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 軍人ではあるが指示系統が異なるため、軍部の日常業務である街中の見回り等は特別機動隊には振られていない。故にアルベルトが言った「見回り」はこれまで関わったことのある箇所へのその後の経過調査という意味合いがある。
 配属されて長いカルロス、ボリス、フェレはそれぞれ思う方向へ去っていった。その際、ラウルが初めて大きく関わることとなった西区を残しておいてくれたのは、彼らなりの気遣いなのだろう。
 これまでの忙しない日常を思い返しながら旧外郭を越えたラウルは、そこに全く人気がないことに安堵と寂しさを同時に覚えた。置いて行かれたものは既に泥を被り、軒下にも破壊の跡が残っている。以前に訪れたときも「汚れている」とは感じていたが、生活感の失せた今では荒れているといった表現の方が正しいだろう。
 ラウルは、神妙な面持ちで西区の奥へと進んでいく。出がけの会話で得た若干の浮ついた気持ちはとうに失せ、今は何か事を起こした後の重みというものが心にのしかかっていた。
 結果が全てとは言わない。だがすきま風の吹き抜ける無人の家屋は、ラウルの心に何かを問いかける。
 そうして歩き続けること数十分。かつてエンリケとトニの家があったあたりを見て折り返したラウルは途中、行きがけには見なかった人影に出くわした。
「あ、エンリケさん……?」
 思いがけない偶然というものだろう。或いは、今は王都を出て難民となった人々のまとめ役のひとりとなっているエンリケは、時々様子を見に来ているのかも知れない。
 ラウルの声に、エンリケが振り返る。彼は一瞬訝しげに目を細め、次いで驚いたように目を見開いた。
「ラウルさん」
「お久しぶりです。どうですか、調子は」
「落ち着いてるよ」
 かなり年下ということもあり、エンリケの口調は今はだいぶ砕けている。
「こんなところまで来ているということは、こっちに戻ってきたのかい?」
「はい。つい今朝。エンリケさんは今日はこちらに用事でも?」
「ああ、……今日は」
 答えかけ、言い淀む。そうしてエンリケは手にしていた花にちらりと視線を向けた。
「墓参り、かな」
「え? ああ。こちらで昔に亡くなった方のですか」
 少し考えれば判るはずだ。エンリケたちはずっと以前からここに住んでいた。その間に亡くなった知人も存在するだろう。もしかしたら親類縁者、親兄妹だったのかもしれないとラウルが遠慮気味に体を後ろに引けば、エンリケは弾かれたように顔を上げた。
 そうして、強い躊躇いの滲む目でラウルを見つめる。
「君が想像しているのとは、違う」
「?」
「本当は、言わない方がいいのかも知れない。いや、言いにくいだけか」
 エンリケの瞳が、小刻みに揺れている。嫌な予感を覚えラウルが更に一歩退けば、彼は追い詰めるように口を開いた。
「死んだのは、セルジだ」
「……え」
「君たちが別の用事で忙しくしているのを知って報せなかったが、丁度ひと月前に、死んだ」
 あまりのことに、ラウルの体が凍り付く。表情の抜け落ちた顔で、彼はその場に立ちつくした。
 ざ、と風がふたりの間を通り抜ける。枯葉を共に去っていったそれはラウルのコートを煽り、冬の温度以上の寒さを落とす。
「なんの、冗談ですか」
 心拍を高めながら、ラウルは無理矢理のように笑う。
「僕、会いましたよ、この間。元気にしてたじゃないですか」
「死ぬ直前までは元気にしていたからね」
「どうして、どうして亡くなったんですか!」
「死因は溺死だよ。家の中で、水気のないところで溺れて死んでいた」
 ガタ、とラウルの横にあった空の桶が鳴る。よろめいた彼が、反射的に蹴ったためだ。幸いにして躓くことがなかったとも言えるが、顔面はそれより危ういレベルで蒼白だった。
「なんで、……なんで!?」
「あの時は、噂になったよ。貴族に水をかけたためだと。その天罰が下ったのだと」
「莫迦な! そんなこと、あり得ない!」
「だが現実に起こっているんだ」
 河で死体が発見されたのなら、報復があったのだと断定も出来るだろう。だが、溺れる要素のない室内で考えるまでもなく不自然な溺死体。
 もう一度あり得ないと呟き、ラウルは強く頭振った。
「髪は濡れてなかったんですか? 暴れた様子は? 近所の人は何も聞いていないんですか!?」
「発見したのはセルジの妻だった。約束していたにも関わらず一向にやってこないセルジを心配して元の家を見にいき、発見した。既に体は硬かったらしいから、死後随分経っていたんだろう。近所は空き家が殆どで、それまでの目撃者もない」
「つまり、亡くなった当初は濡れていたとしても、乾いていた可能性が充分にあるということですね?」
 それなら、と続けようとしたラウルをエンリケが遮った。
「君の言うことは判る。遺体が状況的に不自然だったからと言って、人工的に作りあげられない状況じゃない。だが、殆どの人はそう思わない」
「!」
「あれこれと人為的な要素を探すよりも先に、天罰だと畏れる。水をかけたら水で死んだ。もうひとつ、セルジに倣って同じように水をかけた老人がいたそうだが、彼はそれより先に井戸に落ちて死んだそうだよ」
「そんな!」
 悲鳴に近い声を上げ、ラウルは口元を手で覆った。中身を伴わない吐き気が、全身を支配している。
 けして、知人の死に初めて遭遇したというわけではない。悲しみという感情からすれば、両親の死の方が遙かに上だっただろう。
 セルジの急逝は、ただただ信じられない。唐突で、そして受け入れがたい最期だったからだ。
(ああ、もっと――)
 もっと強く、早く、退去するように勧めれば良かった。もっと強制的にこの場所を閉鎖すれば良かった。出来るだけ良い結末へと思う一方で、当然のようにこぼれてしまうものがある。嫌がらせのレベルであれば素直に怒れたものを、何故か今はひたすらに苦しい。
 胸を押さえ、汗を滲ませ、ラウルは固く目を閉じた。
「――済みません。僕なんかより、エンリケさんたちの方がずっと、ずっと辛かったはずなのに」
「大丈夫だよ。こうなる気も、どこかでしていたんだ」
「……え?」
「大人しく、悲壮感を漂わせてそのままに出て行けば何もなかったんだろう。君たちが策を講じて退去の資金は倍増した、それは嬉しかったけど、心の奥ではどこか不安だったんだ」


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