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 急を要するような内容ではなかったはずだ。それに対し、苛立たしげな舌打ちで応えたのはカルロスである。
「判った。こりゃ、西だけの問題じゃねぇ」
「!」
「東でも同じ事が起きているということですか」
 横にいたフェレが小さな声で見解を口にする。カルロスは厳しい声音を肯定するように後頭部を忙しなく掻いた。
「考えりゃ、当たり前のこった。貴族の数はどんどん増えてやがる。金で地位がばらまかれてるからな。だから、そいつらにやる土地が必要なんだ。衛生状態云々は単なる後付けの理由だろうよ」
「西と東、どちらを先に落とすかで何らかの報償が出るのかも知れませんね」
 フェレの言葉に、カルロスは今度こそ大きく頷いた。他にも理由があるのかも知れない、だがそれも今閃いた考えと同等程度のくだらないものだという確信があるのだろう。
 拳に力を込め、ラウルはギリ、と奥歯を鳴らした。
「……そんなこと」
「賄賂も何もしてこないおべっかも使ってこない一般民の生活への気遣いなんて、お貴族様にゃその程度ってことだ」
「でも!」
「おい、エンリケ!」
 反論を口にしようとしたラウルを遮るように、近くから更に大きな声が上がる。
「待て、お前が行っても!」
「放っておけるか!」
「だからって、……おい!」
 杖を放り投げてアンバランスな格好で走るエンリケを、複数の声が止める。だが家と家の隙間を器用にくぐり抜けたエンリケは、誰に捕まることもなく騒ぎの現場へとたどり着いた。土地勘のないラウルたちは、それに大きく遅れて辿り着く。
 集会所、と住民達が呼ぶ建物の前の広場に、第二隊が注目を集めたときと同じような人垣が出来ている。違うのはそこに漂う空気であり、それは比較するまでもないほど殺伐としたものだった。加えて、人々の表情も遙かに硬い。
「あいつら……」
 違いの原因は、むろん現れた男達の方にある。素人でも判るほど立派な軍馬に乗り、剣は抜き身に槍は手にと初めから武器を構えてるのだ。周囲を見下す目と莫迦にするような口元は、傲慢と高慢を足して軽薄で割ったような印象を人々に与えている。
「で、どうするんだい?」
 8人居る内のひとり、体にも馬にも最も豪奢な飾りを付けた男が酷薄そうな唇を更に上に吊り上げる。
「反抗して今殺されるか、素直にこの土地を明け渡すかなんて、考えるまでもないじゃないか」
「……莫迦にするな!」
「あ、そう。死にたいわけだ。安心しなよ。ちゃんとそこの子供も女も殺してやるからさ」
 優しいだろう、そう言わんばかりの男に、住民達の顔が一斉に強ばった。反感や殺意はあるが、それを上回る恐怖と悲壮感が場を支配している。
「お前達は、この美しい王都にたかる寄生虫だ。疫病の温床を増やしていく害虫だ。生きてたって無意味だろ?」
「!」
「全滅させずに駆除で済ませてやるんだ。感謝してくれてもいいくらいだけどな」
「なんだと! 俺たちを何だと思ってやがる!」
「言っただろ。害虫だよ」
「ふ、ふざけるな! おい、離せ!」
 真っ赤な顔で抗議するのはセルジと呼ばれていた男である。体格も良く、怯えた面々の中では一番好戦的な様子だが、武装した軍人相手にはさすがに分が悪いだろう。駆けつけたエンリケが、さすがに青ざめた顔で彼を止めている。
「莫迦、早まるな!」
「離せ、オレはあいつらに……!」
「止めとくれ、あんた!」
 悲鳴に近い声を上げて家から飛び出してきた女が、セルジの背中にしがみつく。
「貴族の方に刃向かうなんて、止めとくれ!」
「だけど、お前……」
「あたしらが我慢すればいいんだ。だから、そんな、大変なことになることは止めとくれよ」
「……」
 涙混じりの声に、セルジは強く顔を顰めたようだった。だがしばらくして、一度は振り上げられた拳を横に垂らす。
 それを見て第一隊の男達は嗤い、手にした槍の先でセルジを突いた。穂先でないのは明確な殺意がないという証拠だろうが、嬲っているということには変わりない。再びキッと顔を上げたセルジを、妻らしき女が必死で止めている。
 しん、と辺りは静まりかえった。昼日中にも関わらず、日常にあるような活動的な雰囲気は欠片もない。
「ラウル、ちょっと……」
 耳を、とフェレが人差し指で呼ぶ。漂う緊迫感に押されていたラウルは、これ幸いとばかりにさりげなく後ろへと下がった。
「なんですか」
「もう、抵抗が本当に無駄なのは判ってるね?」
「……はい」
「そこで、だ」
 硬い表情で耳打ちされた内容に、ラウルはぎよっとして目を見開いた。そうして数秒、たっぷりとフェレの顔を見つめた後、強ばった頬を動かして引き攣った笑みを浮かべる。
「ぼ、僕じゃなくてもいいんじゃないでしょうか」
「駄目だよ。僕やカルロスさん、ボリスさんは面が割れてる」
「えー……」
「大丈夫。彼らが東の説得に向かった奴らと競っているなら、余計な手間はかけたくないはずだ。抵抗を減らすためにも寛大なところを見せたがるはずだよ」
「それって、その予測が外れてたら、ざくっとやられるんじゃないですか?」
「そうなったら逃げて」
 真顔で言い切るフェレに、ラウルは抵抗の無駄を悟ってがっくりと肩を落とした。


 そうして、ひそひそと話し合うこと数分後。
「あの、すみません……」
 灰色の小汚いローブを頭から被り、ラウルは出来るだけ遜った声音で第一隊の男達の方へと近づいた。馬の威嚇に対し大げさに怯えて見せ、さも卑屈そうに腰を曲げる。
 突然割って入った人物を見て、物腰から貧相な小者と判断したのだろう。警戒するでもなく蔑んだ視線を下ろし、第一隊の代表者は小さく鼻を鳴らしたようだった。
「臭い、近寄るな」
「あの、……では、ここで、いいでしょうか」
「なんだ? お前も死にたいのか?」
「いえ! 滅相もございません!」
 地面に這い蹲る勢いで謝罪し、ラウルは卑屈な笑みを浮かべて男を見上げた。
「ただ、その、……逆らう気はございませんので」


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