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 本当なら、アルベルトも貴族の一員だったのだ。何故そんなとんでもないことをした、と死んでしまった父親を罵ったところで誰も不思議には思わないだろう。
 だが彼には彼の、その後の経験から得た違う考えがあるのだ。
「どんだけ頑張ろうが、どうしようもねぇことはある。例えばお前、今この道の真ん中に、道の幅の半分くらいのでかい岩があったらどうする?」
「え? ええと、退けようとする、と思います」
「じゃあそれが、偉そうな奴によってわざわざ設置されたものだとしたら? 除けるなと命令されてたら?」
「え、ええと……」
「俺の親父はそういう状況で、それでも岩を動かそうとした。結果、岩は自分の方に転がって、仲間とともに下敷きになって死んだってわけだ。失敗だ。だがそりゃ、どうしようもなかったことだ。大人しく岩をそのままにしときゃ、不便ながら生きてられて、その方が世間では賢かったんだろうさ。だがな、俺はそれが無意味だとは思わん。良かれ悪かれ、人に影響を与えた事は確かだからな」
 言い、アルベルトは彼には珍しいにやりとした笑みで口周りを彩った。
「不便だ邪魔だと文句を言いながら、諦めて見てただけの奴らには、ごちゃごちゃ抜かすな、ってひとことで十分だ。黙って諦めるって選択肢を選んだんなら、最後まで黙ってろってことだ」
「文句を言っておきながら、黙ってたくせに、とは言わないんですね」
「言わねぇよ。それもひとつの道だからな。人間、目の前に見えている事と周りで起こってる事は誰にだって同じなんだ。だが、人によって捉え方が違う。人生どうだったか、なんざ、その間に何が起こったかが重要なんじゃなくて、起こった何かを見てどう思ったか、ってことだ」
 反乱軍の敗北を見て、人々は国王や貴族の力を確信した。だが同じものを見て経験して、アルベルトは何か行動を起こした後に人々が転機を得るような変化を起こした事に注目した。即ち、変化の無い、平穏で変わる事の無かった国や国民も、変わる可能性を秘めていると確信したのだ。
 人の歴史の変わり目には、人の心の変移が影響している。アルベルトの父親は急な変革を、人の心を中途半端に置いたままに試みて遺恨を残してしまった。だからこそアルベルトは急がない。起こりうる被害を最小限にする努力をしながら、その姿を見た人々が、関わった人々が少しずつでも変わってくれる事を願っている。
 のんきな、もしくは意味があるのかもわからないものとも言えるだろう。だが、ひとつの言葉が人を動かす事もある。
 ――誰が頑張ろうが、どうにもならないときはある。一方的に任せられた仕事があったとして、どれだけ頑張っても失敗することだってある。それを責めてきたら、言ってやれ。任せたてめぇらが悪い。ごちゃごちゃ抜かすな、ってな。
 かつて自分にかけられた言葉を思い出し、変わらないなと思い、ラウルはアルベルトを見上げた。
「僕、判りました」
「あ?」
「隊長さんの笑顔は破壊力があるな、って、すごく実感しました」
「……てめぇ、人の話を何て聞いてたんだ」
 折角真面目に答えてやったものを、と瞬時に眉間の皺が復活を遂げる。
「はぁ、莫迦莫迦しい。おら、行くぞ」
「はぁい」
 茶化された事に対しては苛立ちよりも呆れを感じているのか、アルベルトは若干乱暴にラウルの後頭部を押した。早く進めと促しているだけなのか、珍しく長々と考えを語った事に対して照れと後悔があるのかは判らない。
 いずれにしてもアルベルトは、自分の思想を相手に納得させようとする気はないようだ。他人の完成された思いに追従することではなく、自らが己の思いを元に考える事を第一としているためだろう。彼が説得をするならば、ひとりやふたり感化されてくれそうな人も居そうなだけに、残念と言えば残念な話である。
 だが、とラウルは思い出す。政敵に負けて離宮へと向かったパオラも、確か同じようなことを言っていた。流されるのではなく自分の意志で考える人材が必要だと。そういうことなのだろう。
 そうしてしばらく雑談を続けながら歩いたふたりは、ふと、進行方向から流れる妙にざわついた空気に気付き、同時に眉根を寄せた。
「隊長さん」
「騒ぎ、じゃねぇみたいが……」
 押し殺したような緊張。それを存分に孕んだ風に、ラウルの顔が強張っていく。既に何かあった後なのでは、という思いはアルベルトにも同じようであった。
 無言で頷き合い、足を速めて石畳を蹴る。
 そうしてたどり着いた広場。視界に飛び込んだ光景を見て、ラウルは無意識のうちに拳を震わせた。
「……あいつら!」
「やめろ、ラウル!」
 ラウルが拳を振るわせ一歩踏み出すのと、アルベルトが鋭い制止の声を上げるのはほぼ同時だった。経験豊富な彼は、この状況で誰が無茶をしでかすかなど、予想済みだったのだろう。
 なんとかその声に従い足を引き戻し、ラウルは唇を噛む。
 だがその時既に、相手の方はラウルたちの存在に気付いていたようだった。
「これはこれは、第二隊の皆さんじゃないか」
「――そういうお前たちが、何故ここにいる」
「相変わらず、口の聞き方を知らない奴だ……」
 アルベルトの、どう読み取ろうにも非好意的な言葉に、第一隊の面々は口元を引き攣らせたようだった。だが、ここへ来ていた目的を思い出したのだろう。目を嫌らしく弓なり曲げ、得意げな顔で周囲を見回した。
「君たちがあちこちに出回るから、市の方が野放しになって勝手に開く奴らが出てね。それで私たちも協力しようと思ってやってきたのさ」
「そいつはどうも」
「慣れない仕事だけど、君たちより上手いんじゃないかな? 聞けば君たち、不正に場所を使う貧乏人を追い払うのに、かなり時間をかけてるらしいじゃないか。困るよ。ちゃんと仕事してくれなきゃ」
「仕事、か。あれが」
 あれの指すものを正確に読み取り、第一隊のひとりが可笑し気に鼻を鳴らした。
 所々に街路樹があるだけのただ広い空間には、今は無惨に壊された天幕の残骸と、汚れ壊れ価値をなくした商品の数々が転がっている。数日前からこの状態なのだろう。既に腐った食物が踏みつけられて泥の中に埋没していた。
 もっとも、それだけであったのなら、まだ嫌がらせのレベルに収まっていただろう。
「……彼らは、何をしたんだ?」
 アルベルトの目が第一隊の後ろに向けられる。そこには、縄で縛られ転がされた、両手に余るほどのけが人がいた。いずれも周辺の村から来たと思われる服装をしているが、その他に共通点は無い。
「仲間同士でつるんで、他の奴らに迷惑かけたお仕置きってわけじゃなさそうだが?」
「迷惑はかけてくれたよ、なぁ?」
「俺たちの妨害をしてくれたよなぁ」
「俺たちを傷つけたら酷い目に遭ってしまうからなぁ。そうならないようにこちらからちょっとお灸を据えてやっただけだよな? 優しいじゃん」
「露天商の天幕を壊して暴れたのが彼らだとでも?」
「あぁ? そんなの、しみったれた天幕立てて、ろくな価値もないもん並べて、著しく王都の景観を損ねてるのが悪いんだろ? 片付けるのも手間だろうから私たちが手伝ってやったのさ」


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