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「まぁいいか。先を越されてもおにいさん、面白くないしなぁ」
「はぁ。それでその、後輩を出し抜きたいお兄様は、何をしてたんです? 今日は隊長の手伝いでしたよね」
「あららホント、図太くなっちゃって」
 おどけたように肩を竦め、だがカルロスはそこで表情を真面目なものへと一変させた。
「隊長に言われて、上の方にある崖を見にいってきたんだよ」
「崖?」
「もっと上に開拓を続けたら、見えてくるだろうなー。結構厄介だぜ。崩れてきたら大事になるな」
 基本的に大災害の起こらないハーロウ国だが、小さな事故は普通に起こっている。大雨でも降った場合、偶然下を歩く人がいれば巻き込まれて埋まってしまう、そういう事故をカルロスは危惧しているのだ。
「そうすると、左右に開拓していくしかないですね」
「そうなんだけどなぁ。そうすっと、やたらでかい木があったりしてちょっと面倒になんだよな」
 どちらにしても、新しく森林を拓いていくのはまだ先の話だ。
「まぁいいか。とりあえず隊長に報告に行くけど、お前も来るか? そろそろ休憩してもいい頃だろ?」
「あ、はい。お供します」
 半日、山道を行き来していたラウルは、否も応もなく頷いた。

 *

 部下達の報告を聞いたアルベルトは、様々な事項をまとめている紙束を前に、深々とため息を吐いた。
「前の開拓団が放棄したのも判りますねぇ」
 茶々をいれるのはカルロスだが、彼も面白がっているわけではない。
「沢の周りは岩だらけですし、山の方は切り立った崖が続いてますし、厄介ですよ」
「判ってる」
「その、前の開拓団の拓き方を見ていると、上に上にと家を移しているようですが、危なそうな崖があると判った以上、それは危ないのではないですか?」
 フェレが困惑した表情で問えば、ボリスもまた横で頷いたようだった。ラウルにしても、同意見である。
 だが、麓に近い方ほど土地はなだらかで、ひとつの畑の面積も広く取れることは確かだ。肥料を運ぶことも楽であれば、牛を使っての作業もしやすくなる。
 居住地を平地側へもっていくとすれば、街道へ出ることが近くなる他、居住区が崖などの脅威から守られることとなるが、正直、大きな利点はそれだけだ。なにより、麓の土ですら平地の作物を拒んでいる状況である。山の方の土が合うとは思えない。今も昔も、居住地を不自由な方へと追いやってでも平地に近い部分を農耕地へと割り当てたい一番の理由はそこにある。
「開拓地の真ん中に家を造って、周りを畑にするというのはどうですか?」
「悪くはない考えだが、居住区に問題が生じた場合、周囲の畑を潰すことにもなる」
 加えて言えば、山賊などが攻め込んできた場合、四方がただの畑では逃げ道を全く失うことにもなる。
「いっそ、全く違う作物に挑戦してみます?」
「だが、国内で作っているのは殆ど同じものだ。山に近いところは殆どが未開発だぞ?」
「そーなんですよねぇ。何かほ」
「あっ」
 思わず、という調子で声を上げたラウルに、皆の視線が一気に集中した。ボリスなどは反射的にか、剣の柄にさえ手を伸ばしている。
 口元に手を当てて赤面するラウルに、数秒の躊躇いのあと声を掛けたのはアルベルトだった。
「……どうした」
「いえ、すみません」
「いいから、何だ? 話せ」
「ええと、その」
 ボリボリと頭を掻き、ラウルは皆から目を逸らしたまま小さな声で言った。
「僕、キーナなんかどうかなと思うんですけど」
「キーナ?」
 唱和するように、他の4人の声が響く。違いがあるとすれば、表情だ。怪訝な顔をしたのはアルベルトで、残りは純粋に疑問符を頭の上に浮かべている。
 ラウルは、上目遣いに皆を見回して、そうして意外そうにアルベルトの上で視線を止めた。
「隊長さん、もしかして知ってます?」
「おかしいか?」
「この国にはないんじゃないですか?」
「ないな」
 キーナとは、肥沃な大地を抱えるハーロウ王国ではまず見ることはない穀物だ。厳しい土地条件の場所でもよく育ち、寒く雨の少ない国の主食とされている。北方では野生種もよく見られ、人の手が加わらずとも充分に実を結ぶ。生長すれば何百という種子を実らせるが、草そのものが非常に硬く、丈も成人男性の背を追い越すほどになるため些か収穫が難しいとも言われている。
 ラウルがそう説明をすれば、アルベルトの他は感心したように頷いた。
「打って付けじゃねぇの?」
「山の方を農地にするとすれば、全く別の作物をというのもいいかも知れませんね」
「この国の物で難しいなら、確かに今までの方法に拘る必要はないな」
「ですが、殆ど誰も知らない植物をいきなり育てるなんて、上手く行くでしょうか」
 フェレの疑問はもっともである。
「隊長は、どの程度ご存じなのです?」
「だいたい、だ」
 説明不足極まった言葉にさすがに部下達は批難の目を向け、アルベルトは顔を顰めて続きを口にした。
「種を蒔いてから実が収穫できるまでは6ヶ月ほどだ。ただし、収穫に適した実の状態になってから枯れるまではひと月ほどかかる」
「実と一緒に刈り取るわけにはいかないんですか?」
「茎が硬く根も頑丈に張る。不可能じゃねぇが、刈るには相当労力を使うんだ。一度実を結んだ後は放っておけば枯れるから、それを待つ方が早い」
「それだと、他の作物を育てる期間が短くなりますね」
「土を肥やす時期や休閑期も要るだろうが、とりあえずはやってみねぇことには勝手が判らんな」
 キーナの栽培を採用するとすれば、この国でも初めての試みとなるだろう。否、新しい作物に手を出す事自体が極めて珍しい。
 ハーロウ国では手順通りに行っていれば問題なく作物が育つため、このあたりのことを考える機会がないのだ。河の東西で長い間続けられていた農業は遙か昔に確立されたものであり、春に植えるもの冬に植えるもの、土の再生方法を初めとした輪栽の手順や家畜の取り扱いまで、最も適しているとされるマニュアル通りに行われていたに過ぎない。
 土地を耕すことは出来る。畝を作り水を引き、環境を整えることは出来る。だがそれでも、作業は難航するだろう。試しに植えた苗が枯れるだけで右往左往している状態なのだ。それほど、この国の農民――否、農業国であることを思えば国民の殆どが失敗という事に慣れていない。


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