[]  [目次]  [



「警戒する相手くらいは、ちょっと調べといたほうがいいんじゃないですか?」
「お。いい視点だなぁ。でも、もうフェレとボリスがやってるよ。副隊長が別件で動いてるから支援してもらえないけど、まぁ、狙ってくる相手なんて知れてるから大丈夫っしょ」
 昨日ラウルが詰め所を出る前には、今日の任務は全く知らされていなかった。それを思えば彼らの行動は随分と迅速だと言えよう。それぞれが自ら役割を把握して動いているからなのか、アルベルトやまだ見ぬ副隊長の判断が的確で速いのか、いずれにしても隊として優秀であることには違いない。
 他、思いつくままに質問を重ねたラウルだったが、どれにも明確な返事が返ってくるような仕事ぶりだ。こうなれば、仕事に慣れないラウルに口出しできることはない。
 大人しく言われるがままに荷物をまとめ、食料の買い出しに行き、乱れた詰め所を整理し、そうして瞬く間に時間は過ぎていった。刻限まであと十数分、その時点になってようやく戻ってきたボリスとフェレからあるだけの情報を共有し、揃って王都の外郭にある門のひとつへ向かう。
「ここらは初めて来ましたけど、全然人いませんね」
 物見遊山というわけではないが、普通近寄ることもない特別な門の周辺は如何にも珍しい。そうしてきょろきょろと周囲を見回すラウルを小突き、アルベルトはさっさと前を行く。
「お前、変わった奴だよなぁ」
 ふたりの様子を見て感心と小馬鹿の間あたりの感想を漏らすのはカルロスだ。横でボリスが無表情のまま頷いている。フェレはと見れば、彼もまた可笑しそうな困ったような顔でラウルを見返した。
「ここらは政治犯の牢があるあたりだから、関わりを恐れて誰も近寄らないだけだよ。あまり興味深そうにしてると疑われるから、ほどほどにね」
「ああ、そう言えば、そうでした」
 他国からの侵略もなくこれといった災害もないハーロウ国の上層部は常に、地位の保持に余念のない貴族とたたき上げの官吏によって火花が散らされている。
 つまり政治犯と名付けられてはいるが、実際には現在実権を握っている派閥の対抗組織の極端な末路といった方が良いだろう。国の方針に対しての何らかの抵抗や反抗運動を起こした、などといった本来の理由で収監されている者などないと言った方が早いのが現状だ。
 従って、牢とは言え、拷問等が行われているわけではない。抵抗勢力の力を削ぎ、且つ懐柔させるための収容施設であり、特に今の国王の治世下で自らを国王代理と称して権力を握っている男の一派は主に、生殺しにさせるために利用している。抵抗勢力の頭を殺したところで別の頭が出てくるだけと知っている彼は、生かさず殺さず接触させず、という方針を貫いて敵が思いきった行動に出られないように敵すらも操作しているとのもっぱらの噂だ。
「そろそろ黙れ。向こうはもう出てきてるらしいからな」
 先を行く馬上から、アルベルトが低い声を出す。
 特別機動隊という立場上、今から迎えに行く人物たちとは間接的な敵に当たる。些細な無駄口ひとつが相手の何を刺激するか、わかったものではない。
 これまでにも同様の任務があったのだろう。それを思い出してか、カルロスは若干皮肉っぽく口角を上げて肩を竦めた。
「ラウルはとりあえず初仕事になりますから、指示に従っていればいいと思うよ」
「はい」
「何事もなければ、嫌みを聞いているだけで終わるから、大丈夫だとは思うけど」
 含みのあるフェレの言葉に首を傾げ、ラウルは前方に見えてきた人影に目を凝らした。
 重装備で長い槍を立てているのは牢のある一帯の衛兵だろう。数人等間隔に並んではいるが、どれも無表情で何を考えているのかも判らない。
 大仰な帽子を被り、横に広がった体を豪奢な服で更に膨張させているのは施設の管理人といったところか。「快適な牢生活」を送るも送らぬも彼の心次第というわけか、本来陰鬱なはずの仕事であるにも関わらず、妙に色艶がよい。良心の呵責などは外郭の堀の底にでも沈んでいるのだろう。
 そんな円形の人間は、細い目を頬肉に埋没させるようにしてアルベルトを出迎えた。
「これは、毎度ありがとうございます」
 どこの商売人だと思えば、その心の声を聞いたようにカルロスが嗤う。
「人権を賄賂で売り買いしている商人は、相変わらず羽振り良さそうだ」
 ボリスも、黙ってはいるが雰囲気からして同意しているに違いない。敢えて聞こえないふりをしているらしきフェレにしても、男に向けた顔にあるのは好意的とはほど遠い表情である。
 そんな部下達の中で、感情を垂れ流すことなく無表情を貫いたアルベルトはさすがと言うべきか。彼は一度戒めるように部下達に一瞥をくれると、下馬と同時に淡々とした声で事務的に相手の労を労った。
「今回は鉱山ではなく、離宮とか」
「ええ、はい。あそこも工事が遅れてますのでね。現場監督に優秀な者をと望まれまして」
「しかし、財務長官を負けた逆恨みから害しようと企んだ凶悪犯なのでしょう? 牢から出しても?」
「おや、機動隊の隊長殿は何か気になることでも?」
「離宮までの行程での対策にと、情報を集めているに過ぎない。詮索はよして貰おう」
「いえいえ、そうですか、ですがご心配なく。配下の勢力も分散させておるそうです。それに、離宮は逃亡防止の対策の取られた場所ですのでね」
 厭らしく細められた目で見下すようにアルベルトを一瞥し、そうして男は肉に埋もれた首を背後へと回した。
「こちらの方々です。宜しく頼みますよ」
 言われるまでもない、とばかりにアルベルトは短く鼻を鳴らしたようだった。
 そうして、肉を揺すりながら男が奥へと去り、衛兵がその後を付いて行ったことを確認してから、彼はおもむろに残った人物に頭を下げた。
「パオラ・ウルツビラ様ですね」
「如何にも」
 応えたのは、鋭い目つきの女性だ。背が高く痩せてはいるが、ピンと伸ばした背筋と大地を踏みしめるように立つ姿には無視できない力がある。声に含まれた強さには政敵に敗れた者という印象などなく、まだ闘志を失っていない明るさがあった。彼女の後ろに並ぶ数人からも、全幅の信頼が寄せられているのが判る。
「これまでの経過をくどくは言わぬ。君が職務を忠実に全うしてくれることを願うのみだ」
「ご期待通りに。では、早速出発しても?」
「構わぬ。道中、よろしく頼む」
 言い、ちらりと視線を背後に走らせたのは、付き従う部下を気にしてのことだろう。何かを企んでいるというよりは、彼らの扱いをも同等に願うといった無言の促しであるようだった。
「なるほどね」
 呟き、ラウルは唇を舐めた。彼女のような存在が王都に居るのでは、勝った方も腰の据わりが悪いのだろう。
 そしてもうひとり、おそらくはパオラと同格と思しき人物が居るのだが、こちらは何の反応も示さずに如何にも不服そうに立ちつくしている。両腕を戒める拘束具をじっと見下ろしてはいるが、それ自体を忌々しいと思っているわけではないだろう。連行する立場のラウルたちを認める気もない、といった様子だ。


[]  [目次]  [