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 4.


「おや、お帰りなさい」
 数時間ぶりに戻った特別機動隊第二隊の詰め所に入った瞬間に、ラウルは目を丸くした。
「意外と早かったのですね」
「なんだ、お前も結局来たのか」
「それは、気になりますからね」
 微かな笑みを浮かべて返すのは、上品な物腰の男だ。どこか眠そうな細い目が特徴で、顔だけ見れば優男、首から下は意外に逞しいというアンバランスなシルエットが印象的である。
「お前が直接来るときは、あんまりいい事が起こったことがない」
「失礼な。――と言いたいところですが、ご多分に漏れず、といったところですね」
「……そうか」
「それよりも、彼が新入隊員ですか?」
 がっくりと肩を落とすアルベルト越しに、男の目がラウルを捉えた。確実にそうと知りながら肯定だけを待っている、といった表情である。
「あー、お前は初めてだったな。そうだ、この間来た」
「相変わらずの紹介文句ですね。まぁいいでしょう」
 言い、男はアルベルトを避けてラウルの前に立つ。
「私はイサーク・ラト。副隊長をしています。一応、アルベルトの腐れ縁で一番年上です」
 やはり、と言うよりは他に該当する人物などいないと言った方が早いだろう。
 つい先ほど話題に出ていた人物を目の前に、ラウルは直立状態から腰を直角に曲げた。
「は、初めまして。ラウル・アルバです。ええと、よろしくお願いします」
 柔和と言ってよい笑みを浮かべているにも関わらず、どこかそれを鵜呑みに出来ないのはカルロスあたりの影響だろうか。そのあからさまに引き攣ったラウルの顔を気にした様子もなく、イサークは再びアルベルトの方へと向き直った。
「さて、出来ることなら歓迎会でもしたいところですが、そうは言ってられない状況になりました」
「天幕がどうの、と聞くことも後回しか?」
「まぁ、それくらいは。どうなりました?」
「……やっぱり、必要な状況になってた。全部持ち出せるか?」
「かなりの旧型ですから、大丈夫でしょう。新型を勧めてあれを下取り処分する形にすれば問題ないかと思います」
「なら、それで進めてくれ」
 会話から察するに、更に新しい型の天幕なり軍の備品なりを仕入れさせ、それにより倉庫を圧迫して処分させる、ということなのだろう。むろん、国庫の使われる問題であり、普通であれば予算の都合などが絡んでくるはずであるが、そのあたりは軍部で幅を利かせている貴族をうまく持ち上げれば無視できるのがこの国の現状だ。
 国のあり方としては末期症状と言うべきだが、立場の弱い者として使える手はせいぜい有効利用しなければならない。
 この半日の事の顛末――実際には数日前から発生していた事件であるが――を聞いたイサークは、頷いて考え込んだ後、おもむろに紙とペンを取り出してなにやら細かい文章を書き綴った。
「ボリス、これをいつものところへ」
「はい」
 そのやりとりをきょとんとした表情で眺めるラウルに、カルロスが耳打ちをする。
「副隊長にも部下が付いてんだ。そいつのところに指示を届けに行ったんだ」
「その人も第二隊の?」
「いや、副隊長の従者っつうか。まぁあの人の家は貴族なんでな」
「え」
「そこ、煩いですよ」
 にこりと笑いながら、イサークが冷気を飛ばす。びくりと、過剰な反応を示したカルロスは即座に謝罪を口にした後でラウルに向けて片目を瞑って見せた。これ以上は少なくとも今は話せない、ということなのだろう。
「とりあえず、西区の話はこの後の経過待ちということで、そろそろ私の話をしてもいいでしょうか?」
「ああ。すまん」
「いえ。まとめて言いますと、新しく任務が入りました」
「……どういうことだ? 堤防の状況確認ではなく?」
「ええ。陛下の即位10周年を記念しての大事業が決定しました」
 任務のことを聞いての回答になっていない返答に、疑問符込みで眉を顰めたのはラウルを除く4人全員だった。どういうことか判らない、だが絶対にろくでもないことだとだけ感じ取れる。
「説明」
「はい。言われるまでもなく、嫌でも聞いて貰いますよ」
 含みを持たせ、イサークはひとつ咳払いをした。
「今この国は、貴族の個人所有地の他、村や町単位で管理が行われていますね?」
 当たり前としかいいようのない確認に、全員が揃って首を縦に振る。
 ハーロウ国王家は建国の立役者であった男の血裔だ。基本的に国土は国をまとめる王家のものであり、国民全員が税金という形で土地を借り守って貰っているかたちとなっている。村や町の長は王に代わって土地を治めるという立場で、あくまで管理者であり特別な徴税権などはない。
 だが、何事にも例外はある。それが始祖から特別に土地を与えられたことにより生まれた貴族領主という存在だ。本来は身分制度などなく、当然貴族などいなかったハーロウ国だが、土地支配権などの特権から生まれた格差は長い年月を経て、暗黙の了解の内にそれを作りあげて実際のものとしてしまった。公に身分制度が定められているわけではないが、それに近いものはある。
 むろん、国という枠組みにある以上村や町という単位で税が納められるのか、領地という単位で為されるのかという違いだけの話だ。しかし貴族領地には自治権があり、つまりは領主次第で良くも悪くも極端に変容するということが問題となっている。
 そういった情報を皆が頭に思い浮かべたであろうタイミングを見計らって、イサークが再び口を開いた。
「今度新たに、個人所有の土地が増やされます」
「……?」
「今は国の直接の管理下にある村や町が、自治権ともども売り払われると言うことです」
「それは判るが、俺たちに直接関係はないだろう?」
「関係おおありです。なにせ、そうして減っていった直轄地の代わりを作るために、新たに大規模に土地が開墾されるのですから」
 含みのある言葉を、アルベルト以下5名が深読みをする。ラウルにしてみれば若干回りくどいと言わざるを得ないが、それだけ、面倒な任務ということなのだろう。
 さほど広くもないハーロウ国は”非常に環境に恵まれている”為に、開発の難しい地域は放置されている。比較的狭い範囲、具体的に言えば国の中央を流れる河の流域やそれに隣接する土地に農地が限定されており、それだけで国民の食料は賄えているからだ。
 だが、貴族領地を増やすとなれば話は変わる。領地からも税という形で国に一定の作物は納められることになるが、こうも貴族が好き勝手に立ち回っている状況では、それを当てにするのは国として自殺行為と言わざるを得ない。さすがにそのあたりは考慮されたか、或いは下手な規制や監視を入れられることなく自由に振る舞うために、領主自身がそう言いだしたのかは判らないが、いずれにしても領地をもらえるわけでもない一般人には何の利益もない話である。


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