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「そうだ、そうだ! いきなり勝手なことを決めるな!」
「俺に言っても無駄だ! 言いたいことがあるなら役所に行け!」
 精一杯抑えている、そんな調子でアルベルトが唸る。声の届くごく近くに居た面々はそれを目の当たりにして喉を引き攣らせたが、むろん、それで収まるような場ではない。集まった人の山からは不平不満が噴出している。
 無理もない。大規模な市場は生活に必要なものを手に入れる貴重な機会であるとともに、滅多にない交流の場ともなっているのだ。普段生活する地域からあまり出ることのない村人達にとってはある種の祭典とも言える。それを突然禁止するとなれば、怒りの声が出てこない方がおかしいというものだ。
 なんとかならないものかと、ラウルはアルベルトの横でぼそりと呟いた。
「別の場所で市をやるとか……」
「それも無理だよ」
「え」
 かき消されそうな独り言に律儀に返事をしたのは、いつの間にか現れた金髪の男である。黒い制服を見るに、彼も機動隊の一員であるようだ。右目の泣きぼくろとふっくらした厚めの唇、それにどこか丸い顎が女性的な雰囲気を醸し出しているが、声は太く低い。
 吊り目に下がった眉尻と、元来の困ったような顔立ちに本物の困惑を乗せて、彼は小さくため息を吐き出した。
「ここだけじゃない。許可なく店を開くことも、申請にない品物を売ることも、王都全域で禁止されているんだよ」
「だから、区画にある店舗を買って商売しろって?」
「そう。だけど実際は……」
「フェレ」
 言いかけたのはおそらく、制度に対する根本的な問題の指摘だろう。だがそれを制するように、アルベルトがふたりに鋭い目を向けた。
「客の足元を見て値段をつり上げる悪い商売を禁止しているだけだ」
 なるほど、とラウルは目を細めた。新しく作られた条例はよく出来ている。王都内での自由な商売を禁止する理由として、弱者の保護や都市の衛生を初めに持ってこられては反論も難しいだろう。
 アルベルトはその理由を言い重ねているが、けして納得していないことも判る。だがどうしようもない、そういうことだ。
「週ごと、月ごとの市なら、このままいけば引いてくれるんですけどね……」
 フェレ、と呼ばれた男が苦い声で呟く。それほどに不満の声は高い。
 そうして、一種の膠着状態が続いたのは何分だっただろうか。
 やがて行き場のない憤りが頂点に達したか、荷台を後ろに立っていた大男がひとり、アルベルトの前に進み出た。
「軍人さんよ、あんた本気で言ってんのか?」
「もちろんだ」
「なぁ、せめて今日だけは目ぇ瞑ってくれよ。この売りもんも、村に帰る頃にゃ腐っちまう」
「……触れは一月以上前に出ている。各村にも通達されたはずだ。知らぬお前達が悪いのだろう」
「聞いてねぇよ! ふざけんな!」
「では、今知ったな。戻って、村人に伝えろ」
「……ざけんな!!」
 冷静な声に罵声が被る、否、被ったのは鈍い打撃音だ。
「隊長!」
 次いで、3つの同じ悲鳴。
 おそらくは判っていて避けなかったのだろう。痛烈な一打を受けて尚その場に踏みとどまったアルベルトは、武器に手を掛けかけた部下を制して再び男へと向き直った。
「気が済んだか?」
 恐ろしく静かな声だが、如何にも重い。アルベルトの目から体から、立ち上る威圧感に怒りの感情はないが、それにしてもあまりにも強烈だ。農村の男は喉を詰まらせて一歩退き、その間に黒い制服が割って入る。
 そうして再び生じた睨み合いは、今度は長くは続かなかった。男が舌打ちを残してその場を去ると、他の者も居心地の悪さを感じ始めたのだろう。ひとりふたりと消え、一時間後には都に住んでいる者だけとなった。遠くで、荷車を押す音が響いている。
 固唾を呑んでその様子を見ていたラウルは、そこでようやく深々と息を吐き出した。
「隊長、大丈夫ですか?」
 初めに寄ってきたふたりのうち、痩せた方が眉を顰めながらアルベルトに問う。
「腫れますぜ、戻りましょうや」
「ああ。――行くぞ、お前もだ」
「え、あ、はいっ」
 突然声をかけられたラウルは、その場でぎこちなく直立した。それを見て、他の三人が目を丸くする。
 誰だ、こいつ、と問う三者三様の声なき問いに、アルベルトは短く言い捨てた。
「入隊希望者だ」
「えええっ! 今日から配属されたんですよ、希望じゃないです!」
「今のを見てもそれを言うか?」
 脅しているわけではないだろう。だが複雑な感情の籠もった低い声に、ラウルは返事を詰まらせた。
「……まぁいい」
 頭を掻いて、アルベルトが歩くように促す。
「詳しい説明をしてやるから、とりあえず来い」
 言うや、アルベルトは動き出す。それに合わせて他の三人もラウルに背を向けた。

 *

 ギィ、と耳障りな音を立てて扉が開く。およそ2時間ぶりに戻ってきた特別機動隊詰め所は、出て行ったときのまま、床に紙を散乱させた状態で隊員たちを迎え入れた。窓から差し込む陽光に、埃だけが元気に舞っている。
「さて」
 書類が乱雑に積み上げられた机を横に、アルベルトが振り返る。はじめに会ったときと同じ位置だ。そこが隊長の執務場所といったところなのだろう。広さだけはある室内に、書き物ができる台はあとひとつしかない。
 他の三人は定位置か適当にか、散らばって椅子の上に腰を下ろし、ラウルは所在なげに立ちつくした。
「この隊の立ち位置が判ったか?」
 厳密には、判るわけもない。だが少ない情報で得られるものを聞こうとしているようだ。どこか苦々しい声に、ラウルは気まずさを残したまま口を開いた。
「国民の為ではなく国王のために、無茶と判っていることにも従わなければならないってことでしょうか」
「他には」
「……こういった、嫌われる仕事が多い、と」
「そうだ」
 断定し、アルベルトは眉間の皺を揉む。
「スラムへの徴税、滞納者への強制退去、理不尽な法令の守護、そんな仕事ばっかだ。貴族や陛下の護衛なんかはねぇよ。そういうお綺麗な仕事は第一隊の連中がやってる」
 吐き捨てるような口調に、ラウルは眉根を寄せた。


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