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「あんの頑固親父!」
「え、ええと」
「わかったわ! 案内してちょうだい!」
「あ、は、はい!」
 勢いに押され、ラウルはむしろ逃げ出すようにベルタの手を引いた。気恥ずかしい思いは上空何千メートルへと消え去っている。
 行きの倍の早さで戻った室内は、出てきたころと全く変わらぬ空気だった。否、むしろ澱んでいるような重さを感じるのは、気のせいではないだろう。
 だが、ラウルを憂鬱にさせた睨み合い、その雰囲気を恐れた様子もなく、ベルタは堂々と中へと踏み込んでいった。
「父ちゃん!」
 皆の注目をわざと集めるような大声に、視線が入り口へと突き刺さる。場違いな進入者に眉をひそめるというよりは、誰だ、お前は、という表情であるのが救いか。
「話は聞いたわよ。父ちゃん、何言ってんの!」
 大勢の前で父ちゃんと呼ばれたスハイツは、娘の登場に戸惑いと気恥ずかしさを覚えたようである。瞬時に顔を赤くして、唾を飛ばしながら娘を怒鳴りつけた。
「お前はすっこんでろ!」
「いーや、言わせてもらうわ」
 睨み、ベルタは腰に手を当てた。
「話は聞いたわよ。父ちゃん、なに意固地になってんのさ」
「なってねぇよ」
「どうだか。あのさ、父ちゃんたちが、ちょっとでもあたしらの生活楽にしようと思ってるのは判ってる。けど、そんなの、あちらさんも同じでしょ。同じ立場なのに、優劣つけるわけ?」
「だがな、牛や鶏は俺たちが持ってきたんだぜ? なんで……」
「もともとはあたしたちが世話してた家畜かもしれないけどさ、ここじゃ、ほかのことは全部共同でやってんのよ? 桶だって食器だって、持ち寄ったの使ってる。もしかしたら西の人たちのものの方が多かったかもしれないじゃない」
「だから、両方から出し合ってたら多少の違いは問題なかったんだ。なのに向こうはひとつも」
「出し合うのは、物とか家畜だけじゃないでしょ」
 厳しい口調で言い切り、ベルタは強い目で父親を見つめた。
「ドメネクのとこの子供さん、熱出したんだって。薬になる草摘んできてくれたの、西側の娘さんだったよ。カルメちゃんはお乳が出なくなったんだ。代わりに授乳してくれたの、西側の人だったよ。キュカが迷子になったとき、通りがかった人が一緒に探してくれた。名前聞く前に帰っちゃったけど、知らない人だったから西の人だと思う」
「……」
「反対に、あたしたちも顔合わせてる人が困ってたら、ちゃんと手を貸して助け合ってるよ。こんな状況だもん、不自由が多いんだから、できることを皆でやってくしかないじゃない。出し合うもので一番大事なのは、ひとりひとりの力じゃないの?」
 明るく振る舞ってはいるが、実際には辛いこともうまく行かないことも多いのだろう。
「女たちは、西も東もなしで協力し合ってるよ。料理する人、子供の面倒見る人、裁縫する人、いろいろ得意分野に分かれて自分で動いてる。いちいち、自分の道具がどうのこうの、自分の子供を優先で、なんて言ってない。さぼる人も気の利かない人もいるし喧嘩もするけど、西だから東だからとか、そんなことで差別したりしてない」
 言い切り、ベルタは非難も侮蔑も込められていない、ただ訴えるだけの目でスハイツを見た。
「皆、貴族どもの被害者でしょ? 良くしていくには、助け合わなきゃいけないんじゃないの? 開拓場所を誰のもの西のもの東のものとか分けるのは後でもできる。今はそんなの抜きで、ここにいる人全員で、ひとつのでっかい畑をなんとかする、一斉に一緒にやったらダメなのかな?」
 皆で仕事をして優劣なしに平等に富を分配する。小さな共産主義のひとつと言えるだろう。むろん、東西の持ち寄った財産、働ける年齢層の差などから、まさに揉めていたところだ。そんな考えが既に代表者たちの胸にある以上、いつまでも仲良く皆同じ、という状況では立ちゆかなくなることは目に見えている。
 だが、今はすべてがリセットされた状態だ。ひとりひとりの力では為し得ないことの方が多い。それを思えば、個人あるいは家族単位で何かを考えることは得策とは言えないだろう。
「ずっとそうでなくちゃなんて言わない。けど、全員が困ってる状態だもの。苦労も一緒。ねぇ、誰かが怠けるとかいうなら、それを何とかするのも村長とか代表者とかの役目なんじゃないの? 全員が仕事できる環境を作って、全員で働く。駄目かな?」
 ベルタの言葉に、立場の悪い西側からはむろん反論はない。問題の東側はといえば、さすがに素直には頷けないようだった。
 同じ東側出身の者の意見で、冷静に考えればそれこそが正論だとは判っている。否、それが理想だとは知っている。だが、極論ではあるが、全財産を突然強制的に他人と共有しろと言われているのと同じなのだ。人間として、欲を棄てきれない生物として、全員が全員、聖人になることはできない。
 先行投資というにも、あまりに先は不透明だ。故に、ベルタを連れてきたラウルにしても、促すような声を掛けることはできないでいる。
 できるとすれば、全てを受け入れた当事者だけだ。
「父ちゃん」
 ベルタが今度は、若干の非難を含んだ声で呼びかける。
 沈黙。やがてスハイツは、短く息を吐いたようだった。
「……わかった」
 渋々、という感は否めないが、認めたには違いない。ほっと、張り詰めていた空気が弛む。
「ただし、これ以上家畜がいなくなるのは困る。管理はうちの若いのに任せて貰おう」
「それは、勿論。必要なときに貸してくれれば」
「待った」
 止めたのは、ベルタである。
「西の人も、その考え、変えませんか? 木を切るのも建物を直すのも、畑を耕すのも皆一緒にできることをやる、それじゃダメですか? 西、東とか、分けるのやめましょうよ」
「……だが」
「さっきも言ったけどさ。父ちゃんも西の代表の人も、あれこれ揉めるのは、自分たちの仲間を守ろうとして、ちょっとでも良いようにしようとしてのことでしょ? その仲間の枠を広げて、ここにいる全員仲間、にするだけよ。仲間を守るために頑張るなら、頑張る方向が違うの。あるものを取り合うんじゃなくて、皆でないものをあるに変えるの。そういう思いの方が、開拓にはふさわしいんじゃないかな?」
 開く、拓く。どちらも次を作り次へ繋げる意味あいだ。けして同じ境遇にあるもの同士が奪い合いいがみ合うものではない。
 少しして、西の代表たちは静かに首を縦に振った。
「父ちゃんもそれでいいでしょ」
 同意を求めるように娘に睨まれたスハイツは、またしても渋々と、だが今度もはっきりと頷いた。他の者をそれに倣う。
 そうして、西の代表者たちは伺うようにアルベルトの方を見た。中立のものとしての裁定を願いたいといったところか。
 そんな、おそらくは全員の視線を受け、アルベルトは後頭部を掻いて口を開く。


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