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 所変えて、家の中。外観に比すれば幾分住み心地の良さそうな空間にはなっているが、やはり狭くどこか陰鬱だ。家が密集しているだけに、日当たりが良くないというのもあるだろう。
 人が10人居れば窮屈に感じる、そんな一室で、ラウルたちはエンリケと向き合っていた。トニの叔父、つまり彼の弟は帰っていったが、代わりに近所の住民達が数人集まっている。
 特別機動隊の内勤部隊と外勤部隊の職務の違い、先だっての暴行事件には関与していないこと、これから力になれることがあれば話して欲しいことなどをボリスが話せば、エンリケは難しい顔ながらも理解を示すように頷いた。それを確認した上で、フェレが暴行事件の詳細を訊く。優しげな顔立ちと穏やかな口調はこういう場合に非常に効果的だ。
 エンリケ達の方はと言うと、別段隠すような話でもなかったのだろう。警戒心と不信感が薄れたためか、むしろ不満と苦情を噴出させるようにあれこれと事情を話し始めた。
「以前から、この周辺の衛生状態に関しては、住民の間でも問題になっていました。いい医者がなかなかいないというのもありますが、流行病があれば一気に広まり何人もが死んでしまうほとです。食料の値段などが安いこともあって栄養状態はけして悪くはないんですが、薬となるとなかなか手に入らないのです」
「人数に対して水場も少ないし……」
「服も靴もそう揃えられるわけじゃないし、子供の教育も」
 若干話が逸れ始めたところで、エンリケが周囲を止める。どうやら、この界隈ではそれなりの発言権があるらしい。そんな彼が丁寧な口調でラウルたちに対しているのは、戦いを生業にしている者を下手に刺激しないための処世術なのだろう。
 一度咳払いをして、エンリケは話を続けた。
「いろいろと問題はありますが、国からの援助は全くありません。軍の見回りも来ませんので、治安も良くないのです」
「自警団もないんですか?」
 手を挙げて質問をしたラウルに向け、エンリケはふとため息を吐く。代わりに答えを口にしたのはボリスだった。
「出身地別に、縄張りがある。仲は悪くはないが、信用はしていない。それぞれ風習が違うから」
「つまり、意見がまとまらなくて人数が集まらない、と」
「そうだ」
「そちらの……ボリスさんの仰るとおりです。そういうこともありまして、先日も他の区域からは何の手助けもありませんでした」
 他人事ではないのだが、と呟くエンリケにボリスが深く頷いた。
「それで、先日のことですが、突然、あなた方と同じ服装の者たちが、馬に乗り武器を持った状態でこの地区に侵入しました。その際、家の軒下などにあった物が壊され、道端にいた人も何人も怪我をしました。彼らが如何に初めから乱暴だったか判っていただけると思います」
 特別機動隊の4人は一斉に頷いた。
「彼らが言うには、この一帯、そうですね、西1番から3番あたりまでが取り壊し対象となるそうです。理由は王都にふさわしい区画分けと街中の整備、衛生状態の改善とのことです」
「言っていることはまともだが……」
「ええ、それだけなら。ただし、整備された土地は一旦国のものとなり、それを改めて金で買う必要があるそうです」
「つまり、今ここで生活している人には手の届かない金額で、実質、貴族や儲けている商人の物となる、と」
「そうです。私たち立ち退きを強制される者には何の保障もありません。彼らは土地を買うと言っていましたが、はした金でしょう。今は傍観者の立場にある西4番以降も徐々に手が入れられるかと」
「……違うな」
 呟いたラウルに、皆の視線が集中する。
「多分、西3番までが立ち入り禁止になったら、他のところも駄目になるんじゃないですか?」
「何故そう思います?」
「さっきからグルグル回ってここに来たけど、この西3番は昔で言う城壁の南東端のすぐ外側に位置するんじゃないですか?」
「はぁ、まぁそうですが」
「西1番が昔の城門のすぐ外に扇形に出来ていて、西2番がそことここの間、つまり4番以降は王都の中心地よりかなり離れて行ってるわけですよね? 今はこの区域を素通りできるわけですけど、整備のための工事が始まったら立ち入り禁止になりませんか?」
「……なりますね」
「そしてこれは僕たちも関与していることですけど、今、自由市場は禁止されてますね? そうすると、何を買いに行くにも、立ち入り禁止区域をぐるっと大回りしないと行けなくなります。かなり負担な上に、住民たちの協力体制が取れていないんじゃ、いずれもめ事が起こると思いませんか?」
 そしておそらくはその諍いに軍が介入して、結果として住民達は無一文で追い出されることとなる。――そう予想を告げれば、エンリケをはじめとして住民たちがぽかんと口を開けた。ボリスやカルロスが苦い顔をしているのは、充分にあり得ることだと認識しているためだろう。
 暗い未来を想像し意気消沈した面々を見回し、ラウルもまた大きく息を吐く。続ける言葉を探し、選びあぐねている、そんな様子を見かねたか、フェレが先に口を開いた。
「抵抗は、おそらく無駄でしょうね。特別機動隊の行動は国王の勅命と同じですから、国を挙げての事業と同じ事になります。下手をすれば軍が出てくることもあり得るでしょう」
 むろんそれは第一隊だけの話だ。ラウルたちに何かあったとしても、切り捨てられてお終いである。任務として行ったことも、思惑から外れた結果となれば全責任を押しつけてくるだろう。
 そんな内情はともかくとして、フェレの言葉に住民達は一斉に息を呑んだようだった。
「! だが、それでは私たちは……!」
「抵抗した場合、今度は怪我では済まないかと。貴族は……民は換えの利く奴隷だと思っているふしもありますから」
「では、素直に出て行けと!?」
「それについては……」
 何か提案があるのか、フェレが思慮深げな顔でエンリケを見つめたときだった。
「おい、大変だ!」
 軋む扉を乱暴に開け、男が家に転がり込む。
「奴ら、また来やがった!」
「なに……!?」
 横に置いていた杖を支えに立ち上がり、エンリケが入り口付近の人を除けて表へと飛び出した。眉根を寄せ、顔を見合わせ、ラウルたちも後に続く。
「今度は何を!」
「要求は前と同じみたいだ、ただ奴ら、返事を寄越せと……」
「そんな、早すぎる!」
「今、セルジが止めてる。だけど、」
 焦った声で説明する男もまた少なからぬ怪我を負っている。考え得る中で最悪に近い事態、言うなればそういう状況だ。
 話を聞く内に段々と青ざめていくエンリケを見つめながら、ラウルは誰にでもなく呟いた。
「なんでこんなに早いんですか? 性急すぎません?」


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