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 ラウルとフェレが無言で、アルベルトが冷めた目でそれぞれ成り行きを見守る中、次に動いたのはボリスだった。
「坊主、俺が話し付けてやるから、ちゃんと話せ、な?」
「う……」
 少年は喉を詰まらせた。泣くまいと踏ん張っているのだろう。
 やがて彼は、肩に置かれたボリスの手と床に視線を彷徨わせた後、唇を噛んで肩を震わせた。

 *

「いやー、見事な飴と鞭でしたね」
「だろ?」
 にやり、と笑うのはカルロスである。少年と話していたときに目に宿していた冷徹な色は綺麗さっぱり消え失せている。
「いつもああいう役割ですか?」
「うんにゃ、時と場合だな。どっちかっつーと、俺が飴の方が多いんじゃないか? 今回はたまたまボリスが内情を知ってそうだったから、鞭に回っただけだ」
「……まったく、カルロスさんは加減を知りませんね。本気で駄目大人かと思いましたよ」
 フェレが、安堵と軽蔑を混ぜてため息を吐く。駄目大人には違いない、と呟いたのはボリスだ。
 今、4人は揃って王都の拡張区画の外れ、通称貧民街へと向かっている。アルベルトは無駄な威圧をするという全員の意見により別行動だ。文句を言ってはいたが、意外にあっさりと引き下がったところを見ると、彼なりに他に調べることがあるということだろう。
 強引に尋問まがいに少年から聞き出した内容は、ある程度予想範囲内のことだった。つまりは、少年たちの暮らす地区に特別機動隊の隊服を着た者達がやってきて無理難題を突きつけ、暴れるだけ暴れて帰って行ったということだ。
「多分、第一隊の奴らだろ」
 というよりも、それ以外には考えられないと言った方が早い。
「まったく、面倒ばっか引き起こしやがる」
「王宮で国王におべっか使ってるっていう人たちですか? 彼らがここまで出張ってるんですか?」
「そうでもねーよ、下らん遊びでも思いついたらやってくるだろうよ」
 肝心の無理難題については、さすがに子供が詳しく知るものではなかったようだ。ただ、少年の父親を含め数人が怪我をするほどの事件だったとのことである。身分差を慮って下手に出たところをというのであればまだしも、抗議直後に突然武器で攻撃してきたと言うから大概な話だ。
 はぁ、とラウルはため息を吐く。
「何でそんなことを……」
「理由なんざねぇんだろうさ。自分たちの思い通りに行かなかったから、それだけだろ」
 カルロスの口調は軽いが目はむろん笑っていない。
 そうして、あまり楽しくもない話を続けている内に、4人は西区へとたどり着いた。元々城壁であった箇所を通り過ぎれば、がらりと街の印象も変わるため、初めて王都を訪れた者でも迷い込むことはない。古いまま修繕を繰り返された家屋は、王都中心部の整えられた街並みとは切り離されたように煤けている。特別機動隊の詰め所がある区域よりも複雑かつ狭い路地は曲がりくねり、道の半ばで突然現れた家に先を閉ざされることも珍しくはない。
「無計画過ぎますね、これは」
 5度目の突き当たりを前に、フェレが緩く首を横に振る。だが彼を辟易させている理由ははそれだけにはない。迷路のような街には常に微かな異臭が漂っているのだ。水はけの悪い道端に汚泥が薄く溜まっているのは、なにも夜半に雨が降った後だから、というわけではないだろう。
「衛生状態は最悪ですね」
「市の開催禁止より、こっちが先なんじゃないか?」
 カルロスもまた、顔を顰めながら周囲を見回している。ボリスが無反応なのは、既に知っていたことだからだろう。都市計画の元に上下水道や建築規制が行われて広がっていった場所ではないだけに仕方のないことだが、それにしても状態は悪すぎる。
「これは、一旦整備された方が良いのかも知れませんね」
 フェレの言葉は、劣悪な環境から起こる病を気にしての発言だったのだろう。けして悪い意味ではなかったのだが、運悪く、建物の前に座り込んでいた住民がそれを聞き咎めてしまったようだった。
「おい、お前、今なんて……」
 むっとしたようにフェレを呼び止めた男が、4人の姿を見て目を見開く。
「お前ら、この前の!」
「え」
 気付かれた、と横にいたラウルがぎよっとして一歩退けば、男は鼻の頭に強く皺を寄せた。凝視したために、4人がカムフラージュに着ていた上着の下の服、つまりは特徴ある黒い隊服が見えてしまったのだろう。
 一瞬の間を置いて状況を悟ったボリスが前に出るが、既に遅い。
「何の用だ、出て行け!」
「ちょ、待って、僕らは」
「うるせぇ! この間ぁ間に合わなかったが、今度は」
「どうした、何が……あ!」
 怒声を聞きつけてやってきた別の男が、ラウルたちを見て怯えた色を滲ませる。
「セルジ、止めろ、そいつらに近づくな! 殺されるぞ!」
「莫迦言ってんじゃねぇ! そんな逃げ腰だから奴らやりたい放題やりやがるんだ!」
 蒼褪めて止める男は、先の被害者のひとりなのだろう。完全に腰が引けている。
 ふたりの怒鳴り合いに気付いた住民たちが、そうこうしている間に周囲に環を作り始めた。かなり遠巻きだが、どの顔もかなり引き攣っている。
「……おい、どうすんだ」
 非好意的な視線を存分に浴びながら、カルロスがげんなりとした様子でぼやく。本当は立場を隠したまま、先に家に戻った少年の処を訪ねるつもりだったのだ。
「どうって、誤解を解くしか」
「聞く耳、持ってる様子ねぇぞ、あれ」
 問題を起こした第一隊の者達と、服装のせいで十把一絡げにされているとは判る。だがそうだと判ったとしても、その誤解を説得と顔の違いで解いてもらえるとは到底思えない。
 そのうちに、住民のひとりが悲鳴に近い声を上げた。
「この人たち、どこかで見たことあると思ってたら、市が開かれる度に監視に来る人たちじゃない!?」
「! そう言えば……」
「ちっ、貴族どもの狗が……!」
 思い出した、或いは知っていたというわけではないだろう。だがセルジと呼ばれた男は、仲間の言葉を受けて汚らわしげに罵声を吐き捨てた。
 アルベルトを初めとして第二隊全員が、進んで嫌がらせをしているわけではないが、当然と言うべきか、事が悪くならないようにと蔭で頑張っている部分は、住民に伝わることはない。通常の数倍の税金を搾取する際、「抵抗すれば全部持って行かれるから今払っておいたほうがいい」と忠告しているようなものだからだ。搾取される住民達にしてみれば、一方的に害を与えられるという点では同じであるに違いない。


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