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「それでも、僕の思いは間違ってないと思います」
「どうしてもか」
「はい」
 言い切ったラウルを見て、アルベルトはため息を吐く。彼が眉間の皺を揉むと同時に、イサークも目を細めたようだった。
「判った」
 言うや、室内に鋭い風が吹き込んだ。――否、凄まじい速さで抜かれた剣が、切り裂くような風を作り上げたのだ。
 目の前に剣先、それを辿れば凍てつくような眼差し。視界に映る全てに死の刻印がつけられているようだ、とラウルは他人事のように感じた。音までが逃げていってしまったように消え失せている。
「すみません」
 そのままの姿勢で、むしろ微動だにできないままラウルは小さく呟いた。死まであと一歩ほどの距離も無い。そんな状況で、ラウルはそれでも考えを改めるとは言えなかった。あるのは、ただ胸に痛いほどの落胆だ。
 アルベルトがラウルを睨む。ラウルは静かに目を伏せる。
 永遠にも感じられる数秒、やがて、最初に動いたのはアルベルトの方だった。抜いたときとは対照的に緩慢な仕草で剣を仕舞い、額を押さえて緩く被り振る。
「……判った」
 そうして、固唾をのんで見守っていた面々を見回した。
「判ったな、皆。そういうことだ」
「え?」
 さすがに意味が判らず、ラウルは眉根を寄せた。
「あー、やっぱこうなったか」
「僕の時より早いですね」
「まぁ、いいでしょう」
 既に痛いほどの緊迫感はなく、妙に弛緩した空気が漂っている。それぞれ勝手にわかった顔をしている面々を見回して、ラウルは更に顔を顰めた。
「どういうことです!?」
「別に、どういうこともない。俺たちもほぼ同じ考えだと言うことだ」
「はぁ!?」
「貴族や王族に対する信仰心、いや、畏怖は、この国に染みついてる。だがな、そんなもん以上に奴らの好き放題に怒ってる連中もいるってことだ」
「隊長達も、そのひとりってことですか」
「まぁそうだが、別にだからといって、劇的な改革を目論んでるとかいうわけじゃねぇ。変えられればいいが、そんな計画は何代も前の国王の時代から、俺らより遙かに優秀な人間が計画して、そのぶんだけ潰されてきた。貴族の奴らはこういうのには敏感だからな」
 改革には、賛同する人間を多く欲する。そしてそれは大規模に、且つ用意周到になればなるほど、多様化していくのは防ぎようがないのだろう。全員が全員、高い志を持って勁い意志で闘えるわけではない。そうして大半の弱い部分が攻められ、密告者という名の裏切り者が空けた穴から容易に崩壊していくのだ。
「一部の奴らが立ち上がるだけじゃ、国は変わらねぇだろ。反骨精神をもった奴らが潰れねぇように、そんでそういう考えが広まるように、ちょっとずつ変わっていくしかねぇんだ。そうすりゃ自然、切っ掛けは出来る。俺たちは、その時を待っている」
 まだ詳しく教えてもらえるほどの信頼がないためだろう。具体的な何かを底に持ちながら、アルベルトは理想と意志だけをラウルに語る。
 正直、随分と気の長い話だ。長期的な視野というにもあまりにも遠大すぎる。だが同時にアルベルトからは、それ以外に方法はないという強い思いが感じ取れた。おそらくは第二隊のブレインであるイサークがそれを見守っているのは、そうと決めつけるだけの理由があるからに違いない。
 かつて何かがあり、そうして今の形に落ち着いた。そう判断しつつ、ラウルは緩く頭振る。
「具体的に、僕に何かできるでしょうか?」
「今はありません。強いて言えば、そのままに」
 イサークの寂しげな微笑は、やはりそう上手くは運ばないという現状を思い返しての事なのだろう。
「何はともあれ、ラウル、あなたを歓迎しますよ。新たな一員が、私たちと同じ考えを共有していることは喜ばしいことです」
 見れば、皆が目を細めて頷いている。
 ありがとう、と口にして、ラウルは気恥ずかしげに頬を染めた。

 *

「あーあ」
 荷を積んだ馬を引きながら、ラウルは大きくため息を吐いた。
「やる気って言ったけど、やっぱり活動は地味だなぁ」
「そういうものだよ」
 苦笑して諫めるのはフェレである。声が小さいのは、やはり大声で話せる内容ではないためだろう。
 貧民街の事件から数日、今、イサークを除いた第二隊の5名は、堤防工事の監視任務にあたっている。南の地域ではあるが王都にほど近く、馬を飛ばせば一日で辿り着く場所であるだけに、あまり遠出という印象はない。
 丁度出がけに第一隊を通してある貴族の遊びに付き合う羽目になり、アルベルトとボリス、カルロスが先行、遅れて年少組が現地に向かう途中という状況だ。領地を治める貴族から国王、またはその側近を通しての任務とは言え公式とはほど遠い形態であり、寝泊まりをする施設が提供されるわけでもないため、どこへ行くにも全て自分たちで手配する必要があるのは面倒以外の何ものでもない。
「うー、でも、お坊ちゃんたちにでかい顔されるのもやだからなぁ」
「その点、気が楽と言えば楽ですけどね」
「まぁ、そうですね。ところで、荷物、これくらいでいいんですか?」
「大丈夫だよ。いざとなれば、身を寄せ合えばなんとかなるよ」
 ハーロウ国は温暖な国であり、一年を通して10℃以下、30℃以上になることはない。11月の今は若干夜冷えるようになったという程度で、野宿或いは家とも呼べぬ小屋で寝泊まりすることに抵抗を感じる寒さでないことは幸いか。
 むしろ、いい年した男同士で『身を寄せ合う』ことへ抵抗を覚えるくらいである。
 他愛もない雑談をしながらラウルとフェレは大通りを抜けて門へ向かう。その途中で、ふたりを呼び止める声があった。
「おい、お前ら」
 突然かけられた声の方を向き、ラウルは瞬きを繰り返す。知っている人物だが名前がすぐには出ない、そんな彼をフォローするようにフェレが愛想の良い笑みを浮かべた。
「セルジさん、でしたか。先日はどうも」
「おう」
 陽気に応える男を見て、ラウルはあ、と口を開ける。数日前に知り合ったときよりも幾分整えられた身なりと、綺麗に剃られた髭のためにそうと気づけなかったのだ。
 若干恐縮したように頭を下げるラウルを見て、セルジもまた苦笑したようだった。
「ま、判んねぇわな」
「すみません。ところで、今日はどうしたんですか?」
「なに、買い出しだ。あと、お前らを見かけたら礼が言いたくなってな」
 ラウルとフェレが揃って首を傾げれば、セルジは照れたように後頭部を掻いた。
「お前らのおかげで、結構な金額の援助金がもらえた。役所のやつらは渋ってたけどな」


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