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「うちの周りの男どもっていったら、『おいその樽ふたつ運んどけ!』って、水が満タンに入ったでっかい樽指して命令するくらいよ? もちろん、運んだ後で夕食抜いてやったけど」
 逞しい、とはこのことを言うのだろう。
「でもまぁ、ありがと」
 遠慮した様子もなく、ベルタは籠の持ち手のひとつをラウルの方へ向けた。籠を挟んでふたりで運ぶという構図になる。道自体は狭いがもともとは畑だった場所を縦断すれば下に降りるに問題はない。
 しばらくの間、ふたりは並んで山道を下っていった。
「ねぇ、あんた、いくつ?」
「僕? この前19になったばかりだよ」
「へぇ。あたしより上なんだ。王都の軍隊に入るなんて、大変なんじゃないの?」
「そうでもないよ。単なる歩兵なら常時募集されてるくらいだし。ここに来て思ったけど、毎日の労働で言ったら、農業の方が大変かもしれない」
「あたしには判らないけど、そういうもんなんだ? たまに武器とか戦いとかに憧れて出て行く奴いるけど、どうしてるかなぁ」
 現状この国では、貴族の推薦のない者が高位に至ることはない。よほど上手く立ち回り貴族の目に留まらなければ、出世は望めないだろう。だがそんな世知辛い真実は口にせず、ラウルは曖昧に頷いた。
「それより、聞きたかったんだけどさ、いい?」
「ん? なに?」
「村の人たちは西と東で結構揉めてること多いけどさ、僕たちのことは憎くないの?」
 ずっと疑問に思っていたことである。東西の農民同士が仲違いすることは予想通りだったが、ラウルたちにさほど悪感情が向けられていないのは意外だったのだ。アルベルトなどは、無理矢理開拓地へ連行した自分たちに憎悪が向けられれば、或いは村人たちが一致団結してくれるのではと目論んでいただけに、拍子抜けと落胆を同時に感じているほどである。
 特別機動隊という特殊な役割であるだけに貴族と勘違いされているかと言えば、それほど丁寧に遇されているわけでもない。どちらかといえば、調停役として問題解決役を押しつけられたような立ち位置だ。
 そう説明すれば、ベルタは小さく唸ったようだった。
「そこらへんは、ちょっと複雑なのよねぇ」
「複雑って?」
「あたしたちにとって、領主とか国の役人とかってのは、別に憎い存在じゃないの。そりゃ税は多く取られたけどこっちが死んじゃうってほどじゃなかったし、別にそれ以外で虐げられてたわけじゃないしね」
 そのあたりはラウルも知っている。今回住民を送り出すこととなった西の領主と川を挟んで東の地方の役人は、他と比べてもまだましと言える治め方をしていた。特に西の領主は見栄半分の堤防を作るなどの無駄も行ってはいたが、賃金などをきちんと設定するなど良心的な貴族として知られている。
 だが、だからこそ、この二つの地方の民は狙われたのだ。今頃、領主だった貴族はあれこれと難癖をつけられた上に領地を没収され、役人は別の者へとすげ替えられているだろう。後に旨味の多い土地を手に入れるのは、あくどく強引な手も辞さない別の貴族だ。
 勿論、そのあたりの生臭い事情を、のんびりと育っただろうベルタたちに教える気はない。胸に渦巻く不快感を隠し、ラウルは続きを促すようにベルタへと目を向けた。
「あんたたちもさぁ、憎むにはちょっと真面目っていうか。判る?」
「ええと、そう、かな?」
「そうよ。例えばさ、ここに来る途中で怪我したり倒れたりした人がいたときも、無理に鞭打って歩け! とか言ったりしなかったでしょ」
「普通はそんなことしないよ」
「そう? 他の村から逃げてきたっていう人は、どんだけ身分のある連中が横暴か、もっと酷いのを語ってくれたわよ? とにかくさ、ちゃんと平地に送り返したり、担架作って運んでくれたり。そういうの見てるとさぁ、急に開拓地に行けとか言われてむしゃくしゃしてた気分もぶつけらんないわけよ」
「なんか、ごめん」
 反射的に謝ってしまったものの、自分たちへの評価が真っ当であることに喜びを隠せないラウルである。
「でも、ここで頑張ろうって前向きなわけじゃないんだよね?」
「そりゃ、すぐにはそう思うのは無理よ。頑張ってるつもりでもさ、上手く行かないところには原因探しちゃうわけ。それで、西の奴らが働かないとか、すぐに休憩するとか、反対に東の奴らはすぐ手を出すとか、大雑把すぎていい加減だとか、そういうふうに人のせいにしちゃうんだと思うな」
「……すごい、分析してない?」
「父ちゃんの愚痴とか聞いてると、だいたい判るわよ」
 なるほど、とラウルは頷いた。
 早足で花を踏んで歩く者がいる。ゆっくりと花を避けて歩く者がいる。それぞれ、前者は後者を遅いと罵り、後者は前者を乱暴者と批難する。どちらも自分の動きが正しいと思っている限り相容れることはない。正誤はっきりする話ではないのだが、そこに相手への不満が積み重なっていくのだ。
 冬までに、或いは種まきの季節までにある程度の体裁を整えなくてはならない現状では、前者のような考えが求められるのだろう。多少の粗はあっても、急がなくてはならない。それに有利な性格をしているのが東側というだけで、西側が駄目だというわけではないのだ。
 難しいな、と呟き、ラウルは頭を掻いた。東西の人材を混ぜて交流を図り、一丸となって事に当たることが望ましいが、現状では誰もがそんなことに期待もしていない。
(……だけど、それでいいのかな)
 まとめることは難しいが、分裂したまま、時間が解決してくれるとは思えない。
「また、難しい顔してる」
「あ、――ええと、ごめん」
「いちいち謝らなくていいってば」
「いやでも、本当に大変なのは貴方たちだし」
「仕方ないって。――あ、ありがと。ここらでいいわ」
 声に促され前を見れば、川の周辺に女達が沢山座って作業をしている姿が目に入った。ときおり手を止めて談笑している姿は好ましいが、さすがにその群れの中に入っていく勇気はラウルにはない。
 一瞬動きを止めた彼を見て、ベルタは大きな笑い声を上げた。
「あそこで料理の下準備してんの。大所帯だから大変だわ」
「僕らに回ってきてる食事もかな? いつもありがとう」
「ま、それがあたしたちの役割だしね。それじゃ、またね」
 籠をベルタに預け、去っていく彼女に手を振って踵を返す。
 ――と、いくらも歩かないうちに、ラウルはまたしても思わぬ所から声を掛けられることとなった。
「よーう、このイロオトコ」
「カルロスさん……」
「ばっちし、見てたぜ? 結構可愛い子じゃないか」
「誤解ですよ」
 ここで焦ってはカルロスを喜ばせるだけだと、ラウルは素っ気なく対応する。
「それより、カルロスさんは何をしてるんです?」
「あららー、可愛くない反応」
 ラウルの反応に嘆かわしげに天を仰いだあと、カルロスはにやりと口端を曲げた。


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