記された銅板に多くの視線は流れ、そうして更にざわめきが広がった。明らかに農村から来たと思しき男が、近くにいた王都の民を捕まえて状況を問う姿もある。
「条例その58だ。公共の区画での許可のない商売は、発覚次第注意を勧告、従わない場合は鞭打ち、財産没収となる」
「ひ、ひでぇ……」
「長年、市が開催された後のごみの排出、及び飲食に伴う道または建物外壁の汚染が問題となっていた。王都という街の外観を損なうと共に不衛生という問題が大きい。故に、自由市は禁止となった」
「聞いてねぇよ!」
「そんな、じゃあどこで店を開けばいいんだ?」
「手続きを踏めば、商業区画で店がもてる」
「手続きって……! 手続き代に十年分の稼ぎが払えるか!」
「そうだよ! あんな高額、払えるわけないじゃないの!」
「それは知ったことではない。ここでの市が禁止された理由は先に述べた。即刻立ち去れ」
「じゃあ、折角ここまで来た俺らはどうすりゃいいんだよ!」


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