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 思い、ラウルは深々とため息を吐き出した。
「収穫が満足に見込めないかもなんて、あの方達、初めてになるでしょうね」
 フェレもまた、困惑が主成分の苦笑を漏らす。
「できれば避けたい案ですが、平地と同じ作物は、やっぱ無理そうですか?」
「根菜類はどうか判らんが、主として育てていた穀物は駄目だろうな」
「そう、ですか……。ラウル、そのキーナは、山にも植えられるものなのかい?」
「北では山にも植えられているそうです。勿論、山と言っても土の質や気温などの差がありますし、大丈夫なんてことは言えませんけど」
「でも少なくとも、山でも育つという実績はあるんだね。それなら、居住区を麓に、ということも出来るかも知れない」
「他国では、非常に狭い畑にも無駄なく植えられるそうですから、傾斜面でも問題はないはずです」
「……で、なんでお前はそんなのを知ってるんだ?」
 言い切ったラウルに、カルロスは胡乱げな目を向ける。
「隊長は……、あれだ、まぁ、知ってても変じゃないが、お前は何でだ?」
「たまたまですよ。履歴書に書いてあった村、判ります? 鉱山に近いとこだったでしょ? 北の国は多少の交易もありますし、それでそういうのに詳しい知り合いがいたんです」
 はじめにラウルが提出した履歴書を思い出したのだろう。アルベルトがなるほど、といった調子で首を縦に振った。
「今は? そいつどうしてんだ?」
「喧嘩して別れてから、会ってません。連れてこいなんて言わないでくださいね。だいたい、ここから村まで、どれだけかかると思ってるんですか」
 渋い顔で、ラウルは釘を刺す。先を取られたと思ったのか、カルロスは面白くなさげに口を曲げた。
 それを見て少しばかり笑みを浮かべたフェレが、更に現実的な疑問を投下する。
「ところで、どうやってその、キーナという穀物の種は入手するのですか?」
「あ」
「そのあたりは、イサークと相談するしかないな。これ以上仕事を増やせば、文句ぐらいくるだろうが……」
 腕を組み、アルベルトが呟く。最後の方はもはや独り言だ。全部副隊長に投げる、と宣言していた割になかなか彼を呼び寄せないと思っていたが、どうやらラウルたちの知らないところであれこれと指示を出していたようだ。
「上手く行くかは判らん。早い方がいいだろう。ボリス」
「はい」
「お前は軍の駐屯地に行って、鳥を借りて先に連絡をつけろ。ラウル」
「は、はい」
「お前はここでの仕事の済ませた後、馬で王都へ戻れ」
 ボリスが先行して報せた内容の結果を受け取ってこいということだ。まだ仮入隊して間もないラウルは、他の隊員の目の届く範囲の仕事を割り振られるのが常だが、こればかりは言いだした者が責任を持って当たれ、ということだろう。或いはひとつほど仕事を任せてもよいと判断されたのかもしれない。
 どちらにせよ、やり甲斐のあることだ。
「判りました。頑張ります」
 しゃちほこばった礼をとり、ラウルは早速にと踵を返した。

 *

 そうしてラウルが出発したその夜。
 修復も途中の家屋のひとつに、夜の暗さに紛れて訪れる影があった。中に寝ている者はひとり。もともとは何かの物入れだったのだろう。壁を挟んですぐ隣にもうひとり居るが、ふたり以上が横になれるスペースはここにはなかった。
「親父、起きろよ」
 寝ている男の耳元で囁く声は鋭い。
「親父!」
「ん、……わ、な、なんだ!?」
「静かに」
「っ、お前」
 男は身を起こし、体の上に乗せていた布団代わりの服をはね除ける。
「何時の間に戻ったんだ? それなら」
「シッ」
 再び、訪問者が唇に指を当てる。
「親父、俺と来てくれよ」
「なんなんだ、いったい」
 戸惑う男の腕を、訪問者は強引に引く。既に彼が知っている人物――息子であることを把握していた男は、ため息をつきながらも逆らわずに家の外へと付いていった。
 外は、当然闇の中だ。薄い雲が空一面を覆っている。平地にあった村では、夜でも見張りが立ち所々にかがり火が設けられていたが、ここにはそんなものはない。否、そんな余裕はないと言うべきか。
 日頃の慣れない労働で疲労を溜めていた男は、寝入りばなに起こされた不機嫌さを滲ませた声で息子へと詰問した。
「それで、どういうことだ? お前は家畜を取りに行ったはずだろう」
「それだよ、親父」
 潜めた声の中に歓喜が滲んでいる。
「親父、俺と来いよ! 今なら新しい領主様に雇ってもらえるんだぜ?」
「……は?」
「領主様に掛け合ったんだよ! そしたら、村に残していた家畜を全部預ければ何人かは村に住まわせてくれるってさ! 国王の命令で開拓は決まったけど、数人ならばれないし、雇うっていう形でなんとか誤魔化せるってさ!」
 今までと違い、見栄っ張りでもなく優しくて懐が広い領主様だよ、――と興奮気味に語る息子に男は冷めた目を向ける。彼はさすがに、息子ほどには単純ではなかった。
「雇われるってことは、何もかもが領主のものになって、お前は自分の財産を持てずに飼われるってことだろう。いい話なわけがない」
「でもよ、親父、ここにだって、家とか畑とか全部奪われて追いやられただろ。同じじゃんか」
「だが資金はもらっている」
「でもよ、ホントにここで生活できんのかよ! 布団も寝台もねぇこんなただの囲いだけのところで寝て、何がいいんだよ! 領主様のお屋敷の一部屋に住まわせてもらえるんだぜ?」
「だがお前、さっき、数人と言ったな? 村全体で飼っていた家畜を、数人だけいい思いをするために勝手に領主にやるつもりか?」
「――っ!」
 さすがに、その指摘は鋭かったと言うべきだろう。否、鋭く、痛いところを突きすぎたと言うべきか。
 瞬間、ふたりの顔は全く逆の色へと変わった。ひとりは蒼褪め、ひとりは赤く。むろん、息子がとんでもないことに手を染めようとしている事への焦燥と、己の浅慮、或いは狡さを真っ向から指摘された事による羞恥からくる違いだ。
 そうして僅かな沈黙の後、先に手を出したのは赤くなった方だった。
「うるせぇよ!」
 辺りは暗く、それが禍いした。
 威嚇のつもりで突き出した手は、息子を前に力を抜いていた男の体を正確に打ち、大きく後方へと倒れ込んだ。


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