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「あの壮絶に悔しそうなお大尽は誰ですか?」
「マルロ・トレグローサ様。軍部出身で隣の女性の推薦者だよ」
「内政分野に軍が関与してる?」
「投票権はないけど、後ろ盾にはなれるからね。でも彼は一応身内だそうだし、単に推薦する上で名前を連ねただけだから、良心的な方だね」
 定められた法律では、軍部は国王、国軍総括者の下の組織であり、他の政治関係組織への関与は禁止されている。具体的に言えば、軍関係者は軍内部の事以外への干渉権を持たないということだ。本来ならば某かの長を選出するような場面では、個人的な応援でさえも遠慮すべきことである。
「良心的、ね」
 それさえもまし、と表現されるとうことは、相当に軍部と政権の癒着が進んでいると言うことだ。地方組織でも賄賂が常習化しているが、それは更なる上層部が腐敗しきっている証拠なのかも知れない。
 アルベルトがパオラとマルロ、その他数人の同行者を檻のような馬車に誘導する。それを目で追いながら、ラウルはため息混じりに呟いた。
「あの人達は、私腹を肥やすお莫迦さんに反抗したまともな人って事ですよね?」
「まぁ、直接人となりを知ってるわけじゃないけど、人の上に立つ者としてはまともな部類とは聞いてるね」
 フェレの返答は些か屈折している。
「不遇と言えば不遇だけど、今更だね」
 自分たちの境遇もまた、ということだろう。真面目にあり方を憂いている者が正面から叩き潰されるような現状、そんな国のシステムに浄化の機能を求める気もないようだ。
「フェレさんは、『畜生、こんなのやってられっか! 俺が殴り込みかけてやる!』とかは思わないんですか?」
「僕が?」
 ラウルの問いかけに、フェレは一瞬目を丸くした。だが奇天烈な質問だと失笑の内に無視することはなく、考えるように目を伏せる。
 だがしばし後、アルベルトが手を上げ、馬車が車輪を動かす直前、彼は緩く首を横に振った。
「僕には、そんな力はありませんよ」
 その横顔の諦観があまりにも強かったためだろう。何故、という追及をどうしても口にすることは出来ず、静かに馬車についていく彼をラウルはただ目で追った。

 *

 さほど広くはない国土の中央やや北よりにある王都から、建設中の離宮までは徒歩で3、4日ほどの距離にある。もっとも、平野部から徐々に山の方へと進む行程は、概算の必要日数を言うほどに易くはない。主に肥沃でなだらかな平野部に人口と開発地域の集中するこの国では、辺境の交通網の不整備もが街道と外れた道を行く人々を苦しめる。主要な街や村の間は直線を引くような道が敷かれているにも関わらず、――或いはそれ故か、村と村、辺境を繋ぐ道はないに等しいのだ。
 出発から2日。丁度半分の行程を消化したあたりでそれは起こった。
「――騒がしいな」
 先導するアルベルトがふと馬を止め、周囲へと目を走らせた。平野部を過ぎ、今はそれなりに密に木々の生えた林道を進んでいる。道幅は馬車が通れるほどには広いが、けして整備されているとは言い難い。離宮建設のための急拵えのものであるためか、油断していると足を取られそうな凸凹道だ。
 アルベルトに続き、一行は緩やかに進行を止めた。ラウルは隣で警戒している上司の険しい表情に緊張を走らせ、しかしその理由がわからずに眉根を寄せる。彼には、アルベルトの捉えているものが感知できなかったのだ。
「どっちですか?」
 後方から馬を寄せ、潜めた声で問うたのはカルロスである。きょろきょろと目的の定まらぬ警戒をしているのは、彼もラウルと同じであるという証拠だろう。
 突然止められた馬車からも、戸惑いと不審の視線がアルベルトへと向けられた。
「どういうつもりかね?」
 責める響きの強い言葉に、ラウルは驚いて目を丸くした。ここへきてようやく、というべきだろうか。はじめて聞くマルロ・トレグローサの声は、見た目以上に好意的とはほど遠いものだった。
 一瞬、反感を覚え口を曲げたラウルより遙かに冷静に、アルベルトが周囲への警戒を緩めぬままに答えを返す。
「些か妙な気配が。気のせいかも知れませんが」
「確かに街道からはだいぶ離れてはいるが、少々、警戒に過ぎるのではないかね?」
「お言葉ですが、街道から離れたことは少々の危険では済まないことですので。今は私どもにお任せ下さい」
 慣れない奴は黙ってろ、と遠回しに告げたアルベルトに、トレグローサは気色ばむ。
 だが、その怒りが言葉となって飛び出す前に、状況は急変した。
「……!」
「フェレ!」
「大丈夫です!」
 大気を裂いて飛来した矢を、ギリギリの位置でフェレが捌く。後方からの攻撃に、馬車の横を守っていたボリスが位置を下げたのはその直後だ。本来彼と左右対称の位置を守っていたカルロスがそれに応じて馬首を返し、ふたりの援護へと向かう。
「お前は前だ!」
 つられたラウルを鋭い声で止めたのはアルベルトだ。
 馬車の側面は、鉄格子付の窓が小さく設けられている他は厚い木の壁で守られている。問題は馬と馭者のいる前面と逃亡防止の木枠と垂れ布しかない後ろの出入り口だ。逆に言えば数で押す気でもない限り、敵の狙いも限定されるということになる。
 馬車の外に取り付けていた楯を取り、ボリスが続く矢を防ぐ。彼をカルロスが補佐し、その間にフェレが馬を走らせた。
「深追いはするな!」
 カルロスの助言にフェレは頷いたのだろう。後方の展開も気になるところではあるが、その時点でラウルの方にもよそ見する余裕はなくなっていた。
 前方から、如何にも粗野な風体の男の集団が迫っている。意外に統率の取れた動きをしているが、服装などは見事にバラバラだ。おそらくは個人単位で自然に集まり、いつの間にかここらを根城にするようになった流れ者のなれ果てといったところか。
「実戦経験は?」
 アルベルトの短い問いに、ラウルは引き攣った笑みを返した。何を今更、――という以前の問題だ。どうやらアルベルトは隊に入る覚悟だけは念入りに問うものの、それ以降は適当に後を付いて覚えろという方針であるらしい。或いは、まだ見ぬ副隊長が教育を担当しているのか。
「まぁ、でなきゃ、配属3日の僕がこんなところにいるわけないよなぁ」
 ぼやき、ラウルは弓を構えた。
「とりあえず、経験ありですが、後方援護タイプです」
「そうか」
 普通、こういった連携の話は出立前にすべきではないか、という突っ込みを飲み込み、ラウルは矢継ぎ早に矢を放った。同時に、アルベルトが横から消える。
「うぐっ」
「あっ」
 迫り来る賊のうち、矢を防ぎきれなかった数人が膝をつき、馬が転倒した。一瞬走った動揺による間隙を見逃さず、アルベルトが手にしていた槍で敵を薙ぐ。だが彼はそのまま止まらない。


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