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「そうですか、それは良かったです」
「お前らが奴らと交渉してたときは、何してやがる、と思ってたけどな。あんときゃ悪かった。落ち着いてみりゃ、今の状態じゃこれが一番ましな結果だったってしみじみ思う」
「いえ、そう言っていただけると嬉しいですけど」
 むしろ、大変なのはこれからだ。寝泊まりをする為の天幕はあるが、それは雨露を凌げるというだけで、定住に用いるものではない。そして一時金をそれなりに多く得たと言っても、これからの収入源がないのだ。余剰のある内に対策を立てなければ、すぐに行き詰まってしまうだろう。
 そして、ラウルたちには、そこまで関与するだけの力はない。
 ふ、とため息を吐いたラウルの肩を、セルジが軽快に叩く。
「心配すんな。いきなり無一文で放り出されたわけじゃねぇ。なんとかなるさ」
「何か、手伝えることがあったら言ってください」
「そうですね、セルジさんはどのあたりに天幕を作ったのか、教えていただけますか?」
 フェレが交流のための情報を得ようと問えば、何故かセルジは緩く首を振った。
「他の場所に行くのですか?」
「いや、オレはナタ、――いや、西三番に残ってる」
「え」
「嫁さんとガキは先に逃がした。ただなぁ、このまま大人しく引き下がるのはオレの性分じゃねぇんだ」
「じゃあ、ひとりで?」
「まぁ、他にも古くから住み着いてる奴が何人かは居座ってっけどな」
「そんな、危ないですよ」
 そもそも、貧民街は治安のいい場所ではない。第一隊の嫌がらせやその他の干渉がなかったとしても、充分危険な場所なのだ。住み慣れているとは言え、やはり周囲に仲間がいるのといないのとでは大きく違う。
 心持ち体を前に倒したラウルとフェレを見て、セルジはにやりと口端を曲げた。
「心配すんな。この前も、脅して来やがったのを追い払ったんだぜ? まさか奴らも、ひとりやふたりのために軍隊引っ張ってくるこたできんだろ」
「それは確かにそうですけど、……追い払ったって、何をやったんですか?」
「大したこたしてねぇよ。怪我させんのはまずいかもって、水ぶっかけて追い払っただけだ。良心的だろ」
 冬に向かっている季節だが、水をかけられた程度で風邪を引くような陽気でもない。たしかにかけた水の量によっては引き返さざるを得なくもなるだろうが、害と言えばその程度だ。すぐにも力業に訴えそうなセルジにしてはよく考えた、と言うべきだろう。
 だが、貴族に対する伝説云々はともかくとして、彼らの感情を逆撫でてしまったことには変わりない。報復、と考えてラウルは強く顔をしかめた。
「次来たときに何をされるか判りません。今からでもすぐに出た方がいいですよ」
「お前、エンリケと同じ事言うなぁ」
「僕も同じ意見です。身を隠した方が良いでしょう」
 フェレに真剣な目で諭され、セルジは口をへの字に曲げた。
「セルジさん」
 真剣に身を案じて貰っている、というのは判るのだろう。咎めるようなラウルの視線から目を逸らし、ややあって、彼は不承不承といった様子ながらはっきりと頷いた。
「……ああ、もう、判ったよ。出来るだけ早く逃げる。これでいいだろ」
「はい、お願いしますね」
 フェレからの念押しにはさすがに苦笑し、彼は大きく頭振った。やれやれ、といったところか。
「それより、お前らは今からどっかに行くのか?」
「はい。少しばかり遠出になります。任務なので、詳しくは話せませんが」
「ああ、いや、ご苦労なこった。どうせまた、ろくでもないことに首突っ込む羽目になるんだろ」
「まぁ、そうですね」
「お前らも、気をつけろよ。あんま評判良くねぇんだ。何やって恨まれるか判ったもんじゃねぇ」
 オレが言うのもなんだが、と小さく付け加え、セルジは鼻の頭を掻いた。
「……まぁ、とりあえず、礼が言えて良かったってことにしとくわ。引き留めて悪かったな」
「いえ。わざわざありがとうございます」
「ちゃんと、早く逃げてくださいよ!」
「判ってら」
 言い、セルジはラウルの頭を小突く。
「じゃあな」
 そうして去りがたさなど欠片もない様子で、セルジはふたりに背を向けた。あっさりしたものだが、どうせ居場所は知れている。詰め所を王都に構えている限り、そのうちまた連絡などせずとも会うことがあるだろう。
 人波に消えていくセルジを見送りながら、ラウルは小さく息を吐いた。
「フェレさん」
「何だい?」
「セルジさん、随分くだけた感じになりましたね」
 敵愾心の塊だった時を思い出せば、よくぞ数日でここまで変わったものだ。それはラウルたちが何か成果を出したというわけではなく、どちらかと言えばセルジたちのほうが妥協してくれたと見るべきだろう。
 だが、関わりを持たなければ、歩み寄ろうとしなければ何も変わらなかったことだ。そう思えば、どこか安堵するものがある。
「判ってくれる人、増えるといいですよね」
 何が、とは言わなかったが、フェレには充分伝わるだろう。笑い、ラウルは歩き出す。
 しばらくして横に並んだフェレは、ただ小さく頷いたようだった。

 *

 一日かけて辿り着いた領地とその周辺は、広大で肥沃な農耕地帯である。5割を税として徴収したとしても飢えることなどない、と言われている土地だ。今は刈り取られ地面を見せている水田だが、黄金の稲穂が風に揺れる光景は圧巻のひとことに尽きると絶賛すらされている。
 作物の生長と土地の休息にあわせてゆっくりと時間の流れる場所、そんなのどかな幻想を抱いてやってきたラウルは、領地内に入るなり、首を傾げることとなった。
「なんか、静かですね」
 本来なら冬の支度に精を出す一方で、収穫後の一息をついている時期であるはずだが、領地内の村は不自然なほど閑散としている。否、ひとりもいないと言った方が早い。
 堤防作りに狩り出されているとは言え、そういった力仕事は男以外にはあまり関係のない話だ。特に小さな子供などは手伝いに付いていけるわけもなく、普通であれば、道端で大勢が遊んでいてもなんらおかしな話ではない。
「……妙だな」
 フェレもまた、訝しげに眉を顰めている。
「とりあえず、隊長たちと合流しよう。何か理由があるのかも知れない」
 異論はない。そうして更に馬を進め、河の近くに辿り着いたラウルたちは、今度は目を丸くすることとなった。
「なんだ、あの人だかりは……」
 工事のための仮設住宅と聞いていた場所に、人だかりができている。老若男女、それに家畜が集まっている様は、もはや村自体の大移動と言っても差し支えないだろう。


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