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 笑い、パオラは躊躇いなくコップを呷る。
「ふむ、確かにただの水だな。……いや、冗談だ。5人とは言え、なかなか統率が取れていると感心しているだけだよ」
 一気に飲み干し、パオラは片目を瞑ってラウルを見遣る。悪戯っぽい表情から察するに、先ほどの戦闘を褒めているわけではないだろう。
 どうやら、ラウルの役割は見抜かれているようだ。若干引き攣った笑みを浮かべながら、ラウルは気付かぬふりをして逸らした答えを口にした。
「僕は新人なのでまだ足手まといですけど、隊長達がすごいのはわかります」
「そうだな、離宮まではよろしく頼む。――あと、どのくらい……、かは、答えてはもらえないだろうがな」
「あー、まぁ、それは」
 一応、パオラたちの仲間が奪取を目論むことを警戒し、今現在の具体的な位置は隠すことになっている。
「それより、ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「あなたは、財務長官の席を争ったと聞きましたが、普通、一度選に漏れたくらいで一気に権力者の席から転落するものなんですか?」
 予想外の質問だったのだろう。かなり直球の、本人に真正面から聞くような内容ではないにも関わらず、パオラはただ何度か瞬いただけだった。むしろ彼女の部下であっただろう面々が、目を鋭くしてラウルを睨む。
「だって、仮にも争える立場にまで上り詰めていたわけでしょう?」
「ああ、――なるほどな、そういうことか」
 付け足した言葉に、パオラは怒るでもなく小さく自嘲する。
「お前も知っているだろうが、この国の古い貴族は特別だ。全てが初代国王の血縁から成り、特権が与えられている」
「……らしい、ですね」
「つまり奴らから見れば、新興貴族という名の平民上がりの私はゴミであり、ゴミがうるさくまとわりついてきたから払って地面に落とした、その程度のことなのだ」
「でも、あなたを支持してくれた人もいるわけでしょう? 負けてすぐ冤罪を受けて、更にすぐに刑が決まるなんておかしいんじゃないですか?」
「おかしくはないさ。軍も司法も今幅を利かせている奴らのいいなりで、加えて私を支持してくれた者達もそちらに寝返っただけの話だ」
 現在、年若い王の代わりに国を動かしているのは、先代の時代から頭角を現していた貴族のひとりだ。王女の降嫁が数度あった古い名門ブランカフォルト家の当主で、立場的には国王の後見人となる。彼と彼の近しい親族が国の重要ポストを占めていると言っても過言ではない。切れ者だがどちらかと言えば狡猾に入る類で、その頭脳は主に私財を肥やし思うままに振る舞うために使われている。
 彼についていけば甘い汁が吸い放題、逆らえば汚物のように水に流される、それが今の国の有様だ。そんな上層部の中ではっきりとおもねるでもなく生き残りたければ、抜き出て何かを示すことなくその下で上手く立ち回るしかない。パオラに漂う諦観はそのあたりを熟知していることからきているのだろう。
「後を付いてきてくれていた者が、あっさりと向こうに靡いたのは残念としか言いようがないが、所詮はその程度の繋がりだったということだろう」
 若干の悔しさを滲ませ、パオラは自嘲する。
「だが、それで目が覚めた。彼らは今の権力者層の中では良心的だったが、改革を望んでいたわけじゃなかったということだ。今のままでは権力が握れないから私に付いた、その程度だったのだ」
「でも、意見には賛同してくれたんですよね?」
「ああ。だが自らの意見と同じだった、というわけではなかったのだろう。今権力を握っている男のもとでは出世できない、だが面と向かって敵対する意志もない、目を付けられたくもない。そんな中で、自分に損のない意見を言っているから単純に私に賛同したというわけだ。失脚した途端に向こうへ靡くのは自明の理だよ」
「……」
「だから私が再び立ち上がるときは、自らの意志で現状を打破する心のある者を探す必要がある。それが判っただけでも今までは無駄ではなかったと思うべきだろう」
「……そう思えるのは、あなたが強いからですよ」
 振っ切れた表情で断言するパオラを見て、ラウルは心の底から褒め称えた。現状を受け入れつつ自分に出来ることを模索するアルベルトとはまた方向性の違う強さだが、いずれにしても良い意味での諦めの悪さはなかなか人には持ち得ないものだ。
 なんとなしに顔を合わせ、ふたりはにこりと笑う。
 見張りと虜囚という立場など忘れたように漂う穏やかな雰囲気は、しかし、その直後にあっけなく壊された。
「ウルツビラ!」
 低い声に苛立ちを滲ませ、トレグローサがツカツカと歩き来る。
「そのような者と関わり合いになるな!」
「どういうことです?」
「そいつらは愚王に尻尾を振る狗だ。お前は、反骨の精神までも捨て去るというのか」
 突然の言葉に、ラウルは目を丸くした。あまりと言えばあまりな言葉ではあるが、怒りよりもむしろ戸惑いの方が強い。
 気色ばんだのはカルロスとボリスで、しかし彼らが口を開くよりも早く、パオラが勢いを付けて立ち上がった。
「……お言葉ですが、叔父上。彼らは職務を全うしているに過ぎません」
「ふん、民を迫害するような命令でも、職務なら仕方ないというわけか」
「これはまた、極論をお出しになる。彼らは先ほど私たちを守ってくれた。礼こそあれ、批難しなければならない要素など見あたりません」
「判らんぞ。そうして油断させておいて、寝首を掻かれるやもしれん」
 要は、政敵に繋がる全てが憎いというわけか。疑心暗鬼にもほどがある、と白けた感情が胸中を占める中で、どこかそれを許容している思いがあることにラウルは内心で驚いていた。つまりは、――今の王宮は、権力者達の住処は、そこまで張り詰めた警戒心がなければ生きてはいけない場所ということだ。
 同じ場所に生きながら、健全な心を保っているパオラは、おそらくはまだ、トレグローサほどの壮絶な経験というものをしていないのだろう。彼女は勁い目で相対する男を見つめると、若干の迷いを振り払うように頭振った。
「それならばそれまでということ。国王を諫め、国を正しい方向へ導く力を持てなかった、或いはそういった存在を許容してしまう国のあり方を変えることが出来なかった我々にも咎はありましょう。賊が蔓延るのは、賊に堕ちざるを得なかった環境を作り出した国にもあるということです」
 賊と言ってはいるが、先ほど襲撃してきた者達を指しているわけではない。
 断言したパオラを、トレグローサが射殺さんばかりに睨み付ける。立場上、飼い犬に手を噛まれた形となった彼の拳は、怒りにか屈辱にか、小刻みに揺れて止まることがなかった。
 志し高いパオラが恃みとした血族だ。本来はけしてこうまで頑なな人物ではないのだろう。
 そのことを哀しく思うと同時に、ラウルはアルベルトの方を向いた。
「言い合う元気があるなら、休憩は必要ないな」
 内容には言及せず、アルベルトは関心のなさそうな声で淡々と告げた。
「ボリス、飯を配れ。5分後に出発する」
 内心の複雑な感情を一切見せることのない平常の態度に、さすがにトレグローサも吐き出す言葉を失ったようだった。任務を出来うる限り最善の方法で遂行する、その役割を貫きブレのないアルベルトにラウルたちは短く息を吐く。


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