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 エンリケの言葉に、ラウルは目を見開いた。何をと思う心の奥で、冷静に分析する自分が居る。
 実際持つ権力や武力はもとより、国民の殆どに染みついている貴族への反逆に対する忌避の感情は、そう簡単に拭いきれるものではない。住民の殆どが騒ぎの翌日に退去し、結果として彼らを追い詰めた第一隊の者を出し抜くことには成功したが、それ故に畏れが残ってしまったのだろう。
 そうしてエンリケは、それをセルジの死に当てはめてしまった。ラウルが今まさに感じているやりきれない思いと同じものを抱き、その落としどころを作ったのだ。
(――そうだ、エンリケさんはちゃんと、セルジさんの死が人為的なものだと判っているって、そんな言葉だったじゃないか)
 冷静に現実を見て状況は把握している。だが一方で、「異端」に成りきる事も出来ない。貴族に逆らった罰をどこかで受けなくてはならない、そんな自己暗示と納得出来ないセルジの死、エンリケの言葉はそのふたつが融合した結果の産物だ。
 思い、続ける言葉を失い、ラウルは無理矢理に微笑んだ。後悔と悲しみが半々である彼よりも、エンリケの方が遥かにセルジの死を悼んでいるのは確かなのだ。そんな彼に、勝手に分析した心情をして責める権利はラウルには無い。
「他の皆さんに、影響はありませんでしたか?」
 もやもやと胸中にたちこめかけた不快感を払うように、ラウルは努めて明るい声を出した。エンリケもそれに合わせ、ぎこちなく微笑んで彼を見遣る。
「そうだな。一時期は動揺も強かったが、だからこそ、他の地区の者も素直に退去したとも言えるから。それに、先に渋々と退去した者も、どこか納得したような顔になった」
「そう、――ですか」
「教えておいてこんなことを言うのもなんだが、セルジの事は、気に病まないで欲しい。あいつもそんなことは求めてないだろう」
「……」
「次は、もっと明るい話題が出るように、私たちはあそこで頑張ってるから、また今度は、あっちに寄ってくれ」
 気遣うような前向きな言葉に、ラウルは今度はさほど苦労せずに微笑んだ。
「それじゃ、私はもう行くよ。――では、また」
 微笑を返し、ラウルの肩を一度軽く叩くと、エンリケはそのまますれ違うようにして去っていった。それを複雑な顔で見送り、ラウルはしばしその場に立ち尽くす。
 エンリケたちは正しいのかもしれない。他人の失敗を見て己の身の振り方を察し、心までも騙して穏やかな生活を選び取った。
 だが、飼い馴らされて得る平穏を捨てて、考え、自由を求める事は愚かなのだろうか。
 反旗を翻すよりも、受け入れ、あきらめ、我慢する方が平穏に暮らしていける。国王が政治を投げ出し貴族が暴利を貪ろうと、意に添わぬ事を強いられようと、彼らに追従し畏れ崇めていれば生きていけるのだ。飢えて凍えて死ぬ事は無い。善き王善き権力者が台頭する時代に運良く生まれれば尚の事。
(だけど、それじゃ駄目なんだ――……)
 エンリケの消えていった路地の先を見つめながら、ラウルは拳に小さく力を込めた。

 *

 エンリケと別れた後、ラウルは次に広場へと向かった。初めにアルベルトに連れられて行った場所である。西区とは全く別の方向でもあるため、そこまで足を伸ばす必要はなかったが、すぐに詰め所へ戻る気にはなれなかったのだ。西区のことを聞かれて、セルジのことを黙っていられるような強さは、ラウルにはない。
 ――と、あと少しで到着するというところで見知った背中を見つけ、彼は目を見開いた。
「隊長さん」
 エンリケとは違い、こちらは見間違えるような相手ではない。確信を持って呼びかければ、アルベルトはさほど驚いた様子も無く振り向いた。
 よくよく、思わぬところで思わぬ人と出会う日だと苦笑し、ラウルは立ち止まった彼に近づいて横に並ぶ。
「隊長さんも出てたんですね」
「今さっきの話だがな」
「お伴してもいいですか?」
 これは、予測外の言葉だったのだろう。如何にも訝し気に眉根を寄せた後、アルベルトは仕方無さげに頷いた。自分と歩きたいというラウルの事は心底理解出来ない様子だが、拒否する理由もまた探しきれなかったといった様子だ。
 しばらく無言で足を進めた後、彼はおもむろに口を開く。
「西区は、どうだった?」
 当然のことを問うようで、その実、言葉に微妙な含みがある。気づき、ラウルは顔を歪めた。
「隊長さんは、知ってたんですね」
「……まぁな」
「副隊長も、ですよね」
「あいつに口止めしたのは俺だ。まぁ、しなくても黙っていたとは思うが」
 それには同意し、ラウルは小さく頷いた。
「教えなかったのは俺の判断だ。別の事に気をもんでる暇はなかったからな」
「隊長らしい判断です」
 皮肉ではなくそう思う。状況を考え、後から責められる事を覚悟で隠し通す事が出来るのは、一種の強さだ。感情の面から言えば、セルジの死の直後に報せてくれればと、そうして死因を調べそれははっきりと人為的なものだと突きつけたかった思いはある。だがそれは、様々な事を中途半端に終らせてしまう結果ともなったこと、想像に難くない。
 それに、とラウルは思う。現実を突きつけるだけで貴族が失脚するのなら、このような国にはなっていなかっただろう。
 恨み言を言うでも無く小さく苦笑するラウルを見て、アルベルトは何かあったと悟ったようだった。
「誰に会ったかは知らんが、何か言われたか?」
「――いえ、そうじゃないんです」
 エンリケには言えなかったことだが、アルベルトにまで隠す必要は無い。西区での会話、そこから自分が分析したこと、それに対する自分の思い、全て洗いざらい喋った後で、ラウルは疲労にも似た後悔を覚えた。知人ひとりの死を知って尚、素直に悲しめない自分に嫌悪感すら感じる。
 さして長くもない、だが考えようによっては重い話に、アルベルトは深く息を吐いた。
「お前も大概、面倒くさい男だな」
「え」
「んなもん、仕方ねぇだろうが。他人が外から分析してるのと同じ位置に自分を持っていくことなんざ、できねぇ方が多い。そこまで、人間強かねぇんだよ」
「……隊長さんも、お父さんが死んだ時、そう――仕方ない、神憑った力だからって思えたんですか?」
 さすがに、ぎよっとしたようにアルベルトはラウルを凝視した。だがすぐに、情報源に思い至ったのだろう。苦虫をかみつぶしたような顔で、彼は吐き捨てるように言った。
「思った、に決まってんだろ。さすがにあれは、偶然で済ますには唐突過ぎる。人の手でどうにかできることじゃなかったんだよ」
「……」
「だが別に、だから貴族どもに逆らっちゃいけねぇなんざ、考えてねぇよ。親父のしたことも、莫迦だったとも思わねぇ」


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