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 7.


 風の吹き抜ける林道に、馬蹄の音が響く。霧雨の後の露が枝を離れて宙を舞い、残り雨となって服を濡らした。
 指先を流れる雫は、朱い。
 馬の背から聞こえる荒い息に、ラウルははっとして顔を上げた。
「頑張って、もうすぐだから!」
 返事は無い。だが、馬に体を預けるその少女は小さく頷いたようだった。年相応にあどけなかった顔は、今は苦し気に歪められている。
 ラウルは、馬を引く手綱を握りしめた。焦りは禁物だと自分に言い聞かせ、ぬかるんだ道を一歩一歩着実に進む。熱を持つ腕に冷えた雨水が伝い、ぽつりぽつりと落ちていく。
「もうすぐだから……」
 だから、死ぬな、とそう心の中で励まし、ラウルは先の見えない道に目を細めた。
 黒茶けた地面に、赤い花が散っていく。

 *

「北西側は駄目だな、鉱山の方面と結びつきが強いせいか、貴族領主の手下で固められている。西部から南部は平野と海沿いの街だ。ここも貴族どもが押さえてる。北東から南東方面の未開発地帯を往復する道が一番現実的だな」
 比較的王都に近い村の住民との話し合い、古い道の調査、産物の比較と価格の変動などを合わせて着実に進んだ計画は、いよいよ大詰めを迎えていた。提案からふた月、村からも協力者を得て、いよいよ新しい流通経路が実際に使用される前の最後の調整に入っている。
「イサークは引き続き、王都で何か動きが無いかを確認していてくれ」
「勿論です」
「カルロスはもう一度道を一通り確認」
「あいさ」
「フェレは各連絡役とのシミュレーションを」
「はい」
「ボリスとラウルは、離宮周辺を根城にしてる賊どもの警戒に当たってくれ」
「了解」
「わかりました」
「以上だ。後は、実際にやってみてから、だ。どんだけ詰めて考えても抜けはある。むしろ始めは自分を追い込むほどに悪いところを突き詰めろ。大きく広がってからじゃ、身動きが取れなくなるからな」
 アルベルトの締めに、皆が大きく頷いた。この段階までくると、始めに出し合った意見は原型が判らないほどまでに変更が加えられている。主に変更されたのは、王都から出た避難民が主体となる行商という形態についてだ。やはり、見知らぬ者に商品を委ねるのは心もとなかったのだろう。最終的には、道中の護衛としての役割を担う事で落ち着いた。
 各村の連携の役もそれなりに位置づけが変更されている。ラウルが直接会うことはなかったが、もともと軍隊に所属していたエンリケなどが、率先して方法の改案を重ねていったという。
(まぁ、それぞれやる気になって自分たちで変えていくのはいいよね)
 発案者としての意地は特には無い。より良くなるのであれば、とラウルは主に話合いを見守る立場を貫いていた。
(村を巡れなかったのは残念だけど)
 どことなく迫力があり話かけにくいアルベルトや無口なボリス、全体的に軽い印象のカルロスに比べれば真面目に見えるラウルではあるが、その好印象を役立たせるような任には当たっていない。計画が進み始めた当初、彼が「天罰を実行する妄信者」に狙われていたからだ。
 むろん、アルベルトに宣言した通り、むざむざと罠にはまる愚は犯さなかった。それでもラウルの行動先から、隠れて行っている活動が貴族側に伝わる事を懸念されたのだ。故にラウルに与えられる仕事は全てこれまでの第二隊の任務と差の無いものであり、結果として彼が村人たちと交流を図る事はなく経過した。
 今回最後に振られた賊の警戒という任も、離宮へ向かう王妃の一行の為の露払い兼囮という正式に第二隊に与えられたものだ。イサーク以外の面子で街道を共に進み、拠点となる街でそれぞれに方向に別れる事となる。
(離宮か。今はどうなってるだろうな)
 パオラたちを送ってから既に半年が経つ。ラウルにしてみれば、初めての任務だっただけに、思い出深い。入る事は出来ないが、イサークを通して、それなりに順調に建設が進んでいる事は知っていた。
「ラウル」
「あ、――はい。何ですか」
「戦闘になった場合の役割は判ってるな」
「ええと、ボリスさんがとどまって耐える方で、僕が遊撃ですね」
 先輩を囮にということになるが、これまでの戦闘スタイルから分析すると、そうするのが一番スムーズなのである。頷いたところを見ると、ボリスも同意見ということだろう。尚、フェレとふたりの時はその逆で、カルロスの場合はどちらも適当にかく乱する方法が一番無難だった。アルベルトは状況次第、むしろ彼一人に任せておいてもどうとでもなるため、ラウルにしてみれば判断能力の試される辛いペアリングであったりもする。
「いざとなったら、お前が連絡に走れ」
「はい。――でも、僕、悪運強いですから」
 ラウルはにこりと笑う。だが、ボリスは僅かに目を眇めたようだった。
 なに、と思えば彼は緩く被り振る。
「お前自身は大丈夫でも、周りがそうとは限らない」
「――判ってます」
 頷けば、ボリスはそれ以上何も言わなかった。
 そうしてラウルは後に、このときの会話を思い出して悔やむ事となる。

 *

 襲撃を受けたのは、離宮から戻るその途中の事だった。
 曇天の夕方、既に視界は悪い。だがそれは相手も同じ事のようで、ずるずると戦いは長引いていった。
「しつ、……こい!」
 剣を弾く手が汗で滑る。ラウルが相手にしているのは、賊ではなかった。そもそもそういった輩に、貴族でも権力者でもなく、更には金目のものなど一切持ち合わせていないラウルを襲うメリットは無いのだ。否、武装している時点でデメリットの方が大きいだろう。
 敵は同じ軍人、つまり第一隊の面々だ。そう謀ったのかおそろしい偶然か、近衛兵に混じり、彼らも王妃の護衛についていたのだ。
 露払い、もしくは偵察役のラウルとボリスが先行し、そのあとに続いた集団が離宮へ入るまでは特に怪しい動きはなかった。貴族の子弟で成る近衛兵と同じく蔑んだ色を存分に含んだ目を向けては来ていたが、それだけだった。
 ことが起こったのは近衛の集団が先に王都へと帰還したその後、後になっても思い返せないほどの難癖をつけてきたかと思いきや、彼らは人目が無い事をいい事に、即座に剣を抜いたのだ。否、誰かに見られていたとしても言いように、あれこれと前振りの言葉を一方的に吐いていたのだろう。


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