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 3.


 特別機動隊は本来国王直属の親衛隊であるために、日常の仕事というものは定まっていない。国王が聡く数多の情報を必要とするならば密偵のように立ち回ることもあるが、現在はそういった任務からとことん干されている。特に、9年前から分けられた外勤部隊は、軍のように街中の警備に充たるわけでもなく、ごく稀に出没する賊の討伐に赴くでもなく、時に国王やその周辺の取り巻きによる余興、或いは意義を見いだせないような汚れ仕事を任される以外は暇を持て余しているのが現状だ。
 離宮までの護送の仕事を終えてひと月、王都の住民に対する嫌がらせのような小さな任務が充てられた他は、概ね平穏な日々が過ぎていった。
 11月。少しずつ冬の足音が聞こえ始めたある日、いつものように詰め所に向かったラウルは、突然別の路地から出てきた子供に足を蹴られて仰け反った。
「痛っ」
 怒りよりも驚きが先行し、衝撃を受けた臑を抱えてしゃがみ込む。ひとしきり呻き、顔を上げたときには既に子供は逃げた後だった。
「……なんなんだ、あれ」
 悪戯、というには些か度が過ぎている。昨夜小雨が降ったこともあり、蹴った子供の靴も濡れていたのだろう。ズボンにくっきりと付いた泥の足跡をラウルは切なげに見遣る。
「あー、洗濯しても駄目かなぁ」
 だかそうして首を傾げながら詰め所の戸を開けた彼は、今度は突然鼻を突いた臭いに顔を顰めることとなった。
「わ、何ですか、この臭い」
「判らん」
 くぐもった声で即答したのはボリスである。
「来たときにはこうだった」
「他の先輩達は?」
「カルロスとフェレはまだ来ていない。隊長は打ち合わせに出かけた」
「?」
「新しく、任務があるんだろう」
 詳しくはまだボリスも知らない様子である。とりあえずの仕事はこの異臭をどうにかすることだと、ラウルは頭振って思考を切り替えた。
 臭いの元はどうやら、割られた窓から投げられた液体にあるらしい。溝の臭いと腐った食物の饐えた臭いが混じり、部屋の中に充満している。
 ラウルはボリスと同じように鼻と口を布で覆い、ギシギシと鳴る床を拭き清めた。途中、出勤してきたカルロスとフェレも加わり、数度桶の水を換える頃には随分と臭いも薄れていた。風の強い日であり、扉から窓の方へと吹き抜けるそれが流してくれたということもあるだろう。
 やって来て早々、精神的な苦痛とそれなりの肉体労働に従事することとなった4人は、桶と雑巾を片付けた後でぐったりと椅子に凭れることとなった。
「嫌がらせにしちゃ、笑えんレベルだよなぁ」
 カルロスが、未だ鼻を摘みながらぼやく。
「そういや俺、ここに来るときに石投げられたぜ?」
「僕は足を蹴られましたよ」
「あん?」
「子供みたいでしたけど、あの子の仕業ですかね?」
「女?」
「後ろ姿なんでわかりませんが、服装と髪型は男の子っていった方が良さそうな感じでしたよ」
「ってすると、俺とは別のガキだなぁ」
 カルロスが他の二人へと目を向けるが、彼らは揃って首を横に振っていた。どうやら、個人的な攻撃にあったのはカルロスとラウルだけらしい。
「うーん、どういうことですかねぇ」
 ラウルに関して言えば、近隣に住むの子供に恨まれるほどの人間関係はまだ築けていない状態である。王都の下町にやって来てひと月、特別機動隊自体が疎ましげな目で見られていることもあり、積極的に関わることがなかったためだ。
 おそらくは、この詰め所に入ろうとする人間を無差別に狙ったと考えるのが正しいのだろう。
「けど、ここ最近は活動らしい活動はしてねぇぞ?」
「そうですよね……」
 深く息を吐き、フェレは腕を組む。
 そうして顔を上げ、何かを言いかけて彼は開けっ放しの戸へと顔を向けた。
「あ、隊長」
 釣られて見れば、アルベルトが何かを引きずりながら歩いているのが4人の目に入った。近づくにつれ、それが人であることに気付いた面々は、揃って阿呆のように口を開く。
「……なんですか、それ?」
「おう」
 いや、『おう』じゃなくて、とラウルは心の中で突っ込みを入れる。
「お前ら、さすがに不用心だろう。戸ぐらい閉めろ」
「いや、ちょっとまだ臭いが残ってるっていうか、……」
 眉根を寄せたアルベルトに、カルロスが今朝あったことを説明する。ボリスやフェレに比べて態度の口調の軽い彼ではあるが、報告となるときちんと道筋立てて簡潔に話すあたりはさすがと言うべきか。
 さほど長くもない説明を黙って聞いていたアルベルトは、最後に皆の視線が手の先にあるのを認めて深々と息を吐いた。
「これは、そこの曲がり角で俺に殴りかかってきたガキだ」
「……」
 やっぱり、と4人は顔で答えた。
「ええと、でも気絶してるのは、その、隊長が……」
「莫迦言え」
 おそるおそる問いかけたラウルを睨み、アルベルトは引きずってきた少年を長椅子の上に放る。
「ちょっと脅したら勝手に気死しくさっただけだ」
「頭とか打ってはないですか?」
「しゃがみこんで失禁してたくらいだから、出来てたんこぶくらいだろう」
「……どんな脅し方したんすか」
 引き攣った笑みを浮かべながら、カルロスが少年へ哀れみの視線を向けた。水分を吸って色を変えたズボンが、なんとも深い同情を誘う。
 部下達の表情を見て、アルベルトは更に顔を顰めたようだった。
「まぁ、丁度良いだろう。お前らに仕掛けた奴らと同じ目的だろうし、起こして話を聞けばいい」
「待つんですか」
「切羽詰まった用事はないから問題ない」
 言い切ったアルベルトに、ボリスが不思議そうな目を向けた。ラウルもまたそれを見て、そういえばアルベルトは「打ち合わせに出かけ」ていたのだと思い出す。それをそのまま問えば、アルベルトは若干厭そうに後頭部を乱暴に掻いた。
「来週の頭から、任務だ」
「突然のお達しじゃないなんて、珍しいですねぇ。何なんすか?」
「南で造られている堤防の補強状況の確認に行けとよ」


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