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「そんなの、役人の仕事じゃないですか」
「正式に、国が行っている補強工事じゃねぇんだろう」
「つまり、土地を与えられている貴族が勝手にやっていて、その貴族ってのが国王の腰巾着ってわけですか。で、農閑期だからって無理矢理集めた領民に発破をかけに行けと」
 渋い顔で、アルベルトは頷いた。
「はー、またそんな仕事ですか……」
「悪い」
「隊長のせいじゃないですけどね。はぁ」
 やる気の欠片もなさそうに、カルロスは椅子の背を軋ませた。
 国が必要と判断、或いは領主が国に訴えて必要とみなされた治水事業は、基本的に労働者が募集され役人の監視のもと実行されるが、土地を所有する貴族が私財を投じて何かを行う場合はこういった手順からは外れたものとなる。後者の場合特に領民が強制的に従事させられることが殆どで、当然、地元でも必要と判断されることでない限りは反発も強い。
 住民にとっては何の意味もないことに、冬支度のための人手を取られてはたまったものではないだろう。その気持ちがわかるだけに、彼らの監視をしにいくというのはなんとも気の乗らない話である。
 思い、5人全員がそれぞれの顔で憂鬱なため息を吐いたとき、その場にいる6人目の人間が呻き声を上げた。
「……っ痛」
「起きたか」
 アルベルトが少年を見下ろし、冷めた声で言う。両足を肩幅に開いた状態で背筋を伸ばし、腕を組み、唇を真っ直ぐに引き結ぶ。威圧感満載の体勢だが、どうやら彼にそういった自覚はないようだ。
「た、隊長、ちょっと引いて」
「あぁ?」
「うわぁぁぁっ!!」
 更に運悪く、アルベルトが疑問に眉根を寄せたときに少年の目の焦点が合ってしまったようだ。制止の声を上げかけたラウルを初めとして、部下全員が額に手を当てて天を仰ぐ。要人を前にしたときや任務に当たっているときは取り繕っているようだが、アルベルトは基本的に柄が悪いのだ。堂々とした体躯や常からの不機嫌そうな顔つきがそれを増長させている。
「いい男が台無し……」
「いやラウル、お前その科白はおかしいって」
「えー、髭を綺麗に剃って、びしっとしてれば格好いいと思うんだけ、……わわわ、すみません!」
 こそこそと後ろで話す部下達に、アルベルトが鋭い一瞥を投げる。眉間どころか鼻の頭にまで皺の寄った彼を見て、ラウルとカルロスは文字通り飛び上がって更に後方へと退いた。余計なことを言わなければいいのに、と言わんばかりのフェレの視線が痛い。
 そんな4人の横をすっと抜け、ボリスが少年の前にしゃがみこんだ。
「坊主、お前どこから来た?」
「……」
「ガワか? ナタか?」
 ボリスの謎の言葉に、4つの頭から疑問符が飛び出て回る。だが少年はそんな彼らとは対照的に、驚いたように目を見開いた。
「おっちゃん、知ってんの?」
「俺はレウベの出だ。お前は?」
「オレ、ナタだよ!」
「……何を言っているんだ、ボリス?」
 さすがに聞き咎め、アルベルトが説明を促す。それに少年はびくりと体を震わせたが、ボリスは相変わらずの無表情で隊長を見上げた。
「隠語です。貧民区は西何番というふうに普通は言いますが、実は区画ごとに出身地が分けられてるんです」
「たしか、先に住み着いた集団から、区画で切られていったんだったな?」
「そうです。ひとりふたりでなく、貴族の勝手で何十人と一気に住処を追われた奴らが流れついて出来た地区なんで、出身地の村の名前をいじった通称があるんです」
 もともと王都に住んでいた者の家や貴族の屋敷がある中心部は、それぞれ何々通りといった名前が付けられている。人の名であったり古い言葉で祝福を示すものであったりと様々だが、いずれにしても等間隔に家が並び美しく整備されているには違いない。
 それとは別に、もともとは城壁の外にあった貧民街が、王都の拡張により城壁内に入ってしまった区画は単純に西何番、東何番といった番号分けで済まされている。敢えての蔑称に近いのだろうが、住民達は名付けられないのを逆手に、勝手に通称を作って仲間内で呼んでいるのだという。
「便利なんです、意外と。税の取り立てに煩い役人を撒くのに、ナタに集合、レウベに集合というと、奴らには判らない」
「なるほどな」
 感心したようにアルベルトは頷いた。ラウルは初めて聞く話に頭を縦に揺らしている。
 と、そこに至って少年が、はっと我に返ったように顔を上げた。
「帰る!」
「帰すか、阿呆が」
「ひっ」
「隊長……」
 どう、どう、とカルロスがアルベルトの服を引いて後ろへと下げた。少年の足の力を抜くには丁度良いが、それはそれで怯えて話が進まない。
 アルベルトと入れ替わりにボリスの横に膝を突いたカルロスが、少年と同じ目の高さで諭すように口を開く。
「俺ら、お前らになんかしたっけ?」
「……」
「黙りだと、あの怖いおっさん呼ぶぞ」
「ぅぐ……」
「言いたいことがあるなら、蹴ったり変なもん投げ入れたりする前に言えばいいだろ。男らしくないぞ、坊主」
「坊主じゃないやい!」
「あーらら、後ろから隠れてこそこそ人を襲う意気地なしは坊主で充分だからなー」
「子供相手に脅したりすんのが大人だってのかよ」
「ふーん、そういうこと言う」
 にやり、と笑い、カルロスはいきなり少年の頭を片手で掴んだ。離れた場所からでも判るほどに、目は全く笑っていない。顔全体で言えばいっそにこやかな表情であるだけに、怒り顔よりも不気味だ。
「いいよ、俺は駄目大人だからな。ここでてめぇの頭かち割ったとしても、全然気にならねぇからな」
 びくり、と少年の体が揺れた。泣く寸前の表情だ。手に力は入っているようには見えず、痛みなどはないに違いないが、それを正確に判断できないほどカルロスの獰猛な笑みに呑まれている。カルロスの背後で状況を見ている、アルベルトからの威圧も影響しているのだろう。
「このまま潰されたいか? それともてめぇらのしたことを喋るか?」
 10歳になるかならないかという子供相手に大人げない、と若干は思うものの、一方でこの少年と仲間のしでかした嫌がらせは子供の悪戯の域を超えている。臭いや色が染みついて使い物にならなくなったものもあるのだ。


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