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 慌てて近くの木に馬をつなぎ、老人に世話を頼んで声の響く方へと向かう。
「ざけんな!」
 叫んでいるのは、――スハイツ・コロモだ。
「それで済むと思ってんのか! しかも、貴族の野郎どもに媚びただぁ!?」
 こっそりと扉を開けた瞬間に、大音量が耳を通る。反射的に身を竦め、ラウルは強く目を閉じた。
(うわー、……隊長さんで慣れてなかったら、逃げ出してたかも)
 スハイツの怒気は凄まじいが、迫力の重さで言えばアルベルトには今一歩及ばない。声量や声質の問題ではなく、もとから滲み出る何かが違うのだ。
 修羅場への耐性がついていたことに妙な感謝を覚えつつ、ラウルは出来るだけ気配を消して奥の方まで歩き進んだ。幸い、小さな机を挟んで立つ東西の代表者たちは目の前の相手に集中していて、彼には気付いた様子もない。
(隊長と、あとはフェレさんか)
 アルベルトは、東西代表者の間に立ち、腕を組んで目を閉じている。眉間の皺は標準装備であるため、彼が何を思っているのかは判らない。
「貴様ら、やる気がねぇんなら、とっととどっかに消えちまえ!」
「やる気はあります、しかし!」
「はぁ? へぇ、どこにだ?」
「我々も同じように働いている。家屋の修繕も、野生に還った畑を使えるように戻すのにも」
「よく言うぜ! 俺たちの半分ほどもいってねぇくせによ! ちょっと動けば疲れただの、休憩だの、挙げ句にゃ、嫌だから逃げ出した、だ!?」
「それは、一部の者が……!」
「そう言って、こっそり金でも受け取ってんじゃねぇのか!?」
 さすがに、興奮しすぎていると思ったのだろう。別の代表者がスハイツを下げ、だが鋭く睨むように西の面々を一瞥する。
「ここでの働き云々は一旦脇に置く。だがあんたたちは家畜を新領主に売り渡したらしいな。それであんたたちは牛も鶏も出せないってんだな?」
「それは、……いや、すまない……」
「それじゃ、あんたたちが耕せないぶんや、要らなくなった家畜の為の場所をこちらに渡してくれ」
「な……」
「当然だろ? 少ない耕地を遊ばせておく気か?」
「そんな、少しそちらのを貸してくれれば……」
「こっちもギリギリの数だ。それとも、盗る気じゃないだろうな」
 これはさすがに言い過ぎ、というべきだろう。一瞬にして場が凍る。
 東側の気持ちもわかるが、今は疑心暗鬼になっている場合ではない。数少ない「今あるもの」を活用しつつ、新しいものを作って行かなくてはならないのだ。
 当事者同士に任せるという方針だが、さすがにここは口を出すべきと判断したのだろう。アルベルトは、挑発的な東の代表者たちに目を向け、注意を促した。
「もとは東西に分かれているが、ここでは同じ開拓者だ。よほど状況が逼迫するというのでもない限り、できるだけ協力しあうべきだろう」
「充分協力してるじゃねぇか」
「だったら」
「だがよ、正直西の奴らは今、おんぶに抱っこ状態じゃねぇか? 山の暮らしは慣れねぇ、年寄りと子供は多い、挙げ句に家畜まで全部ない、貸してくれって、そりゃねぇだろ」
 人数から言えば、東西の住民はほぼ同数だ。だが東の代表者のひとり、スハイツが言うように、年齢層には若干の差が生じている。今から主戦力となる若い年代を比べてみれば、東の方が多いのだ。これはもともと農作業に余裕があり、畑を継ぐことが出来ない者たちが村を街に出て行ってしまうという環境に由来する。加えて今回、村の家畜を新領主に譲り渡してその手先となった者の殆どが20代から30代までの青年であり、更に人数格差が広がってしまった。
 労働力の提供として、確かに不公平な状況であるのは否めない。
「フェレさん……」
 さすがに、睨み合うガタイの良い男達の間に入る勇気はない。どうにか目的地へたどり着いたラウルはアルベルトの後ろにいたフェレの袖を引き、持ち帰ったばかりの資料を鞄から取り出した。
「話し合いですか?」
「うん。緊急のね」
「もしかして家畜、駄目になったんですか」
「うん。新しい領主の罠にかかって、実質取り上げられてしまったようだね」
「若い人達が売ったんじゃないんですか?」
「売ってはいないみたいだよ。家畜と引き替えに、前の領地の畑で働かせてやるって、ちょっと考えたらおかしい内容だってすぐ判ることを言われて、元々住んでた土地に居座れるならってほいほい甘言に乗ってしまった若いのがいたらしいよ」
 穏やかな顔をして、案外フェレも毒舌である。
「財産取り上げられて奴隷になるのと同じなのに、……って言っても、遅いんだけど」
 苦い笑みを浮かべた後で、フェレはラウルの差し出した資料へ目を落とす。そうして初めの数行を読む。
 これまでの話を知っている彼は、それだけでラウルの言いたいことを察したようだった。
「確かにこれなら、東の方の有利な状況はちょっとは覆るね」
「初めての試みですし、協力しないとって話に流れは持っていけませんかね?」
「どうだろう。普通に考えたら、協力しないといけないことくらいは判るけど」
「うるせぇぞ、お前ら」
 低く唸るように注意を促し、膝と腰を打ち抜くような目でふたりを見下ろしたのは、むろんアルベルトである。
「こそこそ後ろでくっちゃべってんじゃねぇ」
「す、済みません」
「ええと、その」
 チンピラモードに入ったアルベルトに、ラウルの舌が空回りを始める。
「これ、あの、言ってた、……持ってきた資料、なんですけど……?」
 全く関係のないものではないが、東西のもめ事の中に余計な一石を投じることになるのではないか、という迷いがある。だがフェレと同様、すぐにラウルの思惑に気付いたアルベルトは、考えるように顎を撫でた。
「で、使えそうなのか?」
「はい。結構良い感じみたいです」
「――そうか」
 そんな、こそこそと話し合う三人に、スハイツ他、東の面々が胡乱げな目を向ける。
「なんだ、なんか言いたいことでもあんのかよ」
「いえ、その……」
 言い淀み、ちらりとラウルはアルベルトへと目を向ける。アルベルトは一度鼻の頭に皺を寄せた後、ため息を吐いて顎をしゃくった。
「構わん。ラウル、それを見せてやれ」
「は、はい」
 許可を得て、ラウルはスハイツの方へと資料の紙束を差し出した。
「あの、これを見てください」
「何だ?」
 おずおずとラウルが差し出した資料を、スハイツがひったくるように奪い取る。
「キーナ? なんだこれは」


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