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「そうです。全住民、明日までに出る準備をしてください。了承した彼は周りの者の反応から、殆どの者が抵抗を続けると思っているでしょう。だからあんな安請け合いをしたのです。それを逆手に取るしかありません」
「今日、奴らが引き返したのは?」
「住民の間で意見が割れれば、その上で喧嘩沙汰が起きれば、軍を無理矢理介入させることも可能です。上手く行けば速やかに手を汚さずに住民達を始末できると思ったのでしょうね。このあたりは、推測でしかありませんが」
「なるほど、な」
 頷き、セルジは先ほどとは違った目でラウルを見下ろした。
「お前、殺されるとは思わなかったのか?」
「そういうこともあったと思います」
 だが、作戦自体がまったく成果も出せずに終わるとは思っていなかった。
 第一隊とは言え、特別機動隊で働いていると言うことは、普段から高い地位にある貴族の者に自分たちが遜っているということだ。それこそ、ラウルが今演技でそうしたように、あれこれと持ち上げては卑屈なふりをして、立場と地位を守っているのだろう。
 今回、彼らは逆の立場を味わうこととなった。その為、嗜虐的な気持ちより優越感と満足感が上回り、気持ちが大きくなったと推測される。それはラウルが彼らの目を見たときから予測していたことであり、それがそのまま上手く行ったからといって喜ぶ気持ちにはなれなかった。
「んな顔すんな」
「ですが、これでは少しばかり補助金が増えただけです!」
「さっきの状況じゃ、ゼロになった可能性がある。それを思えば上手く行った方だ」
「でも……! こ、こんな理不尽なことに、なんで従うんですか。そうですよ、セルジさんの言うとおり、街ぐるみで抵抗すれば、一矢報いるくらいは出来たはずです」
「……お前は、田舎から出てきたんだっけな」
 カルロスが、自嘲混じりの声を出す。
「この国が、長く災害から守られてるってのくらいは知ってるだろ」
「はい」
「それは、建国当時の国王とその側近の功績が神に認められての奇跡だって話だ。だから、その血筋の奴らが祈ることで平和が持続されてるってわけ」
「つまり、貴族と名乗れる人たちを傷つけたりすると、天罰が下るってことですか。勿論話は知っていますが」
 セルジの身内の、必死な様子を思い出しながらラウルは目を眇めた。
「そんな世迷い事、何故信じているんです?」
「そりゃ、お前、ちょっと前に……」
 言いかけ、カルロスは僅かに顔をしかめた。
「いや、……ホントかどうかは知らねぇけど、昔、王弟のその息子が殺されたとき、犯人は突然の落雷で丸焦げになったって話だ。他にもいろいろある。それに、神の恩寵を受けた血筋が途絶えると、奇跡がなくなるって話だ」
 カルロス自身、そんな逸話などは信じてなどいないと判りすぎるような口調である。「奇跡」を信じるに足るもっと深い理由がありながら、敢えてそんな与太話に無理矢理変えた様子だ。だがそうと気付きながら敢えてそれを追及はせず、ラウルは目をす、と眇めた。
「どれだけ無茶なお触れが出ても、皆が本格的に反抗しないのはそれがあってのこと、ってわけですね」
「この国じゃ、どんな貧乏人でも、働いてる限り飢え死にするこたねぇだろ。隊長に聞いた話じゃ、土地の痩せてる国なんかじゃ冬に食料がなくてかなりの人数が死ぬんだと。……そうはなりたくねぇんだよ」
 奇跡、と呟きラウルは拳に力を込めた。約束された豊作、氾濫することのない河、適度に降る雨、それらの得難い恩恵を守るためには、確かに我慢すればやり過ごせる程度の苦労や理不尽な仕打ちは耐えるべきなのかも知れない。ひとりが刃向かうことで恐るべき未来を引き寄せてしまうと思えば、思いきった行動に踏み込むこともできないのだろう。
 だが、とラウルは目を眇める。
「間違ってるよ……」
「ラウル」
「神の恩恵があるっていうのなら、好き放題やってる連中をどうにかしてくれるはずじゃないですか」
 確かに、とフェレが小さな声で同意する。だが、言っても認め合っても詮無いことだ。今更、というべきだろう。その考えはこの国全体に染みついてしまっている。
「……すみません」
 そうしてラウルは唇を噛んだ。やりきれない思いが胸中に渦巻いている。
 それを見て、何かかけるべき言葉があったのだろう。一歩ラウルに近づいたボリスは、しかし、実際にその言葉を発する前にふと体を震わせた。
 ほぼ同時に、カルロスやフェレも反応を示す。
「……馬蹄?」
 正確には、馬蹄の響き、というべきだろう。誰もが一瞬、戻ってきた、と思ったに違いない。ぎよっとしてラウルは身を竦めた。
 だが次の瞬間、それは安堵に変わる。
「隊長」
 ボリスの声に、ラウルは反射的に顔を上げた。探すまでもなくすぐ近く、狭い路地いっぱいを占めるようにしてアルベルトが馬を引いている。
「シケた顔してんな」
「……今頃来て、何言ってんですか」
「莫迦言え。こっちはこっちでやるこたあるんだよ」
 相変わらずの不機嫌な表情のまま、アルベルトは部下達の顔を満遍なく眺め、そうして横に逸れてエンリケの上で視線を止めた。
「っ、な、なんですか」
「お前ら、ちょっと来い」
「え」
「お前は馬に乗れ。足傷めてんだろ」
 初対面のはずだが、立ち姿を見ただけでそうと気付いたようだ。アルベルトは大雑把に見えて、洞察力は意外にも優れている。
 問題は、やることなすこと説明不十分だということだろうか。あいにくと、普段であればフォローに入る長年の部下達でさえ、彼の突然の出現には戸惑っている有様だ。エンリケ同様に頭の上に疑問符を浮かべている。
「来りゃわかる。そっちのガキも」
「え」
 皆が一斉に振り向いたその先、家と家の壁の隙間に隠れるようにして伺うトニの姿があった。認め、エンリケが眉を吊り上げる。
「お前、騒動のあるときは家に隠れてろと言っただろう!」
「父ちゃんだって、怪我してんのに一番先に走ってったじゃないか!」
「俺は」
「煩い」
 親子げんかにすら発展しているとは言い難い、ただの一言ずつの言い合いに、今度はアルベルトが青筋を立てた。
「グダグダ言わずに、黙って乗れ」
 もはや命令である。肩を竦めたカルロスがエンリケに従った方が良いことを伝えると、若干抵抗を見せながらも彼は息子と揃って馬上の人となった。


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