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「ふん、殊勝な心がけだ。では去ね」
「その、ですので、その……」
 言いにくそうに、だが何かをねだるようにラウルはわざと粘っこい視線を男へ向けた。如何にも下卑たその表情を見て察するものがあったのだろう。媚びるように手を揉んでもう一度笑えば、第一隊の男達全員が口端を曲げたようだった。
「へぇ、私たちと交渉でもする気か?」
「めめめ、滅相もございません! ただ」
 言い、意味ありげに周囲に目を走らせる。
「こいつらとは違いますんで」
「……なるほどな」
 にやり、と男が嗤う。
「まぁ、いいだろう。長い目で物事が計れぬ貧乏人の考えそうなことだ。貴様には予定のはした金の二倍くれてやる」
 ざわり、と周囲が揺れた。第一隊の男達に向けられていた視線が、一斉に明確な怒りの感情を含んで灰色のローブを射貫く。
 そんないたたまれない状況に背中から大量の汗を流しつつ、ラウルはその場に平伏した。そうして、感極まったような声で感謝を述べる。
「ありがとうございます。ありがとうございます! まこと、心優しいお方々で!」
「はっ、当然のことだ」
 得意げに顎を逸らす男の後ろでは、事の成り行きを見守っている隊員たちがにやにやと笑っている。
 愉悦か、嘲りか。おそらく、第一隊の全員がラウルの演技に騙されているわけではないだろう。だが彼らも一枚板ではない。同じ隊内でも上の地位を狙って引きずり下ろそうと狙っている者がいるはずだ。そういった、彼らの中にある罅を上手く利用しなければならない。
 上目遣いに彼らを見つめ、ラウルは気付かれぬように渇いた唇を舌で舐めた。
「他の連中にも、あなた様方の寛大なお心を説いて回りますので、その者には同じくお情けをいただけますでしょうか?」
「ふん、説得できたらの話だが、……ただし、明日までに出て行け。明日、王都の住民登録を消した奴にはその場で約束の金をくれてやる」
「ははは、はい、ありがとうございます! しかし、他に関係なく出て行く者と区別を付けていただけますかどうか」
「慎重だな。何を企んでいる?」
「いえいえいえ! 滅相もございません! ただ、この、貴族様に楯突く恥知らずどもとは同じにされたくないだけでして! その、先ほどの内容とお名前をいただければそれで」
 さすがに男は渋い顔をした。口約束だけで済まそうと思っていたこともあるのだろう。
 そんな彼の後ろから、仲間の男が口を出す。
「おい、いいんじゃないか?」
「む……」 
「悪用されないように明確な内容と期日を書けば良いだけだろ」
「そ、そうです。お願いします! あなた様の寛大な心は、しかと語っておきますので!」
 危険を承知で馬の足下に近づいて何度も腰を折れば、男はややあって鼻を鳴らしたようだった。
「いいだろう、書く物を持ってこい」
「あああ、ありがとうございます!」
 大げさに感謝を述べ、ラウルは乱暴に人の環を押しのけた。そうしてその奥にいた人物から板と筆を奪い取る。
「取るな! 裏切り者!」
「ふん!」
 周囲からの殺意さえこもった視線を受けながら、ラウルは薄い板と墨の付いた筆を第一隊の男に渡した。汚そうに抓みながら、男はそこに一筆したためる。
 再び板を受け取ったラウルはその内容を確認しながら、しかし表面上は何が書いてあるのか判らないという素振りで大事に棟に抱え込んだ。意外にも、内容は違えのないものだったが、『如何にも狡そうな下卑た男』を演じている以上、字も読めない卑賤の身と思われる方が好都合なのである。
「ありがとうございます、このご恩はけして!」
「ふん。忘れるな、とっとと出て行け」
「はい、必ず!」
 膝を突いてひたすらに感謝を述べれば、やがて飽きたように男達は馬首を返した。慌てて、住民達が道を空ける。セルジを含む一部の男達が憤怒の表情で追おうとしていたが、それは他の者達によって止められたようだった。
 やがて、第一隊の姿が完全に見えなくなったところで、ラウルは大きく息を吐いた。額の汗を拭い、その場に崩れるように座り込む。
「緊張した……」
「おい!」
 ローブの頭巾を捲ったラウルに気付き、住民達が拳を振るわせた。男ばかりではない。環の奥で息を潜めて見守っていた女達も、不穏な表情でラウルを見つめている。
 当然か、とラウルは目を細めた。『裏切り者』が見たこともない青年で、しかも今去った特別機動隊の服を着ているとなれば怒りも頂点に達するだろう。
「どういうつもりだ! あれでは、素直に出て行くと了解したようなものじゃないか!」
 その中で、唾を飛ばしながら大股で詰め寄ったのはセルジである。
「貴様ら、やはりグルか!?」
「違います!」
「では、どういうことか、話してくれるね?」
 エンリケが、疲れた様子でラウルを見つめる。緊張による思考の混乱もあり、言葉を詰まらせたラウルを助けたのは、むろん発案者のフェレだ。
「落ち着いてください。勝手なことをして申し訳ありません。ですが、これしか方法はなかったのです」
「なに?」
「先ほど反抗していれば、少なからず人が殺され、建物も使い物にならなくなったでしょう」
「だが、全住民が一気に抵抗すりゃ、奴らくらい追い出せたはずだ!」
「全住民が、ですか」
 意味ありげに、フェレはセルジを見る。そこに含まれるものに、セルジは反論を封じられたようだった。
「仮に、全住民が抵抗したとしましょう。ですが、エンリケさんには話しましたが、そうすれば――”良くて”、軍が出てくるだけです」
「……」
「彼らにしてみれば、この界隈から人が居なくなればそれでいいのです。だから、人死にを出すだけ無駄です」
 言い切ったフェレに、エンリケが落ち着いた声音で問いかける。
「そういえばあなたは、先ほど何か言いかけていましたね? それがこういうことですか?」
「少し違います。もっと、王都を追い出されても何とかなるように住む土地を引き出させたりしたかったのですが」
「あの連中の行動の方が早くって、手が打てなかったっつうわけか」
 さすがに、話を理解したセルジが深々とため息を吐く。
「わかった。ようするにあんたらは、少しでも奴らから援助金を引き出そうと演技したってわけだな?」


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