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「その通りです」
 言い、イサークは細い湯気を出し始めたヤカンへと視線を移した。
「何故逆らわないのかとあなたは前に言いましたが、かつてはそうして貴族に表だって逆らった者もちゃんといたのですよ」
 ――変えられればいいが、そんな計画は何代も前の国王の時代から、俺らより遙かに優秀な人間が計画して、そのぶんだけ潰されてきた。
 ふと、ラウルの脳裏にアルベルトの言葉が甦る。
「まさか、隊長のご両親も?」
「よく判りましたね。そうです。むしろ、ハビエル家に連なる者達が首謀者でした」
「ハビエル?」
「アルベルトの本名は、アルベルト・ハビエル・カナレスです。今は母方の父系を名乗っているだけです」
 ラウルが頷いたのを認めて、イサークは話を続ける。
「国の一番東に領土を持っていたハビエル家は、位置関係もあり、東の国と細々とした独自の交流があったのです。そのうち、ハーロウ国が歪であることを知ったのでしょう。東の国の援助を受けながら、仲間を作っていきました」
 そしてその活動は水面下で広がり、反乱組織はかつてない順調さとスピードで組み上がっていったという。国の体勢や警戒が、長くの平和で箍が緩んでいたというのもあっただろう。そうして小さな問題は抱えつつも、それまでの反乱組織の壊滅理由に多い裏切り者を出すこともなく、遂に反乱の火が上がることとなった。
「初めは順調でした。形だけの軍隊もだらけきった私兵軍も、志のある面々や他国の傭兵には全く敵わなかったのです」
「それが、何故?」
「ハビエル領を出て、ハルバテーレ地方へ進んだとき、国王と近しい貴族が揃って参戦したためです」
「え!?」
「他国からの侵攻に対しては、かつて何度も不可思議な力が働き、退けることができています。ですが、その時は内部からの反乱でした。これまでと同じように運任せでは止まらないと判断したのでしょう」
 建国初期、まだできたての弱小国と侮り、宣戦布告もなく国土を侵した国は幾つもあった。しかしそのいずれもが、当時はかなりの強さを誇ったハーロウ国軍と不可思議な自然現象により撤退を余儀なくされている。ある時は突然の豪雨に敵側だけが地滑りで流され、ある時は突然の逆風に自軍の放った炎に晒され、といった運と言い切るには数の多すぎる実例が残っているほどだ。
「進軍は、そこで停止しました。国王や名だたる貴族が、ハビエル家とそれに連なる反乱軍を敵と定めた瞬間、雷がハビエル家当主を打ったのです」
「そんな」
「それだけではありません。突然の盟主の死に崩れ始めた反乱軍に国軍が矢を放ちました。それは、放たれた直後の強風に乗って襲いかかり、反乱軍はあっという間に散り散りになりました。生き残った面々も、国内に残っていた者は、その年の間に悲惨な死を遂げたそうです」
 ヤカンを掛けていた小さな竈の火を消し、イサークはラウルに向き直った。
「私やアルベルトは、母親により東の国に逃れることができました。それから10年も経ったころ当時の王、つまり先王が身罷り、それを気に私たちはこの国に戻ったのです。その後の様子を確かめるためと、反乱の火を完全に消さないために」
 そうして出自を隠したふたりは、軍部と宮廷内に別れて同じ考えを持つ人間に接触していった。惜しむらくはその10年ほどの歳月が、国政に関わるような貴族の選民意識拡大にも繋がってしまっていたことだろう。反乱軍の壊走を目の当たりにした軍人や一般人が、国王達の力、則ち人外の者の加護を持っていると強く再認識し、それを広めてしまった結果のことだ。反乱軍の存在が伝説レベルの迷信を確信に変えてしまったのは、なんとも皮肉な話である。
「ラト家は当時反乱組織に与していた貴族で、王都での内部呼応のために直接反乱軍には加わっていなかったため、難を逃れた家です。私の母がラト家当主と再婚したため貴族の一員となっただけで、本来はただの一般民なのです」
 判りましたか、と話を切るような言葉に、ラウルは頷くことしかできなかった。アルベルトやイサークの胸の内に、単なる義憤以上のものがあるとは思っていなかったのだ。
「……そうか、それで」
 呟いたラウルは、イサークの視線に気付き、力なく微笑んで緩く頭振る。
「なんでもありません。話していただいてありがとうございました」
「いえ。ただ、外部には秘密にお願いしますね」
 ラウルははっきりと頷いた。イサークがあっさりと過去のことを白状したのは、言ってみれば牽制だ。おそらくは、そうと疑って調べれば判ることなのだろう。下手なところから尾ひれの付いた話を耳にするなら、といった心情か。
(秘密、ね)
 言われるまでもなく当然のことである。軽い好奇心から聞いたことだったが、それを知ってどうこうしようとは思ってもいない。
 そうしてようやくのように資料の方を向いた彼に、イサークが思い出したような声を掛けた。
「話は変わりますが、やはり東区でも住民の移動が始まりましたよ」
「そうですか……」
 資料を捲りながら、ラウルはちらりとイサークへ視線を向けた。目のあったイサークはにこりと笑う。
「とりあえず、軍の備品は色々買い取っておきましたから、当分は何とかなるでしょう」
 根本的な解決にはならないが、こればかりはどうしようもない状態である。ラウルたちに政策を決定するような権限はないのだ。
「エンリケさんでしたか。彼がはじめの移住者として采配していてくれるようです。なかなかの人材ですよ。ここへ嫌がらせをしにきてくれた彼の子供に感謝すべきですね」
「……いや、その感謝、言われたら怖いです」
 苦笑し、ラウルは資料へと目を戻した。それ以上の話は妨げになると思ったのだろう。イサークは紅茶を彼の前に置くと、少し離れた位置に自分も腰を下ろしたようだった。
 しばし沈黙が流れ、紙の擦れる音だけが響く。
 イサークの資料は完璧だった。少なくとも農業の素人が見るぶんには、という注釈はつくが、そうそうに大きな抜けがあるとは思えない。
 紙束を置き、目の間を揉んだラウルは、大きく延びをしてから立ち上がった。
「とても詳しい資料です。ありがとうございます」
「いえ。私は基本的にここから動けませんからね。これくらいは役に立たせてください」
 イサークには、王宮に居る国王、或いは彼の命令を取り次ぐ取り巻きとの連絡役という重要な役割がある。それはそれで面倒で忍耐力の試されるもので、アルベルトがさらりと放棄したために押しつけられたようなものだ。
 あえて残っていてくれる彼に、文句を言うような――言えるような隊員は存在しない。
 そんな彼に見送られ、ラウルは再び馬上の人となった。手探りで始めたことが形となりつつある。そんな気持ちが体を急かし、彼は道のりを一気に駆け抜けた。

 *

 だが、そんなラウルを迎えたのは、静かな歓迎ではなく騒然とした混乱だった。
 開拓村へ戻るや、中心となる建物から響いた罵声に、ラウルは思わず手綱を引いて馬を止める。何事、と思ったのは彼だけではなかったのだろう。道端で休んでいた老人もまた、驚いた様子で目を見開いていた。


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