[]  [目次]  [



 ぎょっとして無意識のうちに手綱を引いたラウルは、馬の抗議の声に我に返ることとなった。
「隊長!」
 馬を木に繋いだフェレが先に駆け、アルベルトが目を向ける。
「何ですか、これは!」
「早かったな」
「村がもぬけの殻でしたので、急行しました」
「そうか」
「この有様は、もしかして……」
 この方々が開拓地へ、とそう言いかけたフェレをアルベルトが視線だけで止める。予想は当たっているのだ。ただ、周囲に100人近くいる村人はまだそれを知らない、ということか。
 村人達の戸惑いは大きい。何の説明も受けずにここへ追いやられたのだろう。
「カルロスさんたちはどこへ?」
「あいつらは堤防の方の見回りに行ってる」
「堤防作りはもういいのですか?」
「殆ど仕上がっていた。必要な資材はちゃんと届いてたし、賃金も上等な部類だったからな」
 第二隊の面々による予想に反して、意外とまともな治水工事であったようだ。ただ、必要性という観点から見れば首を傾げざるを得ないが、農民側に一方的な無茶を強いているというわけではない以上、口出しすることでもない。
「河の向こうからの嫌がらせとかはなかったのですか?」
「様子は見てたみたいだが、基本的には傍観だな。無駄なことをやってるって感じで、まぁ、話の種に莫迦にしに来てただけだろ」
 河の片方の堤防だけを高くすると言うことは、本来争いの火種になる事柄である。河の水位が上がったときに、当然低い方の堤防から決壊して水が溢れていくためだ。
 だがこの国の現実を見れば、河が氾濫したという記録など一切残っていない。川の水位は常に適切な範囲内にあり、危険な要素などどこにも見あたらないため、この堤防工事が単なる道楽、或いは有り余った金を庶民の暮らしに役立つことに還元しているというアピールだと受け取られても当然と言えよう。アルベルトはもとより、工事に狩り出された農民でさえそう思っているようだ。
「とにかく、堤防に関しての任務は終わったと思っていい」
 過ぎたこと、とアルベルトが話を切る。
「問題はまぁ、ふたつめだ」
「僕たちだけで、ここに居る人全員を誘導するんですか?」
 無茶としか言いようがない。
「開拓地はどのあたりなんです?」
「歩いて4、5日の山の方だ。川を渡って向こうの土地を抜ける時に、更に人が増える」
「えええええ!?」
「最終的には200人程度になるはずだ。開拓場所は昔一度手がけられたことのある場所で、古いが住居などの設備はある程度揃っているらしい」
 開拓、開墾、農地の拡大と言ってしまえば前途ある未来というようにもとれるが、実際は安定した収穫が得られるまでが長い。一度に200人からが慣れない新生活に挑む事を思えば、初期に起こる混乱や諍いは敢えて想像するまでもないだろう。
 そこまでの面倒を見ろ、と任務にあるわけではないが、まさか、誘導するだけで去るわけにもいくまい。
「まさか、こんな無茶なことになってるだなんて……」
「開拓地候補は他にも多くあるらしい。そっちは軍でも閑職に回されてる隊が担当している」
「じゃあ何で、全部軍が担当しないんですか」
「俺に聞くな、と言いたいところだが、その辺りはイサークが調査済みだ。開拓のために連行される農民は、本来なら村全員ってことはない。領主や地域をまとめる官吏のトップが選考して決める。だがここらの河東西の民は全員だ」
「?」
「王都に近い肥沃な土地は皆が狙ってる。おおかた、開拓を理由に住民を追い出した後、領地の再分配か何かが行われたりするんだろう。そうすりゃ、悪どいことやって肥え太ってる貴族べったりのどこかの地主が、奴隷扱いの小作人を連れてやってくるだろうさ」
「つまり、国の方針で定められた理由から逸脱することで、軍には任せられなかったってことですか?」
「さすがに軍にも良識のある奴はいる。反発を喰らっちゃ、進むもんも進まねぇだろ」
 村人の誘導役に正規軍を使うことが拙いなら、先に事実を作ってしまえば理由など幾らでも後付けできる。さすがに軍も、一旦移動して生活を始めてしまった農民をわざわざ連れ戻すという手間まではかけないだろう。そこで、国王の狗の出番というわけだ。
「これでも移動距離や人数が少ない方だというがな」
「慰めにもなりませんよ」
「まぁ、俺もそう思う」
 だが、アルベルト以下、特別機動隊第二隊には任務に対する拒否権など存在しない。除隊するか任務を遂行するかの二択なのである。本来はその極端な雇用条件に見合うだけの栄誉に与れるはずだが、既にラウルが実感している通り、華々しくやりがいのある仕事は過去の幻想となって久しい状態だ。
 しばし後、ラウルとフェレの状況確認も一段落した頃、カルロスとボリスが堤防工事に携わっていた男たちを連れて合流することとなった。ラウルたちを見て笑顔で手を挙げたところを見ると、そちらの方は問題なく終了の手続きも済んだということだろう。
「ご苦労」
「どうも。まぁ、大変なのは今からですからね」
 諦めた表情で、カルロスは緩く頭振った。そうして堤防を背に特別機動隊の面々が並び、それに気付いた村人達が戸惑いの視線を向ける。
 不安渦巻く人の山を満遍なく見回して、やがてアルベルトが口を開いた。
「集まって貰ったのは他でもない。お前達を今から開拓予定地にまで連れて行く」
 え、と息を呑む声が響く。
「尚、拒否権はない。必要な道具などを忘れた者があれば、今から取りに行く時間を設ける」
 簡潔明瞭、しかしそこに至る理由や説明がごっそり抜けている。はじめに結論を疑いようのない方法で突きつけ、相手に考えさせる過程で説明を加えるという方針なのだろう。回りくどく最初から説明するよりも相手に結論が伝わりやすいという利点はあるが、結論自体が説明相手にとって悪いものである場合、反発心が先に立ち説明を悪い方向へ考える傾向に陥りやすいのが難しい点だ。
 案の定、堤防工事に従事していた壮年の男たちから批難の混じった疑問の声が早々と上がった。
「どういうことだ? なんで儂らが家を出なきゃなんねぇんだ」
「年寄りと子供を連れて開拓だ? あんたら、正気か?」
 ごもっとも、――と言えない立場が辛い、とラウルは真剣に思った。
「無茶言わねぇで下さいよ!」
「無茶なのは、判ってる」
「だったら!」
「だが、ここで聞かなくとも、無理矢理追い出されるだけだ。それこそ無一文でな」
 アルベルトの言葉に、しん、と場が静まりかえる。


[]  [目次]  [